枕草子 第百二十七段 六位の笏
「などて、官(ツカサ)得はじめたる六位の笏に、職の御曹司の辰巳の隅の築土(ツイヒヂ)の板はせしぞ。さらば、西・東のをもせよかし」
など言ふことをいひ出でて、あぢきなき事どもを、
「衣などに、すずろなる名どもを付けけむ、いとあやし。衣のなかに、細長は、さもいひつべし。なぞ、汗衫は。尻長といへかし」
「どうして、新しく官職についた六位の笏に、職の御曹司(中宮職のお部屋)の辰巳(東南)の土塀の板を使ったのでしょうか。それなら、西や東の物も使えばよろしいのに」
などと女房たちが言い始めて、わけのわからないことなどを次々と、
「着物などにも、いい加減な名前を付けたらしいのは、全くけしからんことよ。着物の中で、細長(ホソナガ・女装束の一つ)は、いかにもそう言えるでしょう。それなのに何ですか、汗衫(カザミ・童女の上着)なんてのは。尻長と言えばいいのですよ」
「男の子が着ているみたいよ」
「何でしょうね、唐衣だなんて。短衣と言えばいいのですよ」
「だって、それは、唐土(モロコシ)の人が着る物だからでしょう」
「表衣(ウエノコロモ)・表袴は、そう言っていいみたいね」
「下襲(シタガサネ)は良いわね」
「大口(オオグチ・大口の袴。裾の口が大きく広い)もね。長さより口の方が広いのですから、その名前で良いでしょう」
「袴よ、全くわけがわからないわ」
「指貫もですよ。足の衣と絶対言うべきだわ。それとも、ああいう風の物はね、袋と言うべきですよ」
などと、いろいろのことを何だかんだと言い放題に騒ぐので、
「まあ、なんて騒がしいのでしょう。もうお話はやめましょう。さあおやすみなさいな」
と私が申しますと、隣りの部屋で聞いていたらしい夜居の僧(ヨイノソウ・加持祈祷のため夜通し貴人の身辺に詰めている僧)は、
「それは大変まずいでしょう。一晩中でも、もっとおしゃべりなさいませ」
と、「私の言葉を憎々しい」と思っているらしい声色で言ったのには、可笑しくもありましたが、驚きましたよ。
女房たちの宿直の夜の様子なのでしょうね。
数人で詰めていて、おそらく少納言さまが一番年かさのような感じがします。若い女房たちは、次から次へと無駄話をしているのですが、その記録が私たちにはほのぼのと伝わってきます。
「夜居の僧」も、一晩中詰めるのは楽なことではないらしく、眠気覚ましに女房たちのおしゃべりを隣の部屋で盗み聞きしていたのでしょうね。なお、「夜居の僧」は「恥づかしきもの」として第百十九段にも登場しています。
「などて、官(ツカサ)得はじめたる六位の笏に、職の御曹司の辰巳の隅の築土(ツイヒヂ)の板はせしぞ。さらば、西・東のをもせよかし」
など言ふことをいひ出でて、あぢきなき事どもを、
「衣などに、すずろなる名どもを付けけむ、いとあやし。衣のなかに、細長は、さもいひつべし。なぞ、汗衫は。尻長といへかし」
「男の童の着たるやうに・・・」
「なぞ、唐衣は。短衣といへかし」
「されど、それは、唐土の人の着るものなれば・・・」
「表衣・表袴は、さもいふべし」
「下襲よし」
「大口また。長さよりは口広ければ、さもありなむ」
「袴、いとあぢきなし」
「指貫はなぞ。足の衣とこそいふべけれ。もしは、さやうのものをば、袋といへかし」
など、万づの言をいひののしるを、
「いで、あなかしがまし。いまはいはじ。寝たまひね」
といふいらへに、夜居の僧の、
「いとわろからむ。夜一夜こそ、なほのたまはめ」
と、「憎し」と思ひたりし声さがにていひたりしこそ、をかしかりしにそへて、おどろかれにしか。
「どうして、新しく官職についた六位の笏に、職の御曹司(中宮職のお部屋)の辰巳(東南)の土塀の板を使ったのでしょうか。それなら、西や東の物も使えばよろしいのに」
などと女房たちが言い始めて、わけのわからないことなどを次々と、
「着物などにも、いい加減な名前を付けたらしいのは、全くけしからんことよ。着物の中で、細長(ホソナガ・女装束の一つ)は、いかにもそう言えるでしょう。それなのに何ですか、汗衫(カザミ・童女の上着)なんてのは。尻長と言えばいいのですよ」
「男の子が着ているみたいよ」
「何でしょうね、唐衣だなんて。短衣と言えばいいのですよ」
「だって、それは、唐土(モロコシ)の人が着る物だからでしょう」
「表衣(ウエノコロモ)・表袴は、そう言っていいみたいね」
「下襲(シタガサネ)は良いわね」
「大口(オオグチ・大口の袴。裾の口が大きく広い)もね。長さより口の方が広いのですから、その名前で良いでしょう」
「袴よ、全くわけがわからないわ」
「指貫もですよ。足の衣と絶対言うべきだわ。それとも、ああいう風の物はね、袋と言うべきですよ」
などと、いろいろのことを何だかんだと言い放題に騒ぐので、
「まあ、なんて騒がしいのでしょう。もうお話はやめましょう。さあおやすみなさいな」
と私が申しますと、隣りの部屋で聞いていたらしい夜居の僧(ヨイノソウ・加持祈祷のため夜通し貴人の身辺に詰めている僧)は、
「それは大変まずいでしょう。一晩中でも、もっとおしゃべりなさいませ」
と、「私の言葉を憎々しい」と思っているらしい声色で言ったのには、可笑しくもありましたが、驚きましたよ。
女房たちの宿直の夜の様子なのでしょうね。
数人で詰めていて、おそらく少納言さまが一番年かさのような感じがします。若い女房たちは、次から次へと無駄話をしているのですが、その記録が私たちにはほのぼのと伝わってきます。
「夜居の僧」も、一晩中詰めるのは楽なことではないらしく、眠気覚ましに女房たちのおしゃべりを隣の部屋で盗み聞きしていたのでしょうね。なお、「夜居の僧」は「恥づかしきもの」として第百十九段にも登場しています。