ちょっぴり『老子』 ( 35 )
強兵で天下は治まるか
いつの世も
「 以道佐人主者、不以兵強天下。其事好還。師之所處、荊棘生焉。大軍之後、必有凶年。善者果而巳。不敢以取強。果而勿矜、果而勿伐、果而勿驕、果而不得巳、果而勿強。物壮則老。是謂不道。不道早巳。 」
『老子』第三十章の全文です。
読みは、「 道を以って人主を佐(タス)ける者は、兵を以って天下に強くせず。其の事好く還る。師の處(オ)る所には、荊棘(ケイキョク)生ず。大軍の後には、必ず凶年有り。善なる者は果なるのみ。あえて以って強を取らず。果にして矜(ホコ)るなかれ、果にして伐(ホコ)るなかれ、果にして驕るなかれ、果にして巳(ヤ)むを得ざれ、果にして強なるなかれ。物壮(サカン)なればすなわち老いる。是を不道という。不道なれば早く巳(ヤ)む。 」
文意は、「 道を以って人主を助ける者は、その国を兵を以って天下の強国としようとはしない。そのような事には必ず報いが返ってくる。師(軍団)が駐屯している所には荊棘(いばら)が生じる。大戦争の後には、田畑が荒らされ、必ず凶年がある。政治や外交に優れた善い者は、まことに果断である。しかし、決して果断を以って強大を取ろうとしない。果断であっても尊大になるなかれ、果断であっても自らの才能を誇るなかれ、果断であっても傲慢になるなかれ、やむを得ない場合のみ果断であれ、果断であっても、強くあろうとするなかれ。すべての物は強壮であれば、すなわち老いる。強壮に任せて推し進めることを不道という。不道であるものは、早く滅びる。 」
この章をもって、『老子』が非戦論者であると考える人もあるようです。
ただ、『老子』が生きたとされる時代は中国の春秋・戦国時代で、戦乱の絶えない時代でした。無防備な非戦論など通じる時代ではなかったはずですが、その時代でこのような文章を残していることは、意味あることと思われます。
文章全体をどのように捉えるかはさまざまだと思うのですが、兵力を前面に出した強引なものは早く滅びると教えているように思われるのです。
果断であること
軍事力の是非については、多くの考え方があると思われますが、少なくとも、『老子』の時代にすでに軍事力一辺倒では駄目だという考えがあったわけですが、同時に二千数百年を経た現代でも軍事力が国力を示す大きな尺度になっていることを考えますと、永遠の課題ということでしょうか。
ただ、この章を私たちの日常生活に生かすとなりますと、後半部分ではないでしょうか。
果断であることの大切さと、それにより、ややもすれば傲慢・尊大になりかねないことは、直接・間接に目にすることがままあるものです。しかも、自分で自分の行動は見えにくいものですから、十分自重が必要な気がします。
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強兵で天下は治まるか
いつの世も
「 以道佐人主者、不以兵強天下。其事好還。師之所處、荊棘生焉。大軍之後、必有凶年。善者果而巳。不敢以取強。果而勿矜、果而勿伐、果而勿驕、果而不得巳、果而勿強。物壮則老。是謂不道。不道早巳。 」
『老子』第三十章の全文です。
読みは、「 道を以って人主を佐(タス)ける者は、兵を以って天下に強くせず。其の事好く還る。師の處(オ)る所には、荊棘(ケイキョク)生ず。大軍の後には、必ず凶年有り。善なる者は果なるのみ。あえて以って強を取らず。果にして矜(ホコ)るなかれ、果にして伐(ホコ)るなかれ、果にして驕るなかれ、果にして巳(ヤ)むを得ざれ、果にして強なるなかれ。物壮(サカン)なればすなわち老いる。是を不道という。不道なれば早く巳(ヤ)む。 」
文意は、「 道を以って人主を助ける者は、その国を兵を以って天下の強国としようとはしない。そのような事には必ず報いが返ってくる。師(軍団)が駐屯している所には荊棘(いばら)が生じる。大戦争の後には、田畑が荒らされ、必ず凶年がある。政治や外交に優れた善い者は、まことに果断である。しかし、決して果断を以って強大を取ろうとしない。果断であっても尊大になるなかれ、果断であっても自らの才能を誇るなかれ、果断であっても傲慢になるなかれ、やむを得ない場合のみ果断であれ、果断であっても、強くあろうとするなかれ。すべての物は強壮であれば、すなわち老いる。強壮に任せて推し進めることを不道という。不道であるものは、早く滅びる。 」
この章をもって、『老子』が非戦論者であると考える人もあるようです。
ただ、『老子』が生きたとされる時代は中国の春秋・戦国時代で、戦乱の絶えない時代でした。無防備な非戦論など通じる時代ではなかったはずですが、その時代でこのような文章を残していることは、意味あることと思われます。
文章全体をどのように捉えるかはさまざまだと思うのですが、兵力を前面に出した強引なものは早く滅びると教えているように思われるのです。
果断であること
軍事力の是非については、多くの考え方があると思われますが、少なくとも、『老子』の時代にすでに軍事力一辺倒では駄目だという考えがあったわけですが、同時に二千数百年を経た現代でも軍事力が国力を示す大きな尺度になっていることを考えますと、永遠の課題ということでしょうか。
ただ、この章を私たちの日常生活に生かすとなりますと、後半部分ではないでしょうか。
果断であることの大切さと、それにより、ややもすれば傲慢・尊大になりかねないことは、直接・間接に目にすることがままあるものです。しかも、自分で自分の行動は見えにくいものですから、十分自重が必要な気がします。
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