小寺の小僧 ・ 今昔物語 ( 28 - 8 )
今は昔、
一条の摂政殿(藤原伊尹(コレマサ)のこと。摂政・太政大臣。972没。)が住んでおられた桃園は今の世尊寺である。
そこで、摂政殿が季の御読経(キノミドキョウ・春秋二季に大般若経を講読する法会。)を営まれた時、比叡山、三井寺ならびに奈良の寺々の優れた学僧を選んで招請されたので、皆参上したが、夕方の講座を待つ間に、僧たちは居並んで、ある者は経を読み、ある者は雑談などしていた。
寝殿の南面を御読経所として設えられていたので、そこに居並んでいたが、南面の築山や池がとても風情があるので、それを見て山階寺(ヤマシナデラ・興福寺の別称)の僧中算(チュウザン・のちに西大寺別当。976年に四十二歳で没。)が、「なんとすばらしいことか。この屋敷の木立(キダチ)は他に比べる所がない」と言ったのを、そばにいた木寺(キデラ・未詳)の基僧(キゾウ・延暦寺の僧らしい。)という僧が聞いていて、「奈良の法師というものは、物事にうといものだ。言葉遣いも卑しい。『木立(コダチ)』とは言うが、なんと『キダチ』と言っているようですぞ。まことに田舎者の言葉遣いじゃ」と言って、爪をぱちぱちとはじいた。(軽蔑の動作らしい。)
中算はこう言われて、「これは、申し損ないましたな。それでは、お前さまのことは、『小寺の小僧(「木寺の基僧」の「キ」の部分を「コ」と読み替えてからかったもの。)』と申さねばなりませんなあ」と言ったので、その場にいた僧たちはこれを聞いて、大声で爆笑した。
その時、摂政殿がこの笑い声をお聞きになって、「何を笑っているのか」と尋ねられたので、僧たちはありのままに申し上げると、摂政殿は、「それは、中算がそう言うために、基僧のいる前で言い出したことなのに、基僧はそれに気づかず、計略にはまってしまって、格好の悪いことだ」と仰せられたので、僧たちはいよいよ笑って、これより後は、「小寺の小僧」というあだ名がついてしまったのである。
「無駄なとがめだてをして、かえってあだ名がついてしまった」と言って、基僧は悔しがった。この基僧というのは[欠字あり。寺名が入るが不詳。]の僧で、木寺に住んでいたので、木寺の基僧というのてある。
中算は大変優れた学僧であったが、このような機知にとんだ物言いをする人でもあった、
となむ語り伝へたるとや。
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自分の解釈の確認で読ませていただきました。分かりやすい訳をありがとうございます。
ご教示有り難うございました。今後の参考にさせていただきます。
今後ともよろしくお願いいたします。