枕草子 第三十一段 菩提といふ寺に
菩提といふ寺に、結縁の八講せしに、詣でたるに、人のもとより、
「疾く帰りたまはぬ、いと寂々し」といひたれば、蓮の葉の裏に、
求めてもかかる蓮の露を起きて
憂き世にまたは帰るものかは
と、書きてやりつ。
まことにいと尊く、あはれなれば、やがてとまりぬべくおぼゆるに、「湘中」が家の人のもどかしさも、忘れぬべし。
菩提という寺で、結縁の八講をした日に参詣しましたところ、ある人の所から「早くお帰りにならないのが、とてもさびしい」と言ってきましたので、蓮の葉の裏に和歌を一首書いて送りました。
和歌の意味は、「自分から求め望んででも掛かって濡れたい、こうした蓮の露のような尊い講会をさしおいて、どうして辛い世の中に再び帰ることがありましょうか」といったもの。
本当に、たいへん尊くしみじみと心をうたれましたので、そのままお寺にとどまってしまいたい程に感じて、あの湘中の家族のじれったさも忘れてしまいそうでしたわ。
早く帰ってきて欲しいと言ってきた人が誰なのか、諸説あるようです。この人物がはっきりすると、少納言さまの私生活が覗けるのですがねぇ。
また、文中の和歌は「清少納言集」にも収められているようです。
最後部分の、「湘中(ショウチュウ)の家族・・・」は、湘中老人が、黄老の書を読むのに夢中になり、家路を忘れてしまったという故事からきています。
菩提といふ寺に、結縁の八講せしに、詣でたるに、人のもとより、
「疾く帰りたまはぬ、いと寂々し」といひたれば、蓮の葉の裏に、
求めてもかかる蓮の露を起きて
憂き世にまたは帰るものかは
と、書きてやりつ。
まことにいと尊く、あはれなれば、やがてとまりぬべくおぼゆるに、「湘中」が家の人のもどかしさも、忘れぬべし。
菩提という寺で、結縁の八講をした日に参詣しましたところ、ある人の所から「早くお帰りにならないのが、とてもさびしい」と言ってきましたので、蓮の葉の裏に和歌を一首書いて送りました。
和歌の意味は、「自分から求め望んででも掛かって濡れたい、こうした蓮の露のような尊い講会をさしおいて、どうして辛い世の中に再び帰ることがありましょうか」といったもの。
本当に、たいへん尊くしみじみと心をうたれましたので、そのままお寺にとどまってしまいたい程に感じて、あの湘中の家族のじれったさも忘れてしまいそうでしたわ。
早く帰ってきて欲しいと言ってきた人が誰なのか、諸説あるようです。この人物がはっきりすると、少納言さまの私生活が覗けるのですがねぇ。
また、文中の和歌は「清少納言集」にも収められているようです。
最後部分の、「湘中(ショウチュウ)の家族・・・」は、湘中老人が、黄老の書を読むのに夢中になり、家路を忘れてしまったという故事からきています。