雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

寺に籠りたるは・・その1

2014-10-24 11:02:52 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百十五段  寺に籠りたるは
  
正月に寺に籠りたるは、いみじう寒く、雪がちに凍りたるこそ、をかしけれ。雨うち降りぬる気色なるは、いとわるし。

清水などに詣でて、局するほどに、呉橋のもとに車引き寄せて立てたるに、覆肩衣ばかりうちしたる若き法師ばらの、足駄といふものをはきて、いささかつつみもなく、降り昇るとて、何ともなき経のはしうち読み、倶舎の頌など誦しつつありくこそ、ところにつけては、をかしけれ。
わが昇るは、いとあやふくおぼえて、かたはらに寄りて、高欄おさへなどしていくものを、ただ板敷などのやうに思ひたるも、をかし。
     (以下割愛)


正月に寺に籠っている時は、大変寒く、雪がちで冷え込んでいるのが、とりわけよろしい。雨が降り出しそうな空模様は、全くよくありません。

清水寺などに参詣して、お籠りの部屋の準備が出来る間、呉橋のそばに牛車を引き寄せてとめていると、覆肩衣(オホイ・左肩だけを覆うもの)だけを付けた若い坊さんたちが、足駄というものを履いて、全然恐れる様子もなく、その呉橋(反り橋になっている)を降り昇りしながら、別にわけもない経文の一部分を読んだり、倶舎の頌(クサノズ・経典の一つ)などを唱えながら歩き回るのは、場所が場所だけにいいものです。
その反り橋を、私たちが昇るとなると、とてもあぶなく感じられて、脇の方によって、高欄につかまりなどして渡るのに、あの若い坊さんたちは、まるで板の間か何かのように平気でいるのも、感心してしまいます。

「お籠りの部屋の用意ができました。お早くどうぞ」と案内の法師が言えば、従者が沓などを持ってきて、参詣人を車からおろす。
反り橋を渡るので、着物の裾を上の方にはしょりなどしている者もいれば、その一方で、裳や唐衣など、大げさな装束の者もおり、深沓や半靴などをはいて、廊下のあたりを沓を引きずりながらお堂に入って行くのは、宮中にでもいるような感じがして、それもまた面白い。(この辺りの廊下は、紫宸殿から移したもので宮中の雰囲気に似ていた)

奥向きの出入りも許されている若い男たちや、一族の子弟たちが、後に大勢付き従って、
「そこの辺りは低くなっている所がございます」
「一段高くなっています」などと注意しながら行く。どのような身分の人なのでしょうか、女主人にぴったりと付き添っている従者は、追い越して行く者などに、
「しばらくお待ちを。高貴なお方がいらっしゃるのに、そのようなことはしないものですよ」などと咎めるのを、
「なるほど」と思って、多少遠慮する者もあるし、また、全く聞きも入れもしないで、「ともかく、自分が先に仏の御前に」と思って行く者もいます。

お籠りの部屋に入る時も、参詣人がずらりと並んで座っている前を通って行くのは、とても嫌なものですが、それでも犬防ぎ(仏堂の内陣と外陣を仕切る格子)の内側の内陣を覗いたときの気持ちは、本当にありがたく、「どうして、ここ何か月もお参りしないで過ごしてしまったのかしら」と、何より先に信心の気持ちがわいてきます。

仏前の御灯明が、それもふだんの御灯明ではなくて、内陣に別に、参詣の人が奉納したものが、恐ろしいほどに燃えさかっている焔で、御本尊の仏像がきらきらと輝いていらっしゃるのが大変ありがたく、お坊さん方がそれぞれ手にした参詣人たちの願文をささげ持って、礼拝の座でかすかに身体を揺すりながら祈願する声が、それはそれは堂内が大勢の張り上げる祈願の声が響き渡るので、どれが自分の願文だか、区別して聴き取れそうもないのに、一段と張り上げた声に一つ一つは、不思議なことに、紛れないで耳につくものなのです。
「千灯奉納のご趣旨は、誰々の御為」などは、ちらっと聞こえる。

私が掛け帯をした姿で、謹んで御本尊を礼拝していますと、
「もしもし、塗香でございます」と言って、樒の枝を折って持って来たのなどは、枝の香りなどがとてもありがたく、趣きがあるものです。
(塗香・ヅコウ・身を清めるために香を手に塗ったりする。現在の焼香のような意味か? 但し、この部分は別の説もある)

犬防ぎの方から、私が祈願をお願いしたお坊さんが近づいて来て、
「ご立願のことは、しっかりお祈りいたしました。幾日ほどお籠りのご予定ですか」
「これこれのお方がお籠りになっておいでです」などと話して下さって、立ち去ったかと思うとすぐに、火鉢や果物など次々と持って来て、半挿(ハンゾウ・湯や水を注ぐのに用いる器)に手洗いの水を入れて、その水を受ける手なしのたらいなどもあります。
「お供の方は、あちらの宿坊でお休み下さい」などと、あちらこちらに声をかけながら行くので、供の者は交替で宿坊へ行く。
誦経の鉦(カネ)の音などを、「あれは自分のためらしい」と聞くのも、頼もしく感じられます。

隣の部屋に、それなりの身分らしい男性が、ごくひっそりと額ずいたり、立ち居の様子も「思慮ある人だろう」と聞き分けられるのですが、その人が、いかにも思いつめた様子で、一睡もしないでお勤めしているのは、とてもしみじみと心に伝わってきます。こちらがひと眠りする時は、声を落として読経しているのも、いかにもありがたい感じがします。
こちらからお声をかけたいほどなのに、まして鼻などを、大きな音で不愉快な感じではなく、遠慮がちにかんでいるのは、「何を祈願しているのだろう。その願いを成就させてやりたい」と思いました。

幾日も続いて籠っていますと、昼間は少しのんびりと、以前はしていたものです。導師の宿坊に、供の男たちや、下仕えの女、童女たちなどがみな行って、私一人がお堂で退屈していますと、すぐそばで、法螺貝を急に吹きだしたのには、たいそう驚かされました。(時刻を知らせるものらしい)

きれいな立て文を供の者に持たせた男性などが、誦経のお布施の品をその辺りに置いて、堂童子(堂内の雑用を勤める者)などを呼ぶ声は、山がこだましあって、派手やかに聞こえる。
誦経の鉦の音が一段と高く響いて、「どなたの誦経なのかしら」と思ううちに、お坊さんが高貴な方の名を言って、
「ご出産が平安でありますように」など、いかにも効験がありそうに祈祷しているのなどは、ついつい「結果はどうだろう」などと気がかりで、こちらまでがお祈りしたくなるものですよ。

こうした様子は、ふだんの空いている時ののことでしょう。正月などは、ただもう何とも物騒がしいのです。官位昇進を願う人たちが、次から次へと絶え間なく参詣するのを見ているので、肝心のお勤めもろくに出来ません。


      (その2に続く)
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寺に籠りたるは・・その2

2014-10-24 11:00:33 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
     (その1からの続き)

日が暮れる頃になって参詣するのは、これからお籠りする人のようです。
小坊主たちが、とても持ち運びできそうもない鬼屏風の丈の高いのを、ほんとうに上手に前うしろに動かして、畳など置いたかと思うと、次々と仕切っていって、犬防ぎに簾をさらさらと掛けて部屋を作っていく手順は、すっかり手慣れていて楽々とこなしているように見えます。
衣ずれの音もそよそよと、大勢の人が部屋から出てきて、そのうちの年配の老女めいた人が、上品な声であたりに遠慮した口ぶりで、送ってきただけで帰る人たちがいるのでしょうか、その人たちに、
「これこれのことが心配だ」
「火の用心をしなさい」などと、言いつけたりしているようです。

七、八歳ぐらいの男の子が、可愛い声で、えらそうな口ぶりで家来の男たちを呼びつけ、何か言い付けているのが、とても可笑しい。
また、三歳くらいの幼児が、寝ぼけて、急に咳き込んでいるのも、ほんとに可愛い。その子が、乳母の名前や、「「お母さま」などと寝言を言っているのも、「その母親は誰なのだろう」と、知りたくなります。

一晩中、勤行の騒がしさの中で夜を明かすので、私はおちおち寝ることも出来ませんでしたが、後夜の勤行などが終わって、少しうとうとしかけている耳に、その寺の御本尊の御経(観音経か)を、とても荒々しい声で勿体ぶって、いきなり唱えはじめた声に、「それほどとり立ててありがたい坊さんでもない、山伏のような法師で、外陣のまだ外で、蓑を敷いて座ったりしているのが読経しているらしい」と、ふと目を覚まして、憐れな気がします。

また、夜などは籠らないで、相当身分のあるらしい人が、青鈍の指貫の綿の入っているのに、白い着物をたくさん着こんで、「その人の子息らしい」と見受けられる若いしゃれた男性や、着飾った少年などを連れて、さらに侍らしい者たちを大勢侍らせて、座って祈念している姿も興味深い。
ごく略式に、屏風ぐらいを立てて、ちょっとばかり拝礼などしているらしい。
顔を知らない人の場合は、「一体誰だろう」と、好奇心がわきます。知っている場合は、「ああ、あの人だわ」と見てとるのも面白い。

若い男の人たちは、とかく女性が籠ってい部屋のあたりをうろつきまわって、御本尊の方を見向きも申し上げないで、寺の別当などを呼び出して、小声で耳打ちしたり、世間話をして行ってしまうのは、並の身分の人とは思えません。

二月の末、三月の初めの頃、桜の花盛りに籠るのもいいものです。
すっきりとした若い男たちで、それぞれ一家の主と見えるのが二、三人は、桜襲の狩襖や柳襲の狩衣などを、実に見事に着こなして、くくりあげてある指貫の裾も、いかにも上品に見える。
その主人に似つかわしい感じがする従者に、飾りたてた餌袋(エブクロ・もとは鷹狩の餌を入れたが、弁当を入れるのにも用いられた)を抱え持たせて、小舎人童たち、それには紅梅や萌黄の狩衣に、いろいろな色の衣、手のこんだ摺り紋様の袴などを着せている。桜の花を折り持たせたり、贅沢な格好で・・・。侍風のやせ形の従者などを引き連れて、お堂の前で金鼓を打つ様子は、なかなかのものです。
「きっと、あの人に違いない」と私の籠る部屋から見分ける人もありますが、先方はどうして気付きましょう。
このまま通り過ぎていってしまうのも物足りないので、「私たちに挨拶させたいわね」などと言い合うのも可笑しい。

こんなわけで、お寺に籠ったり、その他ふだんと違った所では、自分が召し使う者だけを連れて行くのは、つまらないと思われます。
やはり同じくらいの身分で、気が合って、楽しいことも憎らしいことも、言いたいように話しあえるような友人を、必ず一人二人、出来ればもっとたくさんでも、誘いたいものです。自分の身の回りの中にも、気のきいた者もいるのですが、変わり映えしないのです。
男性だって、同じように思うに違いありません。同行者を、探したり誘いまわったりしていますもの。



清水寺参籠の様子が細やかに描かれています。
清水寺は、現在でも京都屈指の寺院として有名ですが、少納言さまの時代にも、すでに大勢の人たちがお参りされていたようです。
当時の風俗を知る上でも貴重な章段ではないでしょうか。
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