雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

官の司に

2014-10-12 11:00:20 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百二十六段  官の司に

二月、官の司に、定考といふことすなる。なにごとにかあらむ、孔子(クジ)など掛けたてまつりて、することなるべし。聡明とて、主上にも宮にも、あやしきもののかたなど、土器(カワラケ)に盛りて進(マイ)らす。

頭弁の御もとより、主殿寮、絵などやうなるものを、白き色紙につつみて、梅の花のいみじう咲きたるにつけて、持て来たり。
「絵にやあらむ」と、いそぎ取り入れて見れば、餅餤(ヘイダン)といふものを、二つ並べてつつみたるなりけり。
     (以下割愛)


二月、太政官の役所で、定考(ジョウコウ)というものをするらしいのです。一体どういうものなのかしら、多分、孔子の絵像などを掛けたてまつってすることなのでしょう。聡明(ソウメ・釈奠という行事の供え物のことで、鹿や猪の干し肉、あるいは、米や餅など)ということで、天皇も中宮様も、あやしげなものを形どったものなどを、土器に盛ってお供えされます。

頭弁(トウノベン・太政官職で蔵人頭を兼ねている者。ここでは藤原行成)のもとより、主殿寮の官人が絵の巻物のようなものを、白い紙に包んで、たくさん花を付けている梅の枝に付けて、持ってきました。
「どうも絵ではないらしい」と、急いで受け取って見てみますと、餅餤(長さ四寸、直径一寸ほどの筒状の唐菓子)という物を、二つ並べて包んでいたのですよ。

添えてある立文(タテブミ・正式の書状の形式)には、解文(ゲモン・下級官庁から太政官や上級官庁に上申する公文書)らしいものが、
  進上。
  餅餤一包、
  仍例進上如件。(レイニヨッテ シンジョウ クダンノゴトシ)
  別当少納言殿。
とあり、月日が書いてあって、差出人は「美麻那成行」とあり、その次に、
  この男は、自ら参りたいと思ったのですが、昼間は容貌醜いので、遠慮いたしました。
と、とても滑稽に書いてありました。
(別当少納言とあるのは、清少納言を太政官の役人のように見たてたもの。「美麻那成行」とあるのは、頭弁である藤原行成の下僚に「美麻那延政」という人物がおり、その遠祖は役小角であり、その伝説に登場する一言主神は、その醜貌を恥じて昼は顔を見せず夜働いたといわれている。その伝説を借り、名前も行成を逆転させている)

中宮様のもとに参り、お見せいたしますと、
「うまく書いたものね。しゃれた趣向だこと」
などと、お褒めになられて、解文はお召し上げになられました。
「返事をどうすればいいのでしょう。このように、餅餤などを持ってくるものに、ご祝儀なんかを渡すものなのかしら。作法を知っている者がいればなあ」
などと言っているのを、中宮様がお聞きになって、
「惟仲の声がしていたよ。呼んで尋ねなさい」
と仰られましたので、端に出て、
「左大弁にお尋ねしたい」
と下仕えの者に呼びに行かせますと、威儀を正してやってきました。

「御前のお召しではありません。私事なのです。もしも、太政官である少納言のもとに、このような物を届けてくる下役などには、決まったご祝儀などはあるのですか」
と言うと、
「そのようなことはございません。ただ、受取って食べられるといいのです。どうしてそのようなことをお尋ねになるのですか。もしかすると、太政官のどなたかからいただかれたのですか」
と尋ねるので、
「とんでもありません」
と答えて、行成殿へのご返事を、たいそう赤い薄様の紙に、
  『自分で持って来ないような下役は、ずいぶん気の利かないものだと思われますよ』
と書いて、美しい紅梅の枝に付けて差し上げますと、すぐにご自分でいらっしゃって、

「下役が参っております。下役が参っております」
と仰られるので、端近まで出ますと、
「ああいう贈り物には、『適当に歌でも詠んでお寄こしになったか』と思いましたのに、見事に応えられたものですね。女の人で、少しでも『自信がある』と思う人は、歌人ぶるものですよ。そうでないのが、ずっと付き合いやすいですよ。私なんかに、歌を詠みかけるような人は、かえって見当違いというものでしょう」
などと仰る。

「それじゃあ、則光になってしまいますよ」
と、笑い話にして打ち切りにしたことを、
「天皇の御前にお歴々が多勢詰めていたところで、行成殿がお話しなさいますと、『うまく対応したものだ』とね、御上は仰いましたよ」
と、どなたかが話してくれましたというのは、どうも、お粗末な自慢話ですわね。



本段の主人公、藤原行成は、少納言さまより六歳ばかり年少ですが、親しい関係であったことがうかがえます。
行成は、後に正二位権大納言にまで昇っており、能書三蹟の一人として著名な人物なのですが、案外少納言さまは、年下の貴公子から慕われるチャーミングな女性だったのかもしれません。

最後の部分の「則光になってしまう」の部分は、少納言さまの別れた夫のことで、歌を詠むことを大変嫌っていたことを行成は承知していたのでしょうね。
なお、「定考」と言う行事について述べられていますが、少納言さまは「列見」や「釈奠」といった行事などを混同されているそうです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする