マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

183系・189系「そよかぜ」:総集編

2008-05-23 00:02:36 | 特急型電車(直流)
こんばんわ。
過去ログで183系0番代の「そよかぜ」を1度だけアップしたことがあったのですが、フィルムスキャンを施行した結果、ネガに埋もれていた写真が何枚か見つかりましたのでアップいたします。


東北本線 西川口~蕨間にて 183系0番代「そよかぜ」



東北本線 西川口~蕨間にて 183系0番代「そよかぜ」



東北本線 蕨駅にて 183系0番代「そよかぜ」

昭和52年から53年頃で、イラストマーク化される以前の写真です。
幕張区の183系を使用していることから、夏季の海水浴シーズンではない頃に撮影したものと思われます。
元々157系が1シーズン使われた後、181系オンリーだった「そよかぜ」ですが、信越本線の181系撤退に伴って、幕張区の183系0番代が使用されるようになったようです。当時はまだ189系の両数が揃っていなかったための措置と思われますが、横軽非協調である183系0番代では8両以下に編成が制限されてしまうため、クハ+モハ+モハ+サロ+モハ+モハ+クハの7両編成に組み替えられて使用されていたようです。



上野駅にて 181系「とき」と並ぶクハ189500番代「そよかぜ」



上野駅にて クハ1890番代「そよかぜ」

こちらも年代的には昭和52年~53年頃の同時期です。日によって、或いは季節によって幕張区の車両と使い分けされていたのではないかと思います。
189系は横軽の協調運転が可能なため、最大の12両編成で運転することが出来ました。車種的にはこの189系が一番多用されていたように思います。



昭和54年8月 上野駅にて 183系1000番代「とき」と並ぶ189系「そよかぜ」

こちらはイラストマーク化された後のものとなります。運行形態は特に変わっていませんでした。

「そよかぜ」は、同じこの年代においても489系が使用されることがあり、その写真も少ないですが残っています。ただ、489系時代においても殆どボンネット型が使用された例は稀であり、雑誌で見た中でもグレードアップ改造(白山色)後のものしか見たことがありません。
また、一時期185系が使用されたこともあるようですが、SLの撮影ばかりに行って殆ど興味が無かった頃でもあり、写真には撮っていませんでした。
489系については、折を見て後ほど改めてアップしたいと思います。

コメント (8)
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485系「加越」

2008-05-22 06:45:49 | 特急型電車(交直流・交流)
おはようございます。
昨夜はまたまた更新に耐え切れず寝てしまいました。時間が無いので1枚だけアップいたします。

今日のネタは、485系の特急「加越」です。

特急「加越」は、昭和50年3月、新幹線博多開業の際に米原~金沢を結ぶ特急として誕生しています。名古屋~北陸方面への「しらさぎ」を補完する列車で、新幹線を最大限利用して北陸方面を目指す特急列車の性格をもっていますが、米原自体に当時の「ひかり」が殆ど停車しないこともあり、グリーン車1両を含む7両編成と、当時の電車特急としてはもっとも短編成でした。※博多~佐世保間の「みどり」が誕生するまで。

私自身は北陸には何度か出掛けたことがあるも、活動が富山中心であったために「加越」に出逢う機会が無く、唯一逢ったのがこの1回でした。



昭和55年8月 米原駅にて 485系「加越」

山陰でキハ181系「やくも」の写真を撮った帰り道、料金節約のために京都~名古屋間を普通列車で移動。途中乗り継ぎで下車したときに偶然ホームに居合わせた「加越」を撮ったものです。
485系を使用し、非貫通型のみの寂しい設定で変化も少ない列車だったのですが、その後489系が使用され、ボンネット型が登場する場面もあったようです。

平成15年7月に683系化に際して「しらさぎ」に名称が統合されてしまい、「加越」の名称は消滅してしまいましたが、私が思うに、この間北陸に行った際、米原行きと名古屋行きでは列車の性格や使い勝手が全く違うようなので、何も統合しなくても良かったのではないか?と感じました。
いずれにしても、特急「加越」としてこのような姿が復活する可能性はもう皆無でしょうね。
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キハ181系「おき」 :総集編(その1)

2008-05-21 06:58:15 | 特急型気動車
昨日は私のお願いにお応えいただくように、沢山の方からポチをいただきましてありがとうございました。また今後も宜しくお願いいたします。

さて、今日は一連の総集編と題名が非常に良く似ているのですが。良く見てください。ちがいますよ。
久し振りの気動車ネタ、しかも西日本篇で、キハ181系「おき」の写真をご覧いただこうと思います。枚数が多いので、昭和55~57年篇と58~61年篇の2回に分けてお送りいたします。

特急「おき」は、昭和46年4月に新大阪~出雲市間にキハ181系を使用して誕生。
翌年の昭和47年3月、新幹線の岡様開業に際し岡山~出雲市間に区間短縮の上、名称を「やくも」に譲ってわずか1年弱の運転期間でした。
その後、新幹線博多開業の際に山口線経由の陰陽連絡特急として、キハ82系を使用して再び誕生します。
さらに、昭和51年に奥羽本線電化開業で余剰となった「つばさ」の181系が四国・山陰に大挙移動し、特急「おき」も早々にキハ181系に変更されました。

私は「おき」そのものを目的とした撮影には行ったことが無かったのですが、私的第1次SLブームで「やまぐち号」を撮りに行った際、洩れなく付いてくるのがこの列車でした。ということで多少撮影枚数が多いわけです。

では、懐かしのキハ181系時代「おき」の写真をご覧下さい。


昭和55年8月 山陰本線 揖屋~荒島間にて



昭和55年8月 山陰本線 揖屋~荒島間にて



昭和55年8月 山陰本線 出雲市駅にて



昭和55年8月 山陰本線 出雲市駅にて

こちらはまだSL写真を始める前、キハ181「やくも」が電車化されるということで、北海道以外では始めての長距離旅行をした時のものです。
写真からお判りいただけると思いますが、6両編成でグリーン車まで連結した、今となって見れば立派な特急列車です。それでもこのときは食堂車付きの「やくも」もいたため、ローカルな特急というイメージが強かったです。



昭和57年11月28日 小郡(現新山口)駅にて

久し振りに訪れた山口線。新幹線を降りるとこの「おき」が待っていました。キハ181をダブルで連結した特急列車は当時では珍しく、記念に撮っておきました。



昭和57年11月28日 山口線 篠目~仁保間にて



昭和57年11月28日 山口線 篠目~仁保間にて

SL「やまぐち号」の撮影地として最も有名な区間です。SLの運転速度が遅いため、前後に必ず「おき」がやってきます。
この後、SLを撮影に行くたび特急「おき」の撮影枚数が増えていくことになります。

これでちょうど半分になりますので、残りを次の機会にアップいたします。

コメント (8)
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ドキュメント 浦和駅高架化工事の動き(完:迂回運転)

2008-05-20 01:10:46 | 写真撮影
浦和駅高架化工事の動きに関する一連の記事の最終回になります。
今回の工事の目玉として、京浜東北線の大宮~北浦和間折り返し運転、大量の代行バス輸送、そして最後に東北・高崎線の上り列車の迂回運転がありました。

今回の迂回運転は、他線区を通す大規模な迂回ではなく、大宮駅から東北貨物線(湘南新宿ラインの通る線路)へシフトして、川口駅の西川口方にある貨物~旅客線の亘り線を通って上野方面に復するという簡易なものです。コレが武蔵野線~常磐線を経由しようものなら沿線は大パニックになるところでしょうが、如何せん変更区間が短いことと、沿線が高い金網に囲まれた撮影不適地と思われる伏しがあるためか、ポイントを熟知している一部の鉄だけが終結していた感じでした。

そんな沿線事情もあり、前日の17日(土)も早朝からロケハンを兼ねた撮影に行った次第です。でも、近場の利でゆっくり出場したお陰で、ベストポイントを他鉄に奪われ、50cmずれたポイントからの撮影となりました。

では、当日の様子をご覧下さい。
※撮影は、全て平成20年5月18日、東北本線 蕨~西川口間にて。


EF641011牽引 コンテナ貨物

カメラを構えてまず最初のショットが貨物列車でした。これは迂回とかではなく所定です。テストにはちょうど良かったし、この色のEF64を撮ったのは初めてかも。
蕨駅の元貨物列車の発着線のあった場所で、右側に見えるのが駅のホームです。
閉塞信号機がないと非常にスッキリするのですがね。コレだけが残念な場所です。



489系「能登」

そして、迂回撮影第1号はこの489系「能登」。普段は2本右側の東北本線旅客線を走りますので、このように正面がちのアップ写真を撮ることはできません。



EF641032牽引「北陸」

さらに15分後に続く「北陸」。ここではアングルが限られますので、全く同じ構図です。ちょっと引っ張りすぎて架線柱にカブっちゃいましたが、「北陸」もこれほどアップで撮れるような場所は難しいですから、今回の迂回措置がもたらした恵みというのは大きかったです。
「この間コレに往復乗ってきたのか」とふと思い、懐かしくなってきました。

さて、この後「あけぼの」も貨物線を走るわけですが、30分以上時間がありますし、ガードレールの上に他の鉄たちと立っているのも疲れるだけなので、前日ロケハンで押えた場所へ行くため、一旦家に帰って脚立を抱え、新たな場所へと移動します。



253系「成田エクスプレス5号」

こちらにも既に先客が1人。しかも自転車を横に置かれて荷台で撮っているので柵に寄れない。でも、自転車の荷台+お兄ちゃん鉄より脚立トップ+私の身長の方が上回っていたので、難なくクリアできました。
「あけぼの」の約10分前に通過するNEX。いつもは単独で構図を決めますが、この日は「あけぼの」も同じ線路を走るため、絶好の露払い列車となりました。



EF81139牽引「あけぼの」

そしてやってきました。メインのラストを飾る「あけぼの」です。この日は双頭連結器を装備した139号機。過去、しょっちゅう撮り損なっていた同列車だけに、この組み合わせといい、構図といい、記念になる1枚となりました。



231系普通列車 上野行き

普段は気にしていなかったのですが、この日迂回で貨物線を走っていた上野行きは、どの列車も「上野」の行先表示がされていました。普段は「東北線」とか「高崎線」と行先が交互に表示されていると思ったのですが・・・。しかも、バスと違って何故か表示が切れなかったので、何枚か撮りましたがすべて行先がちゃんと写りこみました。
で、この時点で撮影開始から1時間以上経っているのですが、211系が来てくれません。



485系「フェアーウェイ」

いつもは撮りに来ない場所なので、今回はこんなどアップを撮ってみました。金網にレンズが通せる強みですね。



485系「日光」回送

ただひたすら211系を待つ私。一向に来てくれません。その間にこんな列車たちも来る時間になってしまいました。



東武100系「スペーシア」回送

臨時列車「スペーシア日光81号」の送り込み回送まで・・・。



209系500番代 京浜東北線

さらに待ち続けるものの、通るのは231系ばかり。合間には京浜東北線もバンバン通ります。南浦和から東京方面は定時運転を行っています。



211系普通列車 上野行き

やっとこさ来てくれましたよ。湘南新宿ラインのE231系化以来、貨物線を通ることが無くなった211系。これを撮りたかったんです。撮影開始以来2時間以上経っちゃいました。普段は昼間でも結構見るのですがね。朝方はこんなにも運用が少ないとは思いませんでした。
しかーし!なんで行先表示が切れてんの?(泣)

といった具合で、何とか迂回運転に伴う主要な列車は良い形で全て押えることができました。
今後も浦和駅高架化でこのような措置がとられる可能性は十分あるのですが、その頃までに果たして夜行列車たちが残っているだろうか・・・というのが心配です。そんな危惧もあって、今回は絶対にこの様子を記録として残したかったのです。
そんなことで、この後は一旦家に帰って朝食を摂り、浦和方面ヘと出掛けて行った訳でございます。


オマケ画像

183系 修学旅行集約臨 (この写真のみ北浦和駅にて)

この日走った数少ない臨時列車です。(もちろん、走るのは知っていましたけど。)

本来は、浦和駅の線路切替えに伴う入線試験の様子などもレポしたかったのですが、高架ホームが高く様子を見ることが困難であったことと、早朝からの出撃で眠くてどうしようもなかったので諦めました。
中途半端なレポではありますが、お付き合いいただきありがとうございました。

明日からはまた懐かしネタに戻る予定ですのでお楽しみに!

このところランキングポチが急激に下がってきましたので、可哀想だと思って左側の「鉄道ブログ」をポチ!っとしてやってくださいマシ。
コメント (4)
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「北斗星」カマ情報

2008-05-19 19:26:14 | 写真無しの情報など
こんばんは。
先程、仕事帰りに偶然「北斗星」を見掛けたのですが、EF8181が牽いていました。
また「あけぼの」の運用に入るかと期待していたのですが、変えられましたね。
さて、今晩の「あけぼの」はどうなることやら・・・。
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