雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

雲は白き

2014-06-12 11:00:47 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二百三十七段  雲は白き

雲は、
白き。紫。黒きも、をかし。
風吹くをりの雨雲。
明け離るるほどの黒き雲の、やうやう消えて、白うなりゆくも、いとをかし。「朝に去る色」とかや、詩(フミ)にも作りたなる。
月のいと明かき面に、薄き雲、あはれなり。


雲は、
白い雲が良い。紫も。黒い雲も、風情があります。
風が強く吹く時の雨雲も、良いものですよ。
夜が明けきる頃に空をおおっていた黒い雲が、少しずつ消えていって、空全体が白くなっていくのは、とても良いものです。「朝(アシタ)に去る色」とかいって、詩にも作られているようです。
月がとても明るいところに、薄い雲がかかっているのも、とても情緒があります。



雲ということになりますと、天候との関連も強くなります。
ここにも挙げられているように、少納言さまは、嵐の時の雲も含めて、黒い雲がお気に入りのように思われます。
「朝に去る色」の部分は、白楽天からの引用のようです。
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騒がしきもの

2014-06-11 11:00:38 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二百三十八段  騒がしきもの

騒がしきもの。
走り火。
板屋の上にて、鳥の、斎(トキ)の生飯(サバ)食ふ。
十八日に、清水に籠もり合ひたる。
暗うなりて、まだ火もともさぬほどに、ほかより人の来合ひたる。まいて、遠きところの他(ヒト)の国などより、家の主の上りたる、いと騒がし。

近きほどに、「火出で来ぬ」といふ。
されど、燃えはつかざりけり。


騒がしいもの。
ぱちぱちとはね飛ぶ火の粉。
板屋根の上で、鳥が施餓鬼の食べ物を運んで食べている様子。
十八日(観音菩薩の縁日にあたる)に、清水寺に参籠者が立て込んだ時。
家の中が暗くなって、まだ灯りをつける前の頃に、来客が大勢来合せてしまった時。まして、遠方にある地方などから、その家の主人が上京した時などは、とてもあわただしい。

近所で、
「火事だ」という声がした時。
けれど、延焼はまぬがれました。



「騒がしきもの」という言葉の意味は、現在とほとんど変わらないようです。
少納言さまが挙げられている事例も、火の粉がぱちぱちはねる様子や、鳥の騒ぐものと、人が立て込んだり大騒ぎするものなどを並べていますが、現在も同様の使い方をしています。
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謎めいていて ・ 心の花園 ( 59 )

2014-06-11 08:00:34 | 心の花園
          心の花園 ( 59 )
               謎めいていて

心の花園には、あらゆる花が咲いています。
花の季節も、地域を選ぶものでも、心の中であれば、あらゆる花を望みのままに咲かせることができます。
「黒百合」は、それらの花の中でも、何か謎めいているように感じられます。

わが国に自生する「黒百合」は、わが国固有のもののようです。分布としては、本州中央部より北、北海道から千島列島、サハリン、シベリヤ、アラスカ辺りまで自生が確認されているようです。
「黒百合」は、ユリ科の植物ですが、いわゆる百合の花とは少し違う植物です。
山百合や鉄砲百合は、ユリ科ユリ属に分類されますが、「黒百合」は、ユリ科バイモ属に分類されます。例えば、チューリップは、ユリ科チューリップ属に分類されますので、山百合と「黒百合」とは少し性格が違う植物といえます。

わが国に自生している「黒百合」には、変種として、北海道の低地に自生する草丈50cm程のエゾクロユリと、中部地方より北から北海道の高地に自生する草丈20cmほどのミヤマクロユリがあります。他にも、黄色い花を咲かせるものもあるそうです。
黄色い花を咲かせる「黒百合」というのも何とも不思議ですが、他のものも、真っ黒の花というより黒みがかった紫という花色をしています。

「黒百合」の花言葉は、「恋」そして「呪い」です。ずいぶん違った意味の花言葉ですが、どちらも伝説から来ています。
「恋」は、アイヌ民族の伝説に、「黒百合」を好きな人の側に名前も告げずに置いておき、その人が手に取ってくれるといつの日にか結ばれる、というものです。
「呪い」の方は、戦国時代、富山城主佐々成政は秀吉軍に攻められ、厳冬の北アルプスの立山を越えて家康の援軍を得ようとしましたが思いに任せず、窮地に追い込まれていました。ちょうどその頃、かねてから最も寵愛していた愛妾の早百合が密通しているとの噂が伝えられたのです。成政は濡れ衣だと訴える早百合を成敗してしまいました。その時早百合は、「立山に黒百合が咲く時、佐々の家は滅びる」と言い残したというのです。この話には続きもあるようですが、このことから「呪い」という花言葉が生まれたそうです。

二つの花言葉は、かなり意味合いが違いますが、伝説を見てみますと、何とも切ないものが含まれています。
なかなか「黒百合」を見る機会は少ないかもしれませんが、謎めいたこの花に思いを傾けてみるのもいかがでしょうか。

     ☆   ☆   ☆
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ないがしろなるもの

2014-06-10 11:00:34 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二百三十九段  ないがしろなるもの

ないがしろなるもの。
女官どもの髪上げ姿。
唐絵の革の帯のうしろ。
聖のふるまひ。


いい加減なもの。
下級の女官たちは、礼装は厳格でなければならないが、身分柄上等の物は使えず、安物の飾り櫛などをやたら付けている姿。
唐絵にみる皮帯の使われ方のいい加減なこと。
聖のふるまい。



短い章段ですが、なかなか分かりにくい部分があります。
「唐絵・・・」の部分ですが、どうやら主役は皮帯のようです。皮帯は、正面前面部分に金や玉で美しく飾られているが、唐絵に描かれている人物像では、正面部分は上着や袂に隠れて見えず、背面の何の装飾もない部分だけが見えている。従って、唐絵の中の皮帯の働きはいい加減なものだということらしい。
少納言さまらしい観察だといえば、確かにその通りなのですが。
「聖のふるまい」というのも分かりにくいのですが、行者や高野聖のふるまいが、一般人の目を気にしない気ままなものに見えることを指しているらしいです。
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言葉なめげなるもの

2014-06-09 11:00:53 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二百四十段  言葉なめげなるもの

言葉なめげなるもの。
宮の祭文読む人。
船漕ぐ者ども。
雷鳴の陣の舎人。
相撲。


言葉遣いのきたないもの。
宮(ミヤノベ)の祭文読む人。(不吉を退け幸福を求めるために六柱の神をまつった祭りであるが、その祭文は卑俗滑稽なものを並べたものであった。後世の演芸に影響を与えた)
船を漕ぐ者たち。
雷鳴(カミナリ)の陣の舎人の交わす言葉。
相撲。(各地から人を集めるので、交わす田舎言葉が粗雑という意味らしい)



言葉遣いのきたないもの、というように現代訳していますが、少納言さまの意図は少し違うような気もします。
宮の祭文というのは、言葉遣いというより、その内容が卑猥だということのようです。あとのものは、荒々しいというものではないでしょうか。特に雷の陣の舎人は、天皇や中宮を護るのですから、言葉遣いが汚いというのとは違うはずです。
ただ、うまい訳が見つかりませんでした。
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ちょっと一息 ・ 平安の言葉

2014-06-08 11:00:40 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
      枕草子  ちょっと一息 


平安の言葉

清少納言が生きていた時代、人々はどのような言葉を話していたのでしょうか。

テレビドラマや映画などで、私たちは平安時代の人々が会話するシーンを見ることが出来ます。
おそらく、歴史や時代考証などに優れた知識を持つ人たちが「セリフ」を作り上げていくのでしょうが、きっと大変な作業でしょうね。
私たちは、それもある程度年齢を重ねている人は、平安期のドラマ、例えば、源平をテーマとしたもの、平安王朝を描いたものなどを通じて、その時代の人たちの言葉にある程度の知識を持っているような気がします。
いつの間にか、それが平安の言葉だという錯覚が身についてしまっているわけです。

しかし、正しくは、当時の話し言葉が残っているわけでもなく、きっと相当違うような気がするのです。
文章に書かれている言葉であれば、枕草子をはじめかなりの文献がありますので、その中から話し言葉をある程度推定することが出来るかもしれません。ただ、当時は書き記す言葉と話し言葉とにはかなりの差があるような気がします。
また、貴族たちの会話であれば、近代の宮中や公家社会の方の話し方から、当時を推し量ったりすることが出来るかもしれませんが、やはり千年の時を経ていれば、相当違うはずです。いわんや、一般庶民の話し言葉となれば、全くの想像だけではないでしょうか。

枕草子には、「さわがしきもの」といった形の章段がいくつかあります。それらの中身を見ていますと、かなり感覚の違うものもありますが、多くの言葉が現代の私たちにも理解出来る使われ方がしています。それを考えると、案外、千年という時間の差など大したことはないのかもしれません。

枕草子の中にも、会話調の部分が数多く登場します。その意味を知ることも楽しみですが、本当はどのように話したのか、実際に口に出してまねてみるのも面白いですよ。
但し、くれぐれも他の人には聞かれないようにする方が無難ですよ、念のため。
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さかしきもの

2014-06-07 11:00:23 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二百四十一段  さかしきもの

さかしきもの。
今様の三歳児(ミトセゴ)。
乳児の祈りし、腹などとる女。物の具ども乞ひ出でて、折りものつくる、紙をあまたおし重ねて、いと鈍き刀して切るさまは、一重だに断つべくもあらぬに、さる物の具となりにければ、おのが口をさへひきゆがめて押し切り、目多かるものどもして、かけ竹うち割りなどして、いと神々しう仕立てて、うちふるひ祈る言ども、いとさかし。
     (以下割愛)


口達者な者。
近頃の三歳児。
乳幼児の病気平癒を祈祷し、産婦の按摩按腹などを業とする巫女。必要な材料などを出してもらって、祈祷の道具を作るのですが、紙を沢山押し重ねて、とてもなまくらな刀で切るさまは、一枚でも切ることが出来ないのに、きまりの道具になっているものですから、自分の口まで引き歪めてむりやり押しきり、刃の沢山ついた金物なんかで、幣を掛ける竹を打ち割りなどして、たいそう神々しく仕上げて、大きな幣を打ち振り祝詞を上げたりするのは、実に達者なものです。

その上、
「何とかの宮様、どこそこの殿の若様が、ひどくお苦しみでございましたので、拭いとるようにおなおし申し上げたものですから、ご祝儀を沢山下されたことったら。誰や彼やと他の祈祷師をお召しでしたが、効き目がなかったものですから、とうとう、この婆をね、お召しになりご贔屓にあずかっていますよ」
などと、話している顔も、物欲しそうなのですよ。

下種の家の女主人。
馬鹿な奴。そんな馬鹿が、口だけは達者で、本当に賢い人に教えがましくしたりするのですから。



いつの世も、あまり口が達者すぎるのは嫌われるようです。
ただ、枕草子の中では、御前近くに仕える女房方も、おしゃべりの方が多いようです。少納言さまはどうだったのでしょうか? 一言多いような場面が、たまに見受けられますが・・・。
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ただ過ぎに過ぐるもの

2014-06-06 11:00:35 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二百四十二段  ただ過ぎに過ぐるもの

ただ過ぎに過ぐるもの。
帆かけたる舟。
人の齢。
春・夏・秋・冬。


どんどん過ぎていくもの。
追い風に帆を張った舟。
人の年齢。
春・夏・秋・冬。



ごく分かりやすいたとえが三つ並んでいます。
「ただ過ぎに過ぐるもの」という書き出しにしては、挙げられているものが簡単すぎる感じがします。
気の利いた逸話の一つや二つは簡単に並べられると思うのですが、さらりと誰でも思い浮かぶようなものを三つだけ並べたところに、少納言さまの私などでは及ばない計算があるのでしょうか。
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殊に人に知られぬもの

2014-06-05 11:00:36 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二百四十三段  殊に人に知られぬもの

殊に人に知られぬもの。
凶会日(クエニチ)。
人の女親の老いにたる。


うっかりしていると人が忘れているもの。
凶会日。
他人の年取った女親の存在。



凶会日とは、節季ごとに割り当てられる凶日のことで、日時や方角などの吉凶が当時の人たちにとって重要な意味を持っていました。それでも、通常定められている大凶日や物忌などには注意していても、凶会日はうっかり忘れることが多かったのでしょう。少納言さまも、懸命に暦などをチェックされていたのでしょうか。
それほど社会的な地位の無い人の女親は、うっかりしているとその存在さえ忘れられるということは、当時もやはり女性の方が長命だったのでしょうね。
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文言葉なめき人こそ

2014-06-04 11:00:54 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二百四十四段  文言葉なめき人こそ

文言葉なめき人こそ、いと憎けれ。世をなのめに書き流したる言葉の憎きこそ。
さるまじき人のもとに、あまり畏まりたるも、げにわろきことなり。されど、わが得たらむはことわり、人のもとなるさへ、憎くこそあれ。

おほかた、さし向ひてもなめきは、「など、かくいふらむ」と、かたはらいたし。まいて、よき人などを、さ申す者は、いみじうねたうさへあり。
田舎びたる者などの、さあるは、烏滸にていとよし。
男主などなめくいふ、いとわるし。
     (以下割愛)


手紙の言葉が失礼な人ときたら、たいそう憎らしい。世間を小馬鹿にしたかのように書き流している言葉遣いが憎らしいのです。
それほどでもない人のもとに、あまりに丁重すぎるのも、ほんとによくないことです。けれども、失礼な手紙は、自分が受け取ったのはもちろん、他人の所に来たものでさえ、腹が立つというものですよ。

大体、面と向かってでも言葉遣いが失礼なのは、「どうして、そのようなことを言うの」と、苦々しい。まして、高貴な方のことなどを、そんなふうに言う者は、ひどくしゃくにさわりますよ。
田舎っぽい者などが、ぞんざいな口を利くのは、滑稽でむしろ結構です。
一家の男主人に対してぞんざいな口を利くのは、とてもよくありません。

自分が召し使っている者などが、自分のことに「どうこうでいらっしゃる」「おっしゃる」など言うのを聞いていて、いらいらします。「そこのところで、『ございます』などという言葉を使わせたい」と思うことが、実に多いのですよ。
気軽に注意してやれる者には、
「人さまに対して可愛げがない。どうして、こうもお前は言葉遣いはぞんざいなの」
と言えば、そばで聞いている者も、注意した本人も、笑っている。私が、神経質すぎるのでしょうか、
「あなたは、細かいことに気が付き過ぎます」
などと人が言うのも、傍目にはよく映っていないからでしょうね。

殿上人や宰相などを、本名をそのままに、何の遠慮もなく言うのは、大変ぶざまなことですが、はっきり本名を呼ばず、女房の局で使われている女をさえ、「あのお方」「君」などというものだから、「こんな嬉しいことはない」と思い、言った人を褒めるのは、大変なものです。殿上人や君達のことは、御前の他では、官職のみを言います。(御前では、本名を呼び捨てにする)
また、御前にては、女房は、自分たちだけで話す場合でも、お耳に入る場合には、どうして「まろが」などと言うものですか。そういうのは畏れ多いことですし、「まろ」なんて言わなくても、不都合なことなどありませんよ。(自分のことを「まろ」と言うのは、遠慮のない内輪での言葉らしい)



少納言さまも、口やかましい小母さんだと言ってしまえばそれまでなのですが、繊細な文章を書く人だけに、無神経な言葉遣いが気に入らないのでしょう。
特に、必要以上の敬語とか、不適切な敬語の使い方に厳しいようです。
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