マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

ドキュメント 浦和駅高架化工事の動き(その2)

2008-05-19 07:24:24 | バスの写真館
おはようございます。
昨夜は疲れのせいか早くに寝てしまったようです。

昨日の続きで、今日は(その2)として代行バス篇を報告いたします。鉄チャンにはごめんなさい。

今回の浦和駅高架化で着目すべき点として大きかったのがバス代行輸送です。
南浦和駅~浦和駅~北浦和駅とたった2駅間ではありますが、普段は本数の確保されている浦和駅では京浜東北線や東北・高崎線の上り(時限的)が来ないわけですから、交通の生命線となったわけです。

複数の会社が対応することをある意味楽しみにしていたわけですが、どうも地元の国際興業バスだけで足りているらしく、バラエティさには欠けていたかな?という印象です。

※撮影は、全て平成20年5月18日です。


南浦和駅西口にて いすゞエルガCNG 3912(H15年 西浦和)

まず出くわしたのがいすゞエルガの大群です。止まっているバスのどれを見てもエルガです。今回の撮影の重要なポイントとなるのが「鉄道代行」「代行輸送」などの表示と、予備召集による雑多な形式による輸送なのですが、とにかく右を見ても左を見てもエルガなんです。そしてこのエルガたちがことごとく電光表示のため、天気の良さも裏目に出てシャッタースピードを落とすことが出来ず、表示が切れて何が表示されているのか判らない始末。一気にテンションが下がります。



南浦和駅西口にて いすゞエルガワンステップ 6077(H15年 川口)

フロントガラスには行先の案内板と、号車番号が置かれており、行先は駅到着後に運転手が引っ繰り返して対応していました。ちなみに、電光表示には「代行輸送バス」や「貸切国際興業バス」と表示されているものが多かったようです。一部には「回送」というそっけない表示をしているものが何台もあったようです。



北浦和駅西口にて いすゞエルガ 6735(資料なし)

その後移動した北浦和駅にて。浦和駅で下車する乗客が多いため、北浦和駅では南浦和駅ほどの活気はありません。西口のりそな銀行前が発着場になっていました。
北浦和駅には、中古カメラの物色でその昔良く訪れたのですが、駅前に降りたのは20数年振りでしょうか。その質屋さんはまだ健在だったのですが、残念ながら開店時間前でした。



北浦和駅西口にて いすゞエルガワンステップ 6658(H17年 鳩ヶ谷)と6811(資料なし)

停車場が一杯になると、ロータリーで順番待機するバスも出てきます。左に止まっている6811番は予備③と表示されており、緊急用として待機しているようです。
ちなみに、予備①と②はいずれも南浦和駅ロータリーに待機しており、いずれもいすゞエルガでした。



北浦和駅西口にて いすゞエルガ CNG 6313(H15年 西浦和)

今回の代行輸送の中では意外に少なかったCNG車。埼玉県内の営業所にはあまり無いのでしょうかね。現認したのは6312と6313の2台のみでした。エルガノンステップの大軍の中では嬉しい変化でした。



北浦和駅西口にて いすゞキュービック 9079(H6年 西浦和)

ロータリーで待つこと40分。途中ですれ違うことも無く突然現れたキュービック。こんな嬉しいことはありません。来た甲斐があったというものです。
更新車ではないため字幕ロール式。写真にも映えます。



浦和駅西口 いすゞキュービック 9080(H6年 西浦和)

北浦和~さいたま新都心へ電車で移動。バスで下車していなかった浦和駅でわざわざ降り、またバスの撮影を行います。あるバスをどうしても確認したかったからです。
30分くらい粘ったでしょうか。エルガの大群のなかで、また新たにキュービックを発見いたしました。



南浦和駅西口 いすゞキュービック 低床ツーステップ車 9902(H6年 西浦和)

浦和駅から移動し、南浦和駅で待つこと1時間。やっと逢いました。
実はこのバス、南浦和から北浦和へ移動するときにすれ違い、絶対に撮らなきゃと思っていたのです。しかし、北浦和駅では逢うことができず、帰りの浦和駅で待機するも逢うことができず、移動し始めたら直ぐにまたすれ違うという悲劇に。仕方なく、最後は南浦和駅で意地でも待つということになり、ようやくGETしたのです。
今回の代行輸送の中では唯一の存在であり、未更新のこのタイプは写真に撮ったことが無かったのでした。しかも、私が結婚して板橋に住んでした頃に導入されたタイプのもので、良く乗っていながらバスに興味が無く今まで撮り逃していたので、余計に思い入れがあったわけです。

今回の代行バス輸送。キッチリ確認したわけではありませんが、現認した最大の番号が36番、予備が①~③ということで、39台は最低稼動していたものと思われます。
電車の代わりをするわけですから、出控えている人もいる中でといってもそのくらいの輸送力は必要となるのでしょう。

南浦和~北浦和の京浜東北線の所要時間は5分弱ですが、バスでは途中停車が浦和駅1箇所でも概ね30分掛かってしまいます。鉄道輸送の重要さ、優越さを痛感した代行バス輸送のレポでした。
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ドキュメント 浦和駅高架化工事の動き(その1)

2008-05-18 20:02:24 | 写真撮影
こんばんわ。
関東ではご存知の方が多いと思いますが、今日5月18日は浦和駅において京浜東北線の北行線(下り線)を高架線へ切替える工事が行われました。
時間は深夜終電後から今日の15時頃までと、かなり長時間にわたるもので、当然、この間は京浜東北線は運休となり、東京方面では全ての電車が南浦和にて折り返し運転、大宮~北浦和間は2編成封じ込めによる1線路1列車の折り返し運転が実施されました。

今までも何度かこのような出来事はありましたが、特に興味も無かったのでスルーしていました。しかし、今はこの代行バスの運転というものについても興味があり、また、早朝から工事に伴う様々な動きもあったため、朝から活動してきました。

今回はその1として、工事実施に伴う鉄道側の動きをご紹介したいと思います。

※撮影は、全て平成20年5月18日です。


南浦和駅にて 3・4番線表示

まず南浦和駅の様子です。南浦和駅では、3番線が南浦和止まりの到着ホーム、4番線が大宮行のホームとなりますが、今日に限っては全ての電車がここ南浦和止まり。しかも、通常は大宮折り返しとなる電車も全て南浦和止まりとなるため通常の段取りでは折り返し間合いが取れません。
したがって、4番線も到着ホームとして使用されるため、ご覧のように到着する全ての電車が「回送」の表示となっています。



南浦和駅改札にて 代行バス案内表示

駅の案内放送が頻繁に実施されており、大イベントの意気込みと言うか、対応の慎重さを感じます。自動改札のうち3箇所を開放し、代行バスへの誘導を行っています。改札口から通路、西口のロータリーに至るまで、多数の職員、警備員が配置されていました。ただ、混乱が無いらしく、鉄道警察職員の姿は見られませんでしたね。



南浦和駅西口にて 代行バスのりば 

そして、いよいよ代行バスのりばへ。乗降をスムーズに行うため、降車と乗車は別の場所となっております。
バスにタダで乗せるわけにはいかないため、ちゃんとJR社員による改札が行われています。乗車券を持たない人のためにキップも売っていたらしいのですが、果たしてどんな券を売っていたのか気になります。(懐が寒いので買うのを諦めました。)



北浦和駅にて 1番線線路閉鎖 

さて、こちらは北浦和駅の様子です。北浦和~大宮間は折り返し運転が実施されています。今日は南行・北行ホームとも「大宮行」しか来ませんので、東京方面の表示を覆って「大宮方面」と張り紙されています。
暴進防止のためでしょうか、線閉(線路閉鎖の略)の表示・措置がとられています。
線閉は私が国鉄時代も夜間保線作業の時に良く対面することがあった措置ですが、このような設備をする線閉は初めて見ました。



2番線線路閉鎖 北浦和駅

2番線側も同様に線路閉鎖が行われています。横を通る東北・高崎線は平常運行が行われており、いつもと同じように特急列車が駆け抜けていきました。



北浦和駅にて 209系64編成

北行線に封じ込められている第64編成。折り返し準備が終わってしまったので日常の風景に近いものですが、行先を「大宮」ではなく「京浜東北線」としているところで日常でない違和感を与えてくれます。
写真を撮るわけでもないのに邪魔な場所をフラフラするバカ鉄にちょっとイラつく私。
 


北浦和駅にて 209系14編成

大宮方に場所を移動し、入線する南行電車を撮影します。こちらは、南行側に封じ込められていた第14編成。こちらも通常側の走行なので違和感がありませんが、やはり「北浦和」の表示も無いため、「京浜東北線」と表示したまま往復しています。
ホームの大宮方ベンチで鉄と思われる10数名のグループがまるで酒盛りしているように騒いでいた。電車にも乗らず、特に写真を撮っているでもなく。乗り換えなど忙しい乗客たちから見たらどんだけ浮いていたことか。最近はやりの「羞恥心」が無い連中ですね。



北浦和駅にて 209系14編成

こちらは折り返し待機中の第14編成。ヘッドライトに灯が入ることにより、逆向きの違和感が伝わってくると思います。この電車に乗ってさいたま新都心駅へと向かいました。

以上が鉄道側の措置に関する報告となりますが、本来であれば逆行を示す側の列車を撮るべきでした。しかし、この時点でも代行バスの撮影で予定の時間を押していたため、已む無く諦めました。
もちろん、コレだけのために「早朝」から活動しているわけではありません。追って続きを報告させていただきます。

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EF8181牽引「あけぼの」

2008-05-18 01:12:35 | 写真撮影
こんばんわ。
昨日は早朝から東北線へ夜行列車の撮影に行きました。
目覚ましをセットしたのに、さすが睡眠時間が不足していたためか寝坊してしまい、「能登」は完全に逸してしまいました。眠さを堪えて撮影に出発。「北陸」からの撮影となりました。


※撮影は、全て平成20年5月17日、東北本線 蕨~西川口間にて


EF641051 「北陸」

今日はノーマル機でしたね。昨日は朝方は薄日が差す程度だったのですが、さすがに明るく、順光だと十分なシャッタースピードが稼げました。



231系 湘南新宿ライン

蕨駅付近に移動して構図のチェックを行います。これは結構重要なポイントなんです。



253系 成田エクスプレス

同じ構図ですが、231系をアップにし過ぎたので、構図を少し引いてみました。こちらの方が安定しているかもしれません。側面が逆光になるのが玉にキズな構図です。



EF8181牽引 「あけぼの」

そして、やっと撮れました。元お召機の経歴を持つ81号機牽引の「あけぼの」。
しか~し、帰って良く見たらブレてるじゃござんせんか・・・また撮り直しか・・・。





485系 「フェアーウェイ」

前回の撮影で撮り忘れてしまった「フェアーウェイ」。
昨日は蕨駅脇にある駐輪場から初めて撮ってみました。500mmくらいあると面白い構図かもしれませんが、私のデジイチモドキではこの程度が精一杯でした。とにかく邪魔な柱が多いですね。
実はこの駐輪場。広大だったのですが再開発の一部が始まってしまい、一部がなくなる予定。1年くらいの間に風景が変わってしまうものと思われます。



485系 「日光」回送

さらに、貨物線関係のロケハンをするためにいつもは行かない場所から覗いてみました。
この場所は脚立がないと障害物があって不可な場所です。たまたま「日光」の回送がやってきてくれました。


今回の撮影でなんでコレだけ移動して撮影してきたかと申しますと、今日18日は浦和駅における高架線への線路切替え工事に伴い、8:50くらいまでの上り列車を湘南新宿ラインが通る貨物線へ迂回させる措置をとるためだったんです。
いつもは中の線を通る夜行列車たちが、この貨物線を通るために普段に無い構図で撮ることができる滅多に無いチャンスなのです。
というわけで、いつもは着目していない構図を観察しに行ったわけです。

ですので、今日はこの辺で寝ます。明日起きられるか心配です。おやすみなさい・・・。
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「ぷらっとわらび」 ワーゲン クセニッツの危機

2008-05-17 19:22:24 | バスの写真館
こんばんわ。地元バスネタです。
バスに詳しい方は情報が入っていると思いますが、開設以来ワーゲン社のクセニッツを使用していた我が地元のコミュニティバス『ぷらっとわらび』が、最近、日野製ポンチョに置き換えられてしまいました。
そのうち撮っておこうとは思っていたのですが、まさか交代してしまうとは。

で、3台在籍した赤・緑・オレンジのクセニッツのうち、開設当初から運用されていた赤・緑の2台がポンチョに置き換わり、やや遅れて開設したルート用として導入された若干形態の異なるクセニッツが最後の活躍をしております。




平成20年5月14日 蕨駅西口駅前にて

2枚目の写真をご覧いただくと、後に新しく導入された日野製ポンチョが見えます。
このオレンジのクセニッツが何年遅れで導入されたのか記憶が定かではありませんが、あと1~2年で置き換えられる可能性が高いようです。
あ~ぁ、早くに撮っておくんだったぁ~。
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飯田線 旧型国電 51系 (その1)

2008-05-17 00:15:31 | 旧型国電
こんばんわ。
特急も続くと飽きが来るといけませんので、この辺で旧型国電でも打っておきましょうか。ということで、久し振りの飯田線ネタです。

飯田線と言えば、旧型国電時代に「旧国の博物館」とも言われたほど様々な戦前型国電が走っていました。私が旧型国電に目覚めた頃には、大好きなクモハ42やクモハ52系流伝の残党もいなくなってしまい、かなり寂しくなっていましたが、大糸線や身延線と並んで最後の戦前型国電が活躍する路線として、旧国が廃止となるまでまぁマメに通ったものです。

今となっては撮影区間や撮った形式の詳細など不明で整理のしようも無いのですが、絵としてご覧いただければと思っております。

今日はその中から、飯田線に初めて撮影にいった頃の写真で、51系の写真をご覧いただきましょう。








全て、昭和56年7月21日撮影。

写真は、飯田線、大糸線、身延線を掛け持ちで撮影に行ったときのものです。
飯田線、身延線はこの後も少しの間旧国が活躍しましたが、大糸線は一足早く消滅しています。高校の同級生らと撮影に行き、さらに別の同級生のグループと行程中に出逢ったため、最後には8~9人くらいで行動していたように記憶しています。

写真は、初めて訪れた飯田線で、為栗駅を中心とした前後で撮影しています。
複数線区の掛け持ちだったので時間が無く、撮影も慌しかったと思います。

51系の電動車にはクモハ51と出力増強型のクモハ54が存在します。さらに、両形式ともオリジナルのクモハ51タイプと、ロングシートのクモハ41をセミクロス化改造したタイプが混在しており、改造で加わった車両の方が多いのが特徴です。
また、制御車であるクハ68も同様に混在しています。

オリジナルのクモハ51タイプとクハ68は、ともに半流形で単一の形態となりますが、クモハ41からに改造車は、平妻形と半流形が混在します。
さらに、クモハ51にはクモハ43からの、クハ68にはクハ47やクロハ59からの3扉化改造車も加わり、さらに難解な形式となっております。

本日アップしたのは、偶然ですがロングシート車である40系からの改造車のようで、形的には同じものばかりだったようです。

飯田線の写真はこの他にも沢山枚数がありますので、車両を出来るだけ区別しながらアップして行きたいと思っております。



コメント (8)
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