マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

EF651000牽引「あけぼの」 (総集編)

2008-05-12 01:35:44 | ブルートレイン:機関車・客車
こんばんわ。
このGWから「あけぼの」フェイクになっているつばさです。

過去ログで同件名の記事をアップしたことがあるのですが、一連のフィルムスキャンの結果、新たにPF牽引の「あけぼの」の写真が出てきましたので、改めて総集編としたいと思います。


昭和52年頃 東北本線 蕨~西川口間にて 

フィルムからスキャンした35mm判の写真で、画像が不鮮明のためPFの番号が判りません。まともに写真を撮った記憶のないマニ20ですが、「あけぼの」に使用している同車をこの写真で初めて確認しました。
マニ20は20系寝台客車誕生時に用意された車体長18mの電源車で、たった3両しか製造されなかった希少な車両です。 



昭和52年頃 東北本線 蕨~西川口間にて (再掲)

こちらは次位にカニ22を連結した「あけぼの」。当時は「ゆうづる」と共通運用で、しかもカニ21やマニ20とも共通運用であったため、どの列車にどの電源車が入るかは行き当たりバッタリでした。

私が写真を撮り始めた頃は既にヘッドマークは廃止されてしまったため、20系の客車を撮った写真ばかりが多く残り、このようにPF型の牽引する写真はあまり残りませんでした。



昭和57年5月 東北本線 浦和~南浦和間にて

EF651007が牽引する24系化後の「あけぼの」。この頃は、24形と25形を混結することがなかったため、キレイな編成を見ることが出来ました。特にカヤ24を連結した場合には、最初から最後まで3本の白いラインで結ばれ、ブルトレ黄金期を彷彿しましたね。
ただ残念なことに、ヘッドマークもなく、20系でもなくなってしまった「あけぼの」にとって、ある意味一番魅力のなくなってしまった時代だったかもしれません。



昭和60年1月5日 東北本線 古河~栗橋間にて (再掲)

昭和59年10月からヘッドマークが復活した「あけぼの」。加えて3往復に成長し、上野着9時と撮影し易い時間にも走るようになり、「あけぼの」の魅力が復活しました。



昭和60年3月17日 東北本線 栗橋~東鷲宮間にて (再掲)

上の写真と同じ頃。現在では編成も減車で短くなってしまいましたが、この頃までは電源車を含めて13両編成くらいが当たり前の時代。やはり、ブルトレは編成が長いほど貫禄が出ます。



昭和62年12月29日 東北本線 蓮田~東大宮間にて (再掲)

山形新幹線の工事に伴い、危機を感じて撮りに行った最後の写真。ヘッドマークの色調が異なったマークのようで、何種類か存在していたようです。

ヘッドマークが復活し、魅力溢れる列車となっていた「あけぼの」ですが、その姿を捉えた写真は意外に少なかったです。その当時の記録を見ると、どうもEF58や復活したEF55、磐越西線の非電化区間など多方面に手を出しており、特にブルトレといった意識が無かったようです。

今から考えればもっと撮っておけば良かったとおもいますが、PF自体にあまり特徴がなかったため、食指が動かなかったんでしょうね。

過去ログで板谷峠の「あけぼの」もアップしています。大した内容ではありませんが、興味があればご覧下さい。 → http://diary.jp.aol.com/marutetsu/170.html
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リベンジに燃える!「あけぼの」の観察はつづく

2008-05-11 23:10:55 | 写真無しの情報など
GW期間中は、「あけぼの」に虹ガマが運用に入っていてファンを沸かせておりました。
そんなんで、この土日にもチャンスがあると思い、9日金曜日の夜発「あけぼの」を偵察に行ったところ、今度はなんとカシガマが運用に入っているじゃござんせんか。

そんなんで、今日は生憎の雨の中、寝不足を押して朝から出撃したわけです。
眠さに耐え切れずモタモタしたお陰でギリギリの到着。傘を差しながら構図をあわせる間もなく、「あけぼの」がやって参りました。当然カシガマです。
そして、シャッターを切った瞬間、レンズが引っ込みました。
まただよ(怒)。バッテリー警告なしのバッテリー切れ。コレに何回泣かされたことか。昔からキャノンのカメラをひいきにしてきたが、10年前くらいからある事件をきっかけに信頼を無くした。しかし、偶然このデジカメでまたキャノンを選んでしまったのが運の尽き。これって思いっきり不良品だよ(怒)。こんど別件修理のときに絶対クレームつけてやる!

ということで、貴重なカシガマを逃したため、予告しておきながらアップすることが出来なかったわけです。

でも、このまま引き下がる私ではござんせん。今日も状況確認のために偵察に行って参りました。
カシガマを期待して待っていたのですが、今日は赤でした。貨物列車と併走されてしまったため確認しづらかったのですが、どうも星ガマのようです。
ということで、2往復のうち1往復は、相変わらず田端のカマが入っているということですね。

出勤前の早起き訓練に有効な時間帯を通る「あけぼの」。
こうなったら平日も撮りに行ってやる!
怒っているのは別に君のせいじゃないよ。キャノンのこのカメラがハズレだっただけさ。
忘れないうちにバッテリー交換しとこ!警告でないし・・・。
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クモニ+クモユ併結 長岡行き普通列車(総集編)

2008-05-11 01:37:18 | 旧型国電
こんばんわ!
相変わらず雨が降り続いていますね。今日は早朝から「あけぼの」を撮りに行こうと思っているのですが、この天気だと明るさが足りないかな。感度を上げてしまうと画像が荒れるし、週末の天気の悪さには困ったものです。

さて、今日は普通列車の話題ですが、普通列車というよりも、併結する荷物電車にスポットを当てて見たいと思います。
昔から普通列車にも長距離を走るものが沢山ありましたが、特急列車の利用需要が増える度、ダイヤ改正の際に短距離かが進んできました。
昔は今のように親のスネをかじるばかりでなく、「貧乏旅行」という手段を使って旅費の節約に努めたものです。自動車免許の取得率が今よりも少なく、高速道の整備も進んでいなかった。そんな需要もあってか、夜行を含む長距離列車も一部残っていました。

上越線には、上野~長岡を結ぶ長距離列車が夜行を含めて何往復か存在し、それらは例外なく荷物車が併結されていたようです。


昭和54年頃 東北本線 西川口~蕨間にて クモニ83+クモユ141+115系

長岡行きの普通列車です。郵便車は既に新性能化されクモユ141に変わっています。
郵政省の作業環境改善策はかなり早い時期から対応されており、郵便車の冷房化は普通列車の車両などと比べると格段に早かったですね。



昭和55年頃 東北本線 赤羽駅にて クモニ83003

赤羽駅の高架化以前の時代。アングル的には跨線橋上の窓から撮影したようです。
ただ、何を訴えたかったのか、自分でも良く解かりません。コレはリバーサルフィルムからです。



昭和55年頃? 上野駅にて クモニ83800番代 スカ色 (再掲)

上越方面の荷物電車は、クモユニ74200番台やクモニ83の一般型の湘南色が走っていましたが、旧型の晩年の頃になると中央本線から転配があったらしく、スカ色の車輌が見受けられるようになりました。特にこのクモニ83800番台は、張り上げ屋根と窓枠のRが美麗で、荷電の中でも一番好きな車輌でした。



昭和56年頃 東北本線 南浦和~蕨間にて クモニ143+クモユ141+115系(再掲)

旧型車の老朽化が進み、荷物電車にも1M方式の新性能車が導入されるようになりました。それがクモニ143です。ただ、製造両数が少なかったためか、荷物専用車にはあまり使用されることはなく、専ら上野~長岡間の普通列車に運用されていたようです。



昭和56年頃 東北本線 西川口~蕨間にて クモニ143

クモニ143を激写!なんでこんな写真を撮ったのだろう・・・。



昭和56年から57年くらい 東北本線 大宮駅にて クモニ143+115系(再掲)

通常は郵便車のクモユ141とのペア運用がほとんどなのですが、この時はクモニ143が1両のみの併結になっています。窓ガラスに「〒」マークが張ってあり、クモユニ代行となっている様子が判ります。もしかすると、旧型車の淘汰により、輌数が足りなくなったかもしれませんね。



昭和56年頃 上野駅構内にて クモニ143+クモユ141+115系

これから長躯長岡に向けて発車した普通列車。高校の授業が早上がりのときに撮影したものと思われます。



昭和57年頃 東北本線 蕨駅にて クモニ83+クモユ141+115系

コレは珍しく上り列車を捉えたシーンです。しかも、先頭車はクモニ83です。
この写真をアップしようと思ったとき、昭和57年と整理していたので???だったのです。この頃は、普通列車併結車は新性能化されていた筈なのでおかしいと思ったのですが、前後のコマからどう検証しても昭和57年なのです。何らかの事情があって復活したのか、それともクモニ143の予備車がなくて点検の際に良く運用に入っていたのかは不明です。



昭和57年頃 東北本線 蕨駅にて クモニ143+クモユ141+115系

こちらも上の写真と同時期と思われますが、対向する181系「とき」がモハ1ユニット抜きの10連となっていますので、上越新幹線が開業目前に迫った頃と思われます。


以上、115系普通列車併結の荷物電車を全てアップいたしました。
なお、上野~長岡間の荷物列車併結普通列車とのペア運用で、上野~新前橋間の普通列車にも同様の併結列車があったような記憶があります。今回アップした写真の中で、上野~新前橋間の列車が混在している可能性もありますのでご了承くださいませ。

また、隅田川からの荷物専用電車列車の写真は、別途総集編を組みたいと思いますので、次の機会をお楽しみに!
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EF60総集編 その1 東海道・山陽本線

2008-05-10 09:43:00 | 国鉄・JR機関車(直流型)
昨夜は早くに寝てしまって更新できませんでした。
最新ネタも出尽くしたことですし、今日は古ネタでEF60をアップしたいと思います。

EF60と言えば、私的には東海道・山陽を根城として活躍した新性能貨物機のオリジナル形式と考えております。一時期はブルトレ用の500番代も登場し一世を風靡しましたが、直ぐにEF65500番代に取って代わられ、500番代も貨物専用機となっています。

晩年は首都圏での活躍となってしまいましたが、今日はそんな彼らがバリバリに東海道・山陽の重要路線で働いていた頃の写真をご紹介したいと思います。


昭和53年8月5日 東海道本線 真鶴~根府川間にて EF6017牽引 貨物列車(再掲)

過去ログで1度掲載していますが、多分、初めて撮ったEF60だと思います。全く改造を受けていない、オリジナルな姿です。



昭和55年8月 東海道本線 神足~山崎間にて EF6067牽引 貨物列車

東海道・山陽時代はスノープラウを付けていないので、前面がスッキリしています。好みは分かれるところでしょう。 



昭和57年10月4日 山陽本線 瀬野~八本松間にて EF6041牽引 一般貨物

有蓋車中心の編成ですね。後に見えるワキ5000も今となっては懐かしい貨車です。



昭和57年10月4日 山陽本線 瀬野~八本松間にて EF60124牽引 冷蔵貨物

こちらは後期型のシールドビーム2灯車。横から見るとEF65と殆ど区別が付きません。
後にレサ10000系を連結した編成で、「とびうお」「ぎんりん」編成の返却回送でしょうか。空車で重量がない上、回送ですのでスピードも要求されていませんので、EF66を使用していないケースもあったのでしょう。



昭和58年5月16日 山陽本線 瀬野~八本松間にて EF60107牽引 貨物列車

山陰げで思いっきり露出アンダーになってしまいました。後にEF66を従えて、セノハチを高速で駆け下っていきました。


当時はあまりにも一般的で、あまり撮影していなかったEF60。今こうしてみると、貨物機として洗練された姿ですね。昭和30年代生まれの兵ですが、その外見はEF65にまで引き継がれていきました。

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衣替えしてみました

2008-05-09 23:26:07 | ノンジャンル
そろそろ冬物は捨てて、本格的に夏物に衣替えですね。

そんなんで、最近やっと画面編集の理屈が解かってきたので、衣替えしてみました。

今日初めて来た人も、鉄道に興味があったら見てやってください。

でも、明日っから寒くなってしまうらしいですよ。雨だし・・・。

明後日も雨?絶対「あけぼの」撮りに行ってやる!何が何でも・・・。
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