雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

なほめでたきこと

2014-10-02 11:00:32 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百三十五段  なほめでたきこと

なほめでたきこと、臨時の祭ばかりのことにかあらむ。試楽も、いとをかし。

春は、空の気色のどかに、うらうらとあるに、清涼殿の御前に、掃部寮の、畳を舗きて、使は北向きに、舞人は御前の方に向きて、これらは、ひがおぼえにもあらむ、所の衆どもの、衝重取りて、前どもに据ゑわたしたる。陪従も、その庭ばかりは、御前にて出で入るぞかし。
     (以下割愛)


やはり素晴らしいことといえば、臨時の祭り(三月の石清水臨時祭と十一月の賀茂臨時祭が有名)といったところでしょうね。試楽(シガク・祭りの前に清涼殿で行われる予行演習)も、たいそう素晴らしいものです。

春は、空の様子ものどかで、うららかな時に、清涼殿の御前に掃部寮(カモンヅカサ・宮中の施設や清掃などを担当)の官人が、畳を敷いて、臨時祭の勅使は北向きに、舞人は天皇の御前の方を向いて着座し、これらのことは私に記憶違いがあるかもしれませんが(実際に方角が違っている)、蔵人所の衆たち(雑用を務める六位の官人)が衝重(ツイガサネ・食器をのせる台)を取って、それぞれの座の前にずらりと並べているのがすばらしい。陪従(ベイジュウ・舞人につき従う楽人。地下人で通常は天皇の御前には出られない)も、その庭での儀式の時だけは、天皇の御前で進退出来ることになっているのですよ。

公卿や殿上人は、かわるがわる盃を取って、終わりには、屋久貝(貝製の盃か)というもので飲み、座を立つとすぐに、取り喰み(トリバミ・後片付けの下人のことで、残り物を手当たりしだいに取って食べた)という者が出てくるが、男がしても不様なのに、この御前の庭では、女までが出てきて残り物を取るのです。
「人がいる」などと思いもしなかった火炬屋(ヒタキヤ・衛士が警護のために火を焚く小屋)から急に出てきて、「多く手に入れよう」と慌てる者は、かえって取り落としたりしてまごついている間に、気楽にさっと持って行ってしまう者にしてやられたりしましてね。うまいしまい場所として火炬屋を利用して、どんどん取り込んでいるのが、とても可笑しい。


「掃部寮の者ども、畳を片づけるのが遅い」と待ち切れぬとばかりに、主殿(トノモリ・清掃、灯火、薪炭などを担当する女官の役所)の官人、手に手に箒を持って、庭の砂をならす。
承香殿の前の所で、陪従が笛を吹きたて、演奏するのを聞いて、「早く出て来ないかな」と待っていると、「うど浜(東遊(アヅマアソビ・歌舞の名前)の中の駿河舞の一節)」を謡って、舞台をかこっている低い竹垣のもとに歩いてきて、御琴(ミコト・神楽、東遊の時、和琴のことを御琴と呼ぶ)を掻き弾いている時は、それはもう、「どうすればいいのか」と思うほど、感動いたしました。

一の舞の舞人が、実に端正に袖を合わせて二人ばかり登場してきて、西に寄って御座所に向かって立った。次々に舞人が登場し、足踏みを拍子に合わせて、半臂(ハンピ・袍と下襲の間に着る短い衣で緒がついている)の緒をつくろい(踊りの所作か)、冠や袍の襟などを手も休めずにつくろったうえ、「あやもなき小松」などと謡いながら、舞っているのは、何から何まで、まことにすばらしいものです。
大輪(オオワ・最終場面などで全員で大きな輪となって舞う)など舞いながら廻るところは、一日中見ていても飽きそうもありませんが、そこで舞い終るのは、とても残念ですが、「また、次の舞があるだろう」と思うと楽しみですが、御琴の調子が変わり、今度は、すぐさま竹垣の後より舞いながら登場してきた様子などは、実にすばらしいものです。
掻練の艶も美しく、下襲なども絡みあって、左右の舞人があちらこちらと入れ替わったりするのは、いやもう、改めてすばらしいなどと言うこと自体が野暮というものですよ。
この度は、この舞の後にはもうないと思うからでしょうか、それこそ本当に終わってしまうのが残念です。
舞人が退くと、上達部たちも、皆続いて出てしまわれましたので、寂しくて残念な限りです・・・。


それにひきかえ、賀茂の臨時の祭りは、さらに還立の御神楽(カヘリダチノミカグラ・祭りの夜に勅使や舞人が宮中で再び神楽を奏すること)があって、気持ちが慰められるものです。
庭のかがり火の煙が細く立ち昇っているのに合わせて、神楽の笛がすてきに、震えるような音色で吹き澄まされて高々と響くので、歌の声も、実に身にしみて、とても優雅なのです。
寒く冴えて凍りつくほどひえびえとして、打ち衣も冷たく、扇を持っている手も冷えるが、すばらしさに夢中でそれさえ感じません。才の男(サエノオトコ・こっけい役の男)をお呼びになって、声を長々と伸ばして呼ぶ人長(ニンチョウ・神楽の舞人の長、近衛の官人がつとめる)の得意そうな様子ときたら大変なものです。


宮仕えする前、里にいた頃は、行列を見るだけでは満足できないので、御社まで行って見ることもありました。
私たちは大きな木々のもとに牛車を止めているので、松明の煙がたなびいて、その光で舞人の半臂の緒や衣の艶が映えて、昼間よりずっとひき立って見えるのです。
橋(賀茂上社の御手洗川に架かる橋か)の板を踏み鳴らして、声を合わせて舞うところもとてもすてきで、水の流れる音、笛の音などが一緒になって聞こえる様は、いかにも、神様も「すばらしい」と思っておられることでしょう。


頭中将(藤原実方か。但し彼は蔵人頭にはなっておらず、諸説ある)といわれる人が、毎年舞人になって、本当にすばらしいことだと思っていましたが、お亡くなりになったあとで、上の社の橋の下にその霊がとどまっているらしいという噂なので、「なんと気味が悪い。物事を、そうまで執着すまい」と思うのですが、それでも、この臨時の祭のすばらしさだけは、簡単には思い捨てることは出来そうもありません。

「八幡(石清水)の臨時の祭の日、終わったあとがずいぶん味気ないわ」
「どうして、帰参してからまた舞うことをしないのでしょう。舞えば、すてきですのに」
「ご祝儀を頂いて、後ろの方から退出して行くのが、残念だわ」
などと、私たちが言うのを天皇がお耳になさいまして、
「それでは、舞わせよう」
と仰せになる。
「本当でございましょうか」
「そうなら、どんなにすばらしいことでしょう」
などと申し上げる。

嬉しくなって、中宮様にも、
「ぜひ、『還立の東遊を舞わさせるようになさいませ』とお願いなさってください」
などと、女房どもが集まって、わあわあと申し上げたのですが、本当にその年は、帰参してから舞ったものですから、大変嬉しいことでしたわ。
「まさかそのようなことはあるまい」
と、油断していた舞人は、
「天皇のお召しである」
とお達しがあったので、鉢合わせしかねないほどに慌てるさまは、全く正気を失っているほどです。
自室に下がっていた女房たちが、あたふたと参上する様子ったら、もうひどいものです。他の人の従者や殿上人などが見ているのも知らずに、裳を頭からひっかぶったまま(慌てて着ようとする途中でこのような格好になるらしい)で参上してくる姿を、見ている人たちが笑っているのも可笑しい限りです。



石清水臨時祭と賀茂臨時祭を比較して描かれています。
少納言さまも少々浮かれ気味なほどに、楽しげに描写されています。残念ながら、舞や謡、あるいは東遊や神楽などについて、衣装や所作などは私の力ではうまく描写出来ないのですが、当時の風俗などを知る貴重な章段ではないでしょうか。
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