雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

小白河といふところは

2015-01-23 11:00:57 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第三十二段  小白河といふところは

小白河といふところは、小一条大将殿の御家ぞかし。そこにて、上達部、結縁の八講したまふ。
世の中の人、いみじうめでたきことにて、
「遅からむ車などは、立つべきやうもなし」
といへば、露とともに起きて、げにぞひまなかりける。轅の上にまたさし重ねて、三つばかりまでは、すこしものもきこゆべし。
     (以下割愛)



小白川というところは、小一条の大将済時殿のお屋敷でございますよ。
そこで上達部(カンダチメ・上級貴族)が、結縁の八講をなさいました。
世の中の人は皆たいへん素晴らしいこととして、
「遅く来るような車は、駐車できそうもない」
と言うので、朝露が置くとともに起きて行ってみますと、なるほど本当に隙間がなかったのです。
車の轅の上に、またあとの車の車台をさし重ねていて、まあ車三つぐらいまでは、少しはお説教の声も聞こえるのでしょう。

六月十余日(旧暦)のことで、暑いことといったらまったく例を知らないほどです。池の蓮に視線を走らせて極楽浄土を想像することだけが、たいへん涼しい気持にしてくれます。

左大臣、右大臣を別にしますと、おいでにならない上達部はいらっしゃいません。上達部がたは、二藍の指貫、直衣といった姿で、薄青色の帷子などを透き通るように召していらっしゃいます。
すこし年配のお方は、青鈍の指貫に白い袴といった姿なのも、とても涼しそうです。佐理の宰相(スケマサノサイショウ・従三位参議で当時四十三歳)なども、みな若々しくふるまっていて、ともかく、ありがたいことはこの上もありませんし、結構な眺めでもありました。

廂の間の簾を高く上げて、長押より上座に、上達部は本尊のある奥に向かい、ながながと並んで座っていらっしゃいます。
その次の座には、殿上人、若い君達(キンダチ・貴族の子女、公達に同じ)も狩装束、直衣などをたいへんおしゃれに着て、落ち着いて座ってもいないで、あちらこちらと歩きまわっているのも、たいへんおもしろい。
実方の兵衛の佐、長命の侍従などは、小一条の一門のお方なので、一段としげしげ出たり入ったりして物慣れていらっしゃる。まだ元服前の君達なども、とてもかわいらしい様子でそこにいらっしゃる。

少し日が高くなったころに、三位の中将とは今の関白殿を当時そう申し上げたのですが、その三位の中将が、唐綾の薄物の二藍色の直衣、二藍の織物の指貫、濃い蘇芳色の御下袴に、張りのばしてある白絹の単衣のとても鮮やかなのをお召しになって入っていらっしゃいましたが、あれほど軽快で涼しそうな装いの一座の方々の中では暑苦しく感じられそうですのに、「実に立派なご様子」にお見えになるのです。

朴(ホオ)、塗骨など、扇の骨は違いますが、一様に赤い地紙の扇を、人々がみな同じようにお持ちになり使っていらっしゃるのは、なでしこがみごとに咲いているのに、たいへんよく似ています。
まだ講師も高座に上がらないうちですが、お膳が出されていて、何なのでしょうか、どうも何か召しあがるようです。

義懐の中納言のご様子が、いつもよりまさっていらっしゃって、とてもご立派なのですよ。どなたもが色合いが華やかで、たいへん色艶美しく、鮮やかなので、どれがどうと優劣のつけがたいみなさんの帷子の中で、この方は、本当にただ直衣一つを着ているといったすっきりとしたお姿で、絶えずいくつかある女車の方に視線を走らせ、使いをやって何かそちらに言いかけていらっしゃるのです。
そのご様子をすばらしいと思わない人はいないことでしょう。


あとから来ている女車で、そこには入り込ませる隙間がなかったので池の近く引き寄せて駐車されているのを中納言が御覧になって、実方の君に、「言伝をちゃんと伝えられそうな者を一人呼ぶように」とお召しになると、どういう人なのだろうか、実方の君が選んで連れていらっしゃった。
「どう言い送ったらよかろうか」と、中納言の近くに座っていらっしゃる方々がご相談になっていて、しかしその言い送りをなさろうとする言葉はこちらまでは聞こえてきません。
呼ばれて来た使いの者はたいへん気取って女車のそばへ行く様子を、お笑いになっておられる。
使いの者は車の後ろの方に寄って口上を言うようですが、そのまま長い間立っていますので、
「あちらでは歌など詠むのだろうか。兵衛の佐(実方のこと・一座の中で最も和歌にすぐれていた)よ、返しの歌を今から考えておけ」などと笑っていて、「早く返歌を聞きたいものだ」と思って、そこに居られる人はみな、年配の上達部までが、みなそちらの方に目をやっていらっしゃるのです。
ほんとにねぇ、車に乗らずに外に立っている人々までが、それに注目していたのですから、おもしろいことでしたよ。

やっと返事を聞いたようです。使いの者が少しこちらに歩いて来たと思うと、女車から扇を差し出して呼び返すので、「歌などの言葉を間違えた時には、呼び返してでも訂正しようと思うのでしょうね。それにしても、これほど長い時間をかけたのですから、そのままで格好がつくものなら、わざわざ直すほどのこともありますまいに」と私には感じられました。

使いの者が帰りつくのも待ちかねて、「どうだった」「どうだった」と誰もがお聞きになっています。
それらの声には答えず、権中納言(義懐のこと・権中納言が正式)が使いの者に用をお言いつけになったので、使いの者はそこに参上し、気取った態度で報告しているようです。
三位の中将が、「早く言え。あまり格好をつけ過ぎて、返事をやりそこなうな」とおっしゃると、使いの者は、「これから申し上げることも、ご返事をやりそこなったのと同じことでございますよ」と言っているのが聞こえてきます。
藤大納言が、とりわけ熱心に覗き込んで、「どう言っていたのか」とおっしゃている様子なので、三位の中将が、「まっすぐな木を無理に曲げようとして、折ってしまったのでしょうねぇ」と申しあげると、藤大納言はお笑いなさいますので、あたりからはよく分からないままに、ざわざわと笑い声がたち、その声はかの女車の人にも聞こえたことでしょう。


中納言は、「それで、呼び返す前は、どう言ったのか、これは言い直したあとの返事なのか」とお問いになると、「長い間立っておりましたけれど、どうという返事もございませんでしたので、『それではこのまま帰参してしまいましょう』と言って帰ってきました時に、呼び返されたのです」などと申しあげています。

「誰の車だろう。ご存知の方はいますか」などと不審がっていらっしゃって、「さあ、歌を詠んで、今度はこちらから送ろう」などとおっしゃっていましたが、講師が高座に上がってしまったので、どなたもが座って静かになり、講師の方ばかり見ているうちに、女車はかき消すように見えなくなってしまったのです。
あの車は、下簾などは、今日使い始めたばかりに見えて、濃い紫の単襲(ヒトエカサネ)に、二藍の織物、蘇芳色の薄物の表着などの服装で、車の後ろにも、模様を摺りだしてある裳を、伸ばしてひろげたままうち下げなどしてあるのは、「いったい、どう言う人なのでしょうか。あの返事の仕方も、なまじ不完全な返事を無理にするよりは、なるほどもっともだと思われて、かえってとてもよい応対だ」と私には感じられました。

朝座の講師清範(セイハン・興福寺の僧でこの時二十五歳、説経の名人として名高かった)のその尊く美しい様子は、高座の上も光に満ちているような気持がして、とてもすばらしいものですよ。
暑さのやり切れなさに加えて、やりかけの仕事で、しかも今日中にしてしまわなくてはならないものを放っておいて「ほんの少しだけ聞いて帰ろう」と思っていたのですが、幾重にも重なって集まっている車なので、出られるはずもありません。
「朝の講が終わったら、やはり何としても出てしまおう」と思って、上に重なっている幾つかの車にそのことを伝えると、自分の車が高座の近くになることがうれしいからでしょう、早々と自分の車を引き出して場所をあけて私の車を出してくれるのを、室内の上達部、殿上人たちが御覧になって、やかましいほどに声をかけられ、、年のいった上達部までが中座する私を笑って非難するのにも耳をかさず、言い訳もしないで肩身の狭い思いを我慢して出て行きますと、
権中納言が、「やあ、『退くもまたよし』さ」と言って、お笑いになられたのは、とてもありがたく、すばらしいことでした。
しかし、それも耳にもとまらないほど、暑さもありうろたえあわてて出て来てしまいましたので、使いの者を通して、「あなた様も五千人の中にはお入りにならないこともないでしょう」と権中納言に言葉をおかけ申し上げて帰って来ました。

その八講の始めから結願の日まで、毎日駐車している車があったのですが、人が近寄ってくる様子もなく、全くあきれることに、まるで絵に描いたかのようにじっと動かずに過ごしたので、「めったにないことで、感心で奥ゆかしいことだ。いったいどういう人なのだろう、ぜひ知りたいものだ」と権中納言が人に聞いてお探しになっているのを、お聞きになった藤大納言などは「何が感心なことか。ひどく感じが悪く、無気味な者に違いない」と、とおっしゃったのが、とても愉快でしたわ。

そして、その月の二十日過ぎに、中納言が法師におなりになってしまわれたのは、本当に無常を感じることでした。
「桜などが散ってしまう」のも、それに比べれば、よほど当り前のことに思われます。
「(白露の)置くを待つ間の」と表現することさえ出来ないような、中納言のはかない御盛りのご様子に見えました。



この章段は、少納言さまが二十一歳の頃の様子を描いています。
まだ定子のもとに出仕する以前のことで、枕草子全体の中でも、かなり特別な位置にある章段ともいえます。

全体としては、当時貴族階級を中心に盛んであった、八講の様子を描いていますが、本段の主人公ともいえる藤原義懐(フジワラヨシチカ・権中納言、当時三十歳。妹は花山天皇の母)が、この催しの数日後に花山帝の退位、出家にともなう形で出家するという衝撃的な出来事が背景になっています。
また、女車が再々登場しますが、当時、この種の催しには女性は部屋に入ることはできず、牛車の中から聴聞していたのです。


また、少納言さまが途中退出する時の義懐との問答は、「釈迦が法を説こうとしていた時、五千人の増上慢(悟りを得ているとうぬぼれているもの)が座を立って退いた。釈迦はこれを制止せず、『かくのごとき増上慢の人、退くもまたよし』と言った」という仏教説話に基づいています。

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