『 観音と糸で結ばれる ( 1 ) ・ 今昔物語 ( 16 - 8 ) 』
今は昔、
大和国、敷下郡に、植槻寺(ウエツキテラ・現在の大和郡山市にあったらしい。)という寺があった。等身の銅(アカガネ)の正観音(ショウカンノン・聖観音とも。)の霊験あらたかな寺である。
その近くに、その郡の郡司(グンジ・国司の下にあって郡を治めた。)が住んでいた。
娘が一人いたが、父母はこの娘をたいそう可愛がり、大切に育てていて、常にこの植槻寺に連れて参り、「この娘に、女としての魅力と富とをお与え下さい」と祈念していた。
やがて、娘も二十歳を過ぎたので、言い寄ってくる者がたくさんいたが、父母は「心に叶わない婿は取らない」と思って、厳しく人を選んで、なかなか結婚させないでいるうちに、母親はこれというほどの病気でもないのに、数日患って死んでしまった。
父親は母親よりも年上なので、「この先どうなることか」と案じていたが、父親もまた、長く患うこともなく、数日寝込んだだけで死んでしまった。
その後、この娘は一人で家に住んでいたが、月日が過ぎていくうちに、住んでいる家も荒れていった。仕えていた従者たちも皆出て行き、所有していた田畑も人に皆取らるなどして、自分の土地がなくなってしまったので、日に日に生活が苦しくなっていった。
そのため、この娘は心細いことばかりに、泣くばかりの日々を過ごして、四、五年になった。
こうした日々ではあるが、この娘は植槻寺の観音の御手に糸をかけて、これを自分の手に持ち、花を散らし、香をたき、心を尽くして、「わたしは独り身で両親もおりません。家の中は空っぽで財産もありません。生きて行くにもその術もありません。願わくば、大慈大悲の観音様、慈悲をおかけ下さって、わたしに福をお授け下さい。たとえ、わたしが前世の悪業によって、貧しい身を受けているとしましても、観音様の御誓願を思いますと、わたしをお助け下さらないことなどございませんでしょう」と、礼拝恭敬してお願いしていた。
ところで、隣りの郡の郡司に一人の息子がいた。年は三十ばかりで容姿は清らかである。正直で常識に外れるところはない。
ところが、その妻をたいそう愛していたが、懐妊して出産する時になって亡くなってしまったので、男は嘆き悲しんだがどうすることも出来ない。やがて、服喪の期間も過ぎたので、「京に上って、心に叶う妻を捜そう」と思い京に向かったが、途中で日が暮れたので、あの敷下郡の亡き郡司の娘の家に立ち寄って宿を取った。
家主の女(娘)は、見知らぬ人が強引に入ってきて宿を取ろうとするので、恐れて家の片隅に隠れていた。宿を貸したくはなかったが、戸を閉めて入れないわけにもいかないので、使用人に応対させて、「あの人たちの言うことは何でも聞き受けなさい。あのような人たちは、腹を立てると何をするか分からないので」と命じて、畳などを出して敷かせ、然るべき場所を掃除などさせると、「ここの人は、とても親切な人だな」と言って、掃除などしている使用人を呼んで、宿を借りた男は、「ここは、故郡司殿のお宅ではなかったですかな」と尋ねると、「さようでございます」と答えた。さらに、「大切に育てておられたお嬢さんがいらっしゃいましたが、どうなさっていられるのでしょうか」と尋ねると、「このように、お客様が見えましたので、西の方にそっと引き込まれています」と答えると、「そうでしたか」と言って、持参の食事などを取り出して食べ、そして、寝た。
男は、旅先の宿とて寝付かれぬまま、起き出してうろうろしているうちに、家主の女が隠れているあたりに行った。そっと近寄って聞き耳を立てていると、品のある女の気配がすると共に、ため息などしつつ忍び泣きしている声が聞こえた。
まことに哀れに思われて、そのまま聞き過ごしがたく、そっと引き戸を開けて歩み寄ると、女は、ひどくおびえた様子で、[ 欠字。「震えている」といった言葉か? ]き居たる所に、身体をすり寄せた。
そっと添い臥して、女の身体をさぐると、女は「どうすれば良いのか」と思って、着物をかき合わせて身を固くしていたが、男は、こうなればもう遠慮することもなく、女のふところ深くに入り抱き締めた。近くで見ると、一段と愛らしく見える。容姿もすばらしく、年頃も[ 欠字。年令が入るらしいが不詳。]にて、魅力的なことこの上ない。
「田舎人の娘でありながら、どうしてこれほど魅力的なのだろう。高貴な人の娘でも、これほどの女はいるまい」と感動を覚えながら抱き寝した。
やがて、いつしか夜が明けてしまったので、女は男に、「早く起きて、出て行って下さい」と言ったが、男は起きる気もしなかった。
( 以下 ( 2 ) に続く )
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