枕草子 第百二十八段 故殿の御為に
故殿の御為に、月毎の十日、経・仏など供養させたまひしを、九月十日、職の御曹司にてせさせたまふ。上達部・殿上人いと多かり。
清範、講師にて、説く言はたいと悲しければ、殊にもののあはれ深かるまじき若き人々、みな泣くめり。
果てて、酒飲み、詩誦しなどするに、頭中将斉信の君の、
「月秋と期して身いづくか」
といふ言をうち出だしたまへり。詩はいみじうめでたし。いかで、さは思ひ出でたまひけむ。
(以下割愛)
故殿(中宮の父道隆、四月十日に死去)の御為に、中宮様は毎月十日に、経や仏の供養をされていましたが、九月十日のご供養は職の御曹司にて行われました。上達部、殿上人が大変多勢来られました。
清範(セイハン・説教の名人で、この時三十四歳)が講師で、お説教がとても悲しいものなので、特に信心深くもなさそうな若い女房たちも、皆泣いていたようであります。
供養が終わって、酒宴となり詩を誦したりなどする折に、頭中将斉信(トウノチュウジョウタダノブ)の君が、
『月秋と期して身いづくか・・・』
(月は秋となっても輝いているのに、月を愛でた人はどこへ行ってしまったのだろう)
と、声高く吟じ始められました。その詩がまた実にすばらしいのです。どうして、これほどこの場にふさわしい詩を思い出されたのでしょう。
私は中宮様のもとに参ろうと、上臈女房たちの間をかき分けるようにしていますと、中宮様が奥の方からお出でになられまして、
「すばらしいこと。まことに今日の法事のために吟じようと考えていたに違いない」
と仰いますので、
「そのことを申し上げようと思いまして、拝見するのもそこそこに参りましたのです。何とも、すばらしくてたまらない気がいたしましたもの」
と申し上げますと、
「そなたは、なおのことそう感じたのでしょう」
と仰られる。
斉信殿は、わざわざ私を呼び出したり、偶然に会えば会ったで、
「どうして、私と真剣に親しくして下さらないのか。それでも『私を憎らしいとは思っていない』と分かっているのだが、どうも納得いかない気分ですよ。これほど長年の馴染どうしが、他人行儀なままで終わるということなどない。殿上の間などに常に詰めていることがなくなれば、私は何を思い出とすればよいのか」
と言われるので、
「言うまでもないことです。もっと親しくなることは難しいことではありませんが、そうなれば、あなたをお褒めできなくなるのが残念なのです。主上の御前などでも、私がその役目のようにしてお褒め申し上げておりますのに・・・。どうしてこれ以上親しくなれましょうか。ただ、好意だけお持ちくださいませ。他人の思惑も気になりますし、私の良心もとがめて、お褒めの言葉を言いにくくなってしまいます」
と申しますと、
「どうして。特別の仲になった人を、世間の評判以上に褒める女性もいますよ」
と仰られるので、
「それが気にさわらないのならいいのですがねぇ。私は、男性にしろ女性にしろ、身近な人を大事にしたり、ひいきにしたり、褒めたり、他人が少しでも悪く言えば、大いに腹を立てたりするのが、惨めな気がするのです」
と申しますと、
「頼りがいのないことだなあ」
と仰られるのが、とても可笑しい。
本段の主役ともいえる斉信は、この時、従四位上蔵人頭左中将兼備中権守で二十九歳。後には大納言にまで昇進する人物です。
少納言さまの方が一歳年上ですが、一時二人が激しい仲違いをしていた様子は第七十七段に紹介されています。その後は親しい関係となり、本段を見る限り、何とも微妙な関係であったようです。
また同時に、少納言さまの性格といいますか、人柄の一端がうかがえる章段でもあります。
故殿の御為に、月毎の十日、経・仏など供養させたまひしを、九月十日、職の御曹司にてせさせたまふ。上達部・殿上人いと多かり。
清範、講師にて、説く言はたいと悲しければ、殊にもののあはれ深かるまじき若き人々、みな泣くめり。
果てて、酒飲み、詩誦しなどするに、頭中将斉信の君の、
「月秋と期して身いづくか」
といふ言をうち出だしたまへり。詩はいみじうめでたし。いかで、さは思ひ出でたまひけむ。
(以下割愛)
故殿(中宮の父道隆、四月十日に死去)の御為に、中宮様は毎月十日に、経や仏の供養をされていましたが、九月十日のご供養は職の御曹司にて行われました。上達部、殿上人が大変多勢来られました。
清範(セイハン・説教の名人で、この時三十四歳)が講師で、お説教がとても悲しいものなので、特に信心深くもなさそうな若い女房たちも、皆泣いていたようであります。
供養が終わって、酒宴となり詩を誦したりなどする折に、頭中将斉信(トウノチュウジョウタダノブ)の君が、
『月秋と期して身いづくか・・・』
(月は秋となっても輝いているのに、月を愛でた人はどこへ行ってしまったのだろう)
と、声高く吟じ始められました。その詩がまた実にすばらしいのです。どうして、これほどこの場にふさわしい詩を思い出されたのでしょう。
私は中宮様のもとに参ろうと、上臈女房たちの間をかき分けるようにしていますと、中宮様が奥の方からお出でになられまして、
「すばらしいこと。まことに今日の法事のために吟じようと考えていたに違いない」
と仰いますので、
「そのことを申し上げようと思いまして、拝見するのもそこそこに参りましたのです。何とも、すばらしくてたまらない気がいたしましたもの」
と申し上げますと、
「そなたは、なおのことそう感じたのでしょう」
と仰られる。
斉信殿は、わざわざ私を呼び出したり、偶然に会えば会ったで、
「どうして、私と真剣に親しくして下さらないのか。それでも『私を憎らしいとは思っていない』と分かっているのだが、どうも納得いかない気分ですよ。これほど長年の馴染どうしが、他人行儀なままで終わるということなどない。殿上の間などに常に詰めていることがなくなれば、私は何を思い出とすればよいのか」
と言われるので、
「言うまでもないことです。もっと親しくなることは難しいことではありませんが、そうなれば、あなたをお褒めできなくなるのが残念なのです。主上の御前などでも、私がその役目のようにしてお褒め申し上げておりますのに・・・。どうしてこれ以上親しくなれましょうか。ただ、好意だけお持ちくださいませ。他人の思惑も気になりますし、私の良心もとがめて、お褒めの言葉を言いにくくなってしまいます」
と申しますと、
「どうして。特別の仲になった人を、世間の評判以上に褒める女性もいますよ」
と仰られるので、
「それが気にさわらないのならいいのですがねぇ。私は、男性にしろ女性にしろ、身近な人を大事にしたり、ひいきにしたり、褒めたり、他人が少しでも悪く言えば、大いに腹を立てたりするのが、惨めな気がするのです」
と申しますと、
「頼りがいのないことだなあ」
と仰られるのが、とても可笑しい。
本段の主役ともいえる斉信は、この時、従四位上蔵人頭左中将兼備中権守で二十九歳。後には大納言にまで昇進する人物です。
少納言さまの方が一歳年上ですが、一時二人が激しい仲違いをしていた様子は第七十七段に紹介されています。その後は親しい関係となり、本段を見る限り、何とも微妙な関係であったようです。
また同時に、少納言さまの性格といいますか、人柄の一端がうかがえる章段でもあります。