枕草子 第百十四段 あはれなるもの
あはれなるもの。
孝ある人の子。
よき男の若きが、御嶽精進したる。閉て隔てゐて、うち行ひたる暁の額、いみじうあはれなり。むつまじき人などの、目覚ましてきくらむ、思ひやる。
「詣づるほどのありさま、いかならむ」など、つつしみ怖ぢたるに、たひらかに詣で着きたるこそ、いとめでたけれ。烏帽子のさまなどぞ、すこし人わろき。
なほ、いみじき人ときこゆれど、こよなくやつれてこそ詣づと知りたれ。
(以下割愛)
しみじみと感動させられるもの。
親孝行な子供。(孝ある、人の子、と切る。また、親への孝とは、ここでは喪に服している意味とも)
身分の高い若い男性が、御嶽精進(吉野の金峰山に詣でるための精進)をしている姿。障子をしめ切った部屋に籠り、勤行した上での明け方の礼拝(明け方には庭に出て、金峰山の方に向かって五体投地の礼拝を百回繰り返す定めであったとか)など、まことに気の毒なほどです。特別親しい女性などが、寝もやらず聞いていることだろうと、想像されます。
「(準備でもこれほど大変なので)いよいよ参詣する時は、どれほど大変なのだろうか」などと、身を慎み畏れていたのですが、無事に御嶽に参着したということは、大変結構なことです。
烏帽子の様子などは少々みっともない格好です。どんなに偉い方だといっても、格別粗末な身なりでお参りするものだと、誰でも心得ていることなのです。
ところが、右衛門の佐宣孝(ウエモンノスケノブタカ・藤原宣孝、紫式部の夫)という人は、
「つまらないことだ。普通に清浄な着物を着て参詣したって、何の悪いことがあろうか。まさか必ず『粗末な身なりで参詣せよ』と御嶽の蔵王権現様は決しておっしゃるまい」と言って、三月の末に、紫のとても濃い指貫に白い襖(アオ・武官の礼服。ここでは仕立てが似ている、狩衣のことらしい)、山吹色のとても大げさで派手な色の衣などを着て、息子の主殿亮隆光には、青色の襖、紅の袿、手のこんだ摺り模様の水干という袴を着せて、連れ立って参詣したのを、御嶽から帰る人も、これから参詣する人も、珍妙で奇態なことだとして、
「全く、昔からこのお山で、こんな身なりの人は見たことがない」と、あきれかえったのですが、四月の初めに下山してきて、六月十日の頃に、筑前の守が辞任した後任として任官してしまったのですから、
「なるほど、言っていたことに、間違いはなかったとはねえ」と評判になったものです。
これは、本題の「あはれなるもの」ではありませんが、御嶽の話のついでです。
男性でも、女性でも、若くて美しい人が、とても黒い喪服を着ているのは、あわれなことです。
九月の末、十月の初めの頃に、かすかに、聞えたか聞えないくらいに耳にした、きりぎりす(現在のコオロギ)の声。(現在と同じキリギリスという説もあるようですが、時期から無理な感じがします)
鶏が卵を抱いて伏している姿。
秋が深い庭の雑草に、露がさまざまな宝玉のように光っているさま。
夕方や明け方に河竹(真竹のことか)が風に吹かれて鳴っているのを、目覚めて聴いているの。
また、夜などは、何かにつけあわれを感じるものです。
山里の雪。
愛し合っている若い人の仲が、邪魔だてする者があって、思い通りにならないもの。
枕草子を指して「をかし」の文学と言われますが、この章段は「あはれ」がテーマです。
あげられている事例はともかくとして、この章段は大変大きな意味を持っています。それは、紫式部の夫が登場しているということです。
宣孝の世間の常識を逸脱したような振る舞いを、少納言さまは自己宣伝として受け取っているようです。
この一文は、宣孝没後に公表したようですが、その内容が紫式部は気に入らなかったらしく、紫式部日記などで少納言さまを責める一因になったようです。
まあ、才女同士、仕える中宮は別、作品の性格も全く別、どう考えても二人が仲良しだったら変ですよね。
あはれなるもの。
孝ある人の子。
よき男の若きが、御嶽精進したる。閉て隔てゐて、うち行ひたる暁の額、いみじうあはれなり。むつまじき人などの、目覚ましてきくらむ、思ひやる。
「詣づるほどのありさま、いかならむ」など、つつしみ怖ぢたるに、たひらかに詣で着きたるこそ、いとめでたけれ。烏帽子のさまなどぞ、すこし人わろき。
なほ、いみじき人ときこゆれど、こよなくやつれてこそ詣づと知りたれ。
(以下割愛)
しみじみと感動させられるもの。
親孝行な子供。(孝ある、人の子、と切る。また、親への孝とは、ここでは喪に服している意味とも)
身分の高い若い男性が、御嶽精進(吉野の金峰山に詣でるための精進)をしている姿。障子をしめ切った部屋に籠り、勤行した上での明け方の礼拝(明け方には庭に出て、金峰山の方に向かって五体投地の礼拝を百回繰り返す定めであったとか)など、まことに気の毒なほどです。特別親しい女性などが、寝もやらず聞いていることだろうと、想像されます。
「(準備でもこれほど大変なので)いよいよ参詣する時は、どれほど大変なのだろうか」などと、身を慎み畏れていたのですが、無事に御嶽に参着したということは、大変結構なことです。
烏帽子の様子などは少々みっともない格好です。どんなに偉い方だといっても、格別粗末な身なりでお参りするものだと、誰でも心得ていることなのです。
ところが、右衛門の佐宣孝(ウエモンノスケノブタカ・藤原宣孝、紫式部の夫)という人は、
「つまらないことだ。普通に清浄な着物を着て参詣したって、何の悪いことがあろうか。まさか必ず『粗末な身なりで参詣せよ』と御嶽の蔵王権現様は決しておっしゃるまい」と言って、三月の末に、紫のとても濃い指貫に白い襖(アオ・武官の礼服。ここでは仕立てが似ている、狩衣のことらしい)、山吹色のとても大げさで派手な色の衣などを着て、息子の主殿亮隆光には、青色の襖、紅の袿、手のこんだ摺り模様の水干という袴を着せて、連れ立って参詣したのを、御嶽から帰る人も、これから参詣する人も、珍妙で奇態なことだとして、
「全く、昔からこのお山で、こんな身なりの人は見たことがない」と、あきれかえったのですが、四月の初めに下山してきて、六月十日の頃に、筑前の守が辞任した後任として任官してしまったのですから、
「なるほど、言っていたことに、間違いはなかったとはねえ」と評判になったものです。
これは、本題の「あはれなるもの」ではありませんが、御嶽の話のついでです。
男性でも、女性でも、若くて美しい人が、とても黒い喪服を着ているのは、あわれなことです。
九月の末、十月の初めの頃に、かすかに、聞えたか聞えないくらいに耳にした、きりぎりす(現在のコオロギ)の声。(現在と同じキリギリスという説もあるようですが、時期から無理な感じがします)
鶏が卵を抱いて伏している姿。
秋が深い庭の雑草に、露がさまざまな宝玉のように光っているさま。
夕方や明け方に河竹(真竹のことか)が風に吹かれて鳴っているのを、目覚めて聴いているの。
また、夜などは、何かにつけあわれを感じるものです。
山里の雪。
愛し合っている若い人の仲が、邪魔だてする者があって、思い通りにならないもの。
枕草子を指して「をかし」の文学と言われますが、この章段は「あはれ」がテーマです。
あげられている事例はともかくとして、この章段は大変大きな意味を持っています。それは、紫式部の夫が登場しているということです。
宣孝の世間の常識を逸脱したような振る舞いを、少納言さまは自己宣伝として受け取っているようです。
この一文は、宣孝没後に公表したようですが、その内容が紫式部は気に入らなかったらしく、紫式部日記などで少納言さまを責める一因になったようです。
まあ、才女同士、仕える中宮は別、作品の性格も全く別、どう考えても二人が仲良しだったら変ですよね。