雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

職の御曹司の

2015-01-08 11:00:29 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第四十六段  職の御曹司の

職の御曹司の西面の立蔀のもとにて、頭弁、ものをいと久しういひ立ちたまへれば、さし出でて、
「それは、たれぞ」といへば、
「弁さぶらふなり」とのたまふ。
     (以下割愛)


職の御曹司(中宮職の役所)の西面の立蔀のもとで、頭の弁が、誰かとたいそう長い間立ち話をしていらっしゃるので、その場に私が出て行って、「そこにいるのは誰ですか」と言うと、「弁がお伺いしているのです」とおっしゃる。

「何をそんなに話しこんでいるのですか。大弁が現れたら、あなたをお見捨て申し上げてしまうでしょうに」と言うと、たいへん笑って、「誰がこんなことまであなたに知らせたのでしょう。『それをどうかそうしないでくれよ』と話しこんでいるのです」とおっしゃる。

頭の弁は、特に目立ったり評判になるほど風流ぶった振る舞いなどしないで、ありのままにされているのを、他の女房たちは、表面だけを見て低い評価をしていますが、私は頭の弁の心の奥深くにあるものを知っていますので、「ありふれたお方ではありません」などと、中宮様にも申し上げ、また、中宮様もそのようにご承知でいらっしゃいましたが、頭の弁はいつも、
「『女は自分を愛する者のために化粧する。男は自分を理解する者のために死す』と古人は言っている」と、女の私に中国の古人の言葉をお引きになって話されるのです。きっと、私の気持ちをよく理解しているのです。

頭の弁と私は、「遠江の浜柳」のように、切っても切っても切れないという仲だと口約束していますのに、若い女房たちは、口から出るにまかせて、殿方の欠点や見苦しいことなどを、ずけずけと言い立てるものですから、
「行成様(頭の弁のこと)などは、妙にとっつきにくいお方だ。他の人のように歌をうたって楽しんだりもしないので、どうも白けてしまう」
などと女房たちは頭の弁を非難するのですよ。

それでも、なお一向に女房たちに物を言いかけることもなく、
「私は、目は縦向きにつき、眉毛は額の方に生えのぼり、鼻は横向きであるとしても、ただ口の格好が愛嬌があって、顎の下や、頸などがきれいで、声が憎らしげでないような人だけが好きになれそうなのです。とは言っても、やはり顔がひどく憎らしそうなのは、閉口ですが」と、いつもおっしゃるものですから、あごが細く、愛敬の乏しい女房などは、むやみに頭の弁を目の敵にして、中宮様にまで悪く申し上げているのです。

頭の弁は、中宮様にお取次を頼む時でも、最初に取次を頼んだ私を探し、私が自分の局に下がっている時でさえ召しだしたり、しょっちゅう局にまで来て話したり、宿下がりしている時は手紙を書いて届けさせたり、あるいはご自分でお出でになったりして、
「あなたの参内が遅くなるようでしたら『このように頭の弁が申しております』と中宮様に使者を参上させてください」と、おっしゃる。
「そのようなことは、他にも女房が控えているでしょう」などと言って、他の女房にお取次を譲るのですが、
「そんなことは出来ませんよ」と、全く受けつけない様子なのです。

「何事でも、その場に応じて、あり合わせのもので対処するのが、上策のようですよ」と、忠告がましいことを申し上げるのですが、
「それが、私の本心であり本性なのですから」とだけおっしゃって、
「改められないものが本当の心というものですよ」とおっしゃる。
「それでは『改めるのに躊躇はいらない』という教えは、いったい何を指すのでしょうか」と不思議がって見せますと、頭の弁は笑いながら、
「私たちは『仲が良い』などと噂されているのですよ。実際にこれほど親しく話をしているのに、どうして恥ずかしがるのですか。御簾越しではなく、顔ぐらいは見せなさいよ」とおっしゃる。

「私はとても憎らしい顔をしていますから、『そのような女は好きになれない』と前におっしゃっていましたので、お目にかかれずにいるのです」と言いますと、
「そうまで言われれば、本当に憎らしくなりますよ。それでは、顔は見せて下さるな」とおっしゃって、自然に顔を合わせるような時でも、さっさと自分の顔を袖で隠したりなどして顔を合わせようとしないので、
「あれが本心なのでしょう。いい加減なことはおっしゃらない方なんだ」と、思ってしまうです・・・。

さて、三月の末の頃ともなれば、冬の直衣が着にくいのでしょうか、下襲を省いた袍だけの人が多く、殿上の宿直もそのような姿が見られる早朝のこと、日がさしてくる頃まで、式部のおもとと小廂の間で寝ていますと、仕切りとなっている奥の引き戸を開けさせて、天皇と中宮様がお出ましなられたので、起きるに起きられず慌てているのを、たいそうお笑いになられる。
とりあえず格好をつけるために、唐衣を汗衫の上にそのまま着込んで、夜具類など色々な物にまだ埋もれているような状態の私たちのそばにお出でになられて、北の陣を出入りしている者たちを御覧になられる。

殿上人で、天皇や中宮様がお出でなどと全く知らないで寄ってきて、気安く話しかけなどする者などもいるのを、天皇は、
「私たちがここにいるというそぶりを見せるなよ」と言ってお笑いになる。
しばらくそのような様子をご覧のあと、奥へお立ちなられる。
「少納言も式部も、二人とも、さあ」と、お供をお命じなられましたが、私は「ただいま、顔など整え終えましてから」と言ってお供をご遠慮申し上げる。

お二人が奥にお入りになられたあとも、ご立派なお二人のご様子などを式部のおもととあれこれと話し合っていると、南の引き戸のそばにある几帳の腕木の突き出ているのに引っかかって、簾が少し空いている所から、黒っぽいものが見えるので、「則隆が控えているのでしょう」と思って、確認することもなく他のことなどを話していると、とてもにこにこしている顔が、今度はつき出てきたのですが、それをも、「則隆なのでしょう」と言いながら、目を向けたところ、別の顔なのです。

「まあ、あきれた」と笑いながら大騒ぎして、几帳を引き直して隠れましたが、それは頭の弁でいらっしゃったのです。
「顔をお見せしないように気をつけていましたのに」と、たいへん口惜しい思いです。一緒にいた式部のおもとは、背を向けているので寝起き顔を見られずに済んだのです。
頭の弁は部屋に姿を現して、
「たいへん結構でした。十二分にお顔を拝見しましたよ」とおっしゃるので、
「則隆だと思って、油断しておりました。どうして、『見たくない』とおっしゃていましたのに、そんなに穴があくほどご覧になったのでしょうか」と言いますと、
「『女性の寝起き顔を見るのはとても難しい』ということですから、ある女房の局に行って覗き見をして、もしかすると『あなたのお顔も見られるかもしれないと』と思って来たのです。、まだ天皇がおいでになっている時からいたのを、あなたは気付かなかったのですね」とおっしゃるのですよ。

このことがあった後は、平気で私の局の簾をくぐって入って来て、話などなさるようになったのです。



この章段は、藤原行成と少納言さまとの何とも微妙な関係が描かれています。

行成は、三蹟の一人といわれた平安中期屈指の能筆家であります。後には、正二位権大納言まで栄進する人物です。
この章段の最初の部分が二十六歳の頃で、少納言さまより六歳ほど年下でした。

文中に「遠海の浜柳」とありますのは、万葉集にある『霰降り遠つ淡海のあど川柳 刈れどもまたも生ふちふあど川柳』からの引用のようです。また、『刈っても刈っても生えてくる川柳』という言葉が男女の仲の例えとして当時使われていたようでもあります。
少納言さまと行成の仲は、私などは極めて微妙な関係と感じてしまうのですが、漢詩や漢文が男性が学ぶものとされていた当時、行成は少納言さまがその方面に対しても豊かな知識を有していることを率直に認め、尊敬していたことは確かなようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする