枕草子 第百二十五段 七日の日の若菜を
七日の日の若菜を、六日、人の持て来騒ぎ、とり散らしなどするに、見も知らぬ草を、子どもの取り持て来たるを、
「何とか、これをばいふ」と問へば、とみにはいはず、
「いさ」など、これかれ見あはせて、
「『耳無草』となむいふ」といふ者のあれば、
「むべなりけり。きかぬ顔なるは」と、笑ふに、また、いとをかしげなる菊の、生ひ出でたるを持て来たれば、
つめどなほ耳無草こそあはれなれ
あまたしあればきくもありけり
と、いはまほしけれど、また、これもきき入るべうもあらず。
正月七日の七草粥のための若菜を、里人たちが持ってきて騒ぎながら取り散らかしたりしていましたが、見たこともない草を、子供が持ってきているので、
「何というの、この草は」と尋ねても、すぐには答えないで、
「さあ、知らないわ」などと、互いに顔を見合わせていましたが、
「『耳無草』と言います」と答える者があるので、
「なるほどねぇ。道理で話が通じない顔をしているのね」と、笑っていると、他にも、とてもかわいらしい菊の、新芽が伸びたばかりのものも持ってきていたので、
つめどなほ耳無草こそあはれなり
あまたしあれば菊(聞く)もありけり
と、言いたかったのですが、また、これもうまく聞き取ってもらえそうもありません。
ごく穏やかな新春の一風景ですが、前段に続き、洒落とか機転とか風流などを感じ取ってくれない不満を述べているともいえます。
それらは、少納言さまが最も得意としている分野のように思われますが、実は、当時の教養の重要な要素であったようなのです。中宮の父である関白が、洒落や冗談を得意としていたというあたりにも、その片鱗はうかがえると思います。
七日の日の若菜を、六日、人の持て来騒ぎ、とり散らしなどするに、見も知らぬ草を、子どもの取り持て来たるを、
「何とか、これをばいふ」と問へば、とみにはいはず、
「いさ」など、これかれ見あはせて、
「『耳無草』となむいふ」といふ者のあれば、
「むべなりけり。きかぬ顔なるは」と、笑ふに、また、いとをかしげなる菊の、生ひ出でたるを持て来たれば、
つめどなほ耳無草こそあはれなれ
あまたしあればきくもありけり
と、いはまほしけれど、また、これもきき入るべうもあらず。
正月七日の七草粥のための若菜を、里人たちが持ってきて騒ぎながら取り散らかしたりしていましたが、見たこともない草を、子供が持ってきているので、
「何というの、この草は」と尋ねても、すぐには答えないで、
「さあ、知らないわ」などと、互いに顔を見合わせていましたが、
「『耳無草』と言います」と答える者があるので、
「なるほどねぇ。道理で話が通じない顔をしているのね」と、笑っていると、他にも、とてもかわいらしい菊の、新芽が伸びたばかりのものも持ってきていたので、
つめどなほ耳無草こそあはれなり
あまたしあれば菊(聞く)もありけり
と、言いたかったのですが、また、これもうまく聞き取ってもらえそうもありません。
ごく穏やかな新春の一風景ですが、前段に続き、洒落とか機転とか風流などを感じ取ってくれない不満を述べているともいえます。
それらは、少納言さまが最も得意としている分野のように思われますが、実は、当時の教養の重要な要素であったようなのです。中宮の父である関白が、洒落や冗談を得意としていたというあたりにも、その片鱗はうかがえると思います。