こんばんわ。
私を抜いたFe3のメンバー達は、昨夜西船橋辺りで飲んでいた筈です。コメントも入っていないところを見ると、3人揃って午前様でしょうかね(笑)。もう十分に寒いですから路上で寝たりすることの無いように気を付けて欲しいものです。
さて、今晩は1週間振りの大宮操車場ネタです。今日は構内の様子をご覧いただきましょう。
590129 下り本線側から事務所を臨む風景。私が貨車への飛び乗りを行っていた『我が職場』であります。
右中にある建物がハンプ事務所で、上り下り共同で使用されていました。ハンプ入換が廃止になる約1年前に改築されたもので、減価償却を全く出来ないうちに解体されてしまいました。非常に勿体無かったです。
これ以外に、上り・下りのそれぞれ信号所と、「山」と呼ばれる坂の上の切り離す場所に事務所がありました。左中にある大きな建物は大宮操車場駅本庁舎で、今でもそのままの姿で残っています。
上り本線側から事務所方向を撮影した写真。バックに見える高架線は、下り本線の通過線で、大宮操車場に停車しない直行貨物や荷物・団体列車はこの線を通って数々のポイント通過を避けていました。
鉄筋の飛び出した工事中の高架は、東北・上越新幹線、埼京線となっています。
ハンプの各群線には、このように小さな番線標識が付いています。
24時間、同じ群線を担当していますので、間違えることは基本的には無いのですが、夜暗くなってから方向別入換に溜まっていた貨車を引き上げられてしまうと、群線の風景が変わってしまい、錯覚を起すことはありました。
下り18番の貨車の上に乗って撮ったワフ。
下りハンプの群線は1~18番までと、予備の20番線がありました。コレに対して、上りハンプは1~15番線まででした。
番線は本線のある外側から番号順にふられ、下りの18番線と上りの15番線が隣り合っています。
高崎線から東北本線へ、逆に東北本線から高崎線へ向かう貨車は、上りハンプでの散転により上り15番線へと落とされます。そして、上り15番線から下りハンプへ亘り線を通って引上げを行い、再び下りハンプへ散転するという作業が行われていました。この入換を「再転」と呼んでいました。
下り7・8・9番に滞留する貨車。
撮影したのが昭和59年1月29日で、ハンプ入換が廃止になる3日前ということになります。最終日が近づくにつれ、廃車予定の空車がドンドン集まってきて、身動きできなくなるほどの貨車で溢れかえってきました。
下り1番と20番。1番線の途中から20番線と呼ばれる予備線がありました。通常の入換では滅多に使われることはありません。私の記憶では、廃車待ちの貨車を留置したこのシーンが初めてであったと思います。
ワラ106に入った車票(列車で言うところの行先札)には大きく×印が書かれています。これは、廃車の宣告を受けた貨車に表示されたものであり、この貨車は、ここ大宮操車場で生涯を終えること宣告されたことになります。
本日ご覧いただいたモノクロ写真は、全て昭和59年1月29日に撮影したものです。まだ大宮操車場が廃止になるという実感がなかった当時、この×印の付いた貨車が大量に運ばれてきたことで、やっと事の重大さを感じてきた記憶があります。
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