枕草子 ちょっと一息
微妙な関係
第四十六段・職の御曹司・・、では、藤原行成との交際が描かれています。
少納言さまが二度結婚されているのは確かなようですが、そのほかにも交際が噂されたらしい人物が何人かいるようです。
当時の結婚は「妻問い婚」でしたから、夜、男が女のもとを訪れ、お互いが夫婦と認識し合えば結婚成立だったようです。
実際は身分によりもっと難しい条件もあったのかもしれませんが、結婚成立後も女性は実家に住み続け、男性も自分の家が生活拠点のままで、夜になれば妻のもとを訪れるというのが当時の貴族社会の普通の姿でした。しかも、そこそこの身分の男性なら、呼び方はともかくとして、実質的に妻が数人いるのはごく当たり前のことでした。しかも、女性もまた何人もの男性と男女関係を持つことが珍しいことではなかったようです。若くして亡くなった人は別ですが、皇室やよほどの有力者と結婚した女性以外では、再婚再々婚はごく普通のことのようでした。
女性の貞操観念に限って厳しく言われるようになるのは江戸時代以降のことではないでしょうか。
さて、そこで少納言さまと行成との関係についてです。
行成は、後に正二位権大納言まで昇進しています。超一流とまではいかなくとも堂々たる一流貴族といえます。また、能筆家として現在に名を残している人物です。
第四十六段に登場している頃は二十六歳位で、少納言さまより六歳年下でした。現在の感覚に直せば、三十数歳と四十数歳という感じではないでしょうか。
行成は男ざかりの頃ですが、どうやら派手さに乏しい実直な人物だったようです。しかし、少納言さまは行成を高く評価し、行成も少納言さまのことを尊敬し慕っていたようです。枕草子に再三登場していることからでも、二人が親しい関係にあったことは確かなようです。
多くの研究書は、二人は姉弟のような関係であったとしています。
しかし、私は、二人は大変微妙な関係であったと思っていますし、そうあって欲しいと願っています。
まあ、千年を隔てた今日、私ごときが張り切ってみても仕方のないことではありますが、真実は如何なものであったのでしょうか。
微妙な関係
第四十六段・職の御曹司・・、では、藤原行成との交際が描かれています。
少納言さまが二度結婚されているのは確かなようですが、そのほかにも交際が噂されたらしい人物が何人かいるようです。
当時の結婚は「妻問い婚」でしたから、夜、男が女のもとを訪れ、お互いが夫婦と認識し合えば結婚成立だったようです。
実際は身分によりもっと難しい条件もあったのかもしれませんが、結婚成立後も女性は実家に住み続け、男性も自分の家が生活拠点のままで、夜になれば妻のもとを訪れるというのが当時の貴族社会の普通の姿でした。しかも、そこそこの身分の男性なら、呼び方はともかくとして、実質的に妻が数人いるのはごく当たり前のことでした。しかも、女性もまた何人もの男性と男女関係を持つことが珍しいことではなかったようです。若くして亡くなった人は別ですが、皇室やよほどの有力者と結婚した女性以外では、再婚再々婚はごく普通のことのようでした。
女性の貞操観念に限って厳しく言われるようになるのは江戸時代以降のことではないでしょうか。
さて、そこで少納言さまと行成との関係についてです。
行成は、後に正二位権大納言まで昇進しています。超一流とまではいかなくとも堂々たる一流貴族といえます。また、能筆家として現在に名を残している人物です。
第四十六段に登場している頃は二十六歳位で、少納言さまより六歳年下でした。現在の感覚に直せば、三十数歳と四十数歳という感じではないでしょうか。
行成は男ざかりの頃ですが、どうやら派手さに乏しい実直な人物だったようです。しかし、少納言さまは行成を高く評価し、行成も少納言さまのことを尊敬し慕っていたようです。枕草子に再三登場していることからでも、二人が親しい関係にあったことは確かなようです。
多くの研究書は、二人は姉弟のような関係であったとしています。
しかし、私は、二人は大変微妙な関係であったと思っていますし、そうあって欲しいと願っています。
まあ、千年を隔てた今日、私ごときが張り切ってみても仕方のないことではありますが、真実は如何なものであったのでしょうか。