『 お堂を出た地蔵と毘沙門 ・ 今昔物語 ( 17 - 6 ) 』
今は昔、
土佐国に室戸の津という所がある。
そこに、一つの草葺きのお堂がある。津寺という。
そのお堂の軒の垂木の先端がみな焼け焦げていた。その所というのは、海の岸辺で、人里から遠く離れていて行き来の少ない所である。
さて、その津に住んでいる年老いた人が、このお堂の軒の垂木の先端が焼け焦げている由来を次のように語った。
「先年、野火が発生して、山野がことごとく焼けましたが、その時、突然一人の小僧が現れて、この津の人の家ごとに走り回って、大声で『津寺が今まさに焼失しようとしている。大急ぎで、里の人は総出で火を消して下さい』と言いました。
津の辺りの人々は、皆これを聞いて走り集まって来て津寺を見ますと、お堂の周りの辺りの草木は皆焼け払われていました。お堂は、軒の垂木の先端が焦げてはいましたが、未だ焼けてはいませんでした。そして、お堂の前の庭の中に、等身の地蔵菩薩と毘沙門天が、それぞれ安置されていたお堂を出て立っておいででした。ただ、地蔵は蓮華座には立っておられず、毘沙門は鬼の姿をした者を踏みつけてはいませんでした。
その時、津の人々は皆これを見て、涙を流して感激し、『この火を消したのは毘沙門天がなさったことだ。人々を呼び集められたのは地蔵のご方便だったのだ』と思って、その小僧を探しましたが、もともとその辺りには、その様な小僧はおりませんでした。これを見聞きした人は、『不思議な事だ』とたいそう感激し貴びました。
それから後は、この津を通り過ぎる船人で、信心深い道俗男女は、この寺に詣でて、その地蔵菩薩と毘沙門天に結縁し奉らない人はおりません」と。
これを思うに、仏や菩薩のご利益の不思議はたくさんあるが、まさしくこれは、火難に際して、お堂を出て庭にお立ちになり、あるいは小僧の姿となって人々を集めて火を消そうとなさったのである。これ皆、まことに有り難いことである。
人はもっぱら地蔵菩薩にお仕えすべきである、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
平安時代の霊験談が、今も生きているのには、驚きます😃
そんな所が、今昔物語集の面白さですね😃
いつもご意見ありがとうございます。
今昔物語には、史実かどうかよく分からない物、微妙に違っている物も少なくありませんが、それも含めて、楽しむべきと考えています。
今後ともよろしくお願いします。