雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

ちょっと一息 ・ その奥にあるもの

2014-07-22 11:00:40 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
     枕草子  ちょっと一息 


その奥にあるもの

ここ、しばらくの間、短い文章が続いています。
何度か述べさせていただきましたが、枕草子の中には、一つの章段がとても短いものが結構あります。そして、短いもののほとんどが「何々は・・」といった形式のものです。

枕草子全段読破を目指している者としては、この種の章段に戸惑うことが多々あります。
第百九十一段以降の辺りを見て見ましても、「浜は・・」「浦は・・」「森は・・」寺は・・」などと続いています。
「なるほど、いろいろ紹介しているんだな」と割り切ってしまえば簡単なのですが、少納言さまはどういう心算でこの文章を残したのか、と考えてみますと、なかなかすっきりとしないのです。
「単なる備忘録なのか」「当時の人に見せて感動を得るようなものであったのか」「千年後の私たちのためという意識はないまでも、後世のための記録であったのか」「歌枕や故事や古歌などの知識を駆使するためであったのか」「退屈を紛らすに過ぎなかったのか」等々考え込んでしまいます。

研究者は、それぞれの場所などについて、現在のどこにあたるか、故事や古歌との関連、人物との関連、など多方面に調査されたり、研究されたりしているようですが、単なる清少納言ファンに過ぎない私などには、なかなか荷の重い部分です。
まあ、結論としましては、研究者たちのご苦労をありがたく頂戴して、さらりと読み流して行くことにしました。そして、特に興味のある部分については、改めて勉強してみるのが良いかと考えています。
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遊びわざは

2014-07-21 11:00:26 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二百一段  遊びわざは

遊びわざは、
小弓。
碁。
さま悪しけれど、鞠もをかし。


遊技としては、小弓(単に小さな弓ということではなく、「小弓肝要抄」に規定が記されている)。
碁。
格好は悪いが、蹴鞠も面白い。



これは、いわゆる「遊び」のことです。
あげられているものは、面白いものとしてなのでしょうが、他にももっとたくさんのものがあったはずです。
少納言さまご自身は、この三つともあまり経験なさそうですから、ご自分の好きなものを書き残して欲しかったですねぇ。
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舞は駿河舞

2014-07-20 11:00:58 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二百二段  舞は駿河舞

舞は、
駿河舞。求子いとをかし。
太平楽。太刀などぞ、うたてあれど、いとおもしろし。「唐土に、敵どちなどして舞ひけむ」などきくに・・・。
鳥の舞。
抜頭は、髪ふり上げたる目見(マミ)などは、うとましけれど、楽もなほいとおもしろし。
落蹲は、二人して、膝踏みて舞ひたる。
駒形。


舞は、
駿河舞。特に求子(モトメコ)がとてもいい。(東遊[アズマアソビ]には五首の歌曲があり、第三の駿河舞と第四の求子だけに舞がある)
太平楽(天下泰平を祝う舞楽)。太刀などが、恐ろしいけれど、とても面白い。「唐の国で、敵同士で舞ったそうだ」などと聞くにつけても・・・。
鳥の舞(供養法会の奉納舞楽)。
抜頭(バトウ・長髪をふりみだし、恐ろしい面を付け、ばちをもって舞う一人舞。西域から伝わった)は、髪ふりあげた時の目つきなどは、気味が悪いが、音楽などもやはりとても面白い。
落蹲(ラクソン・「なっそり」という高麗舞は本来二人舞だが、一人舞の場合に落蹲という。なっそりのことを指している感じ)は、二人して、蹲踞(ソンキョ)の姿勢で舞うのですよ。
駒形(駒が戯れるのをまねた舞)。



短い章段ですが、内容はなかなか難解です。
この時代の舞は、その殆どが神や仏への奉納であり、祈祷であり、祈願だと思われます。一般庶民が娯楽として踊り舞うということもあったのでしょうが、その背景には、やはり、やるせない願いがあったのではないでしょうか。
ここに紹介されているものを見ても、少納言さまの時代、単に朝鮮半島や中国に限らず、さらに西の国からも伝わっているのですから、意外に国際交流が行われていたんですねぇ。
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弾くものは琵琶

2014-07-19 11:00:46 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二百三段  弾くものは琵琶

弾くものは、
琵琶。
調べは、
風香調。黄鐘調。蘇合の急。鶯の囀りといふ調べ。

筝の琴、いとめでたし。
調べは、相府蓮。


弦楽器としては、
琵琶が良い。
楽曲は、
ふがうでう。わうしきでう。そがふのきふ。鶯の囀りという調べ。
(琵琶二十六調といわれていて、多くの曲が演奏されていたらしい。その代表的なものが挙げられているらしい)

筝の琴(シャウノコト・糸が十三本ある琴)、たいへんすばらしい。
楽曲は、相府蓮(サウフレン・もともとは晋の王倹が蓮を植えて愛でた時の曲だが、日本では、想夫恋として、夫を想う曲として有名になった)が良い。



枕草子には、音楽に関する話題などが随所に出てきます。
当時、音楽や文学などに今日でいう芸術という観念があったのかどうか知らないのですが、宗教的な背景と共に、重要な教養の一つであったようです。
貴族の女性にとっては、琴などは必須の教養だったようですが、さて、少納言さまの腕前は、どの程度だったのでしょうか。
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笛は横笛

2014-07-18 11:00:58 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二百四段  笛は横笛

笛は、
横笛、いみじうをかし。遠うよりきこゆるが、やうやう近うなりゆくも、をかし。近かりつるが、遥かになりて、いとほのかにきこゆるも、いとをかし。
車にても、かちにても、馬にてもすべて、ふところにさし入れて持たるも、なにとも見えず、さばかりをかしきものはなし。まして、きき知りたる調子などは、いみじうめでたし。
暁などに忘れて、をかしげなる、枕のもとにありける見つけたるも、なほをかし。人の、取りにおこせたるを、おし包みてやるも、立文のやうに見えたり。
     (以下割愛)


笛は、
横笛、大変すばらしい。遠くから聞こえてくる音が、だんだん近づいてくるのも、いいものです。近くで聞こえていたものが、遠のいて行き、ほんのかすかに聞こえているのも、とても情緒があります。
車の中でも、徒歩でも、馬上であってもすべて、懐に差し入れて持っていても、全然目立たず、これほど結構なものはありません。まして、自分が知ってる調べを聞いた時などは、ほんとうにすばらしい。
暁などに、男が忘れていった結構な横笛が、枕のもとにあるのを見つけた時などは、一層情緒が増してきます。忘れた人が、取りに使者を寄こしてきたので、横笛を紙に丁寧に包んで渡すのも、まるで立て文のように見えるのですよ。

笙の笛(ショウノフエ・十七本の竹管を用いており、雅楽で使われる)は、月の明るいもとで、車の中で通りすがりなんかに聞きつけたりするのは、とてもいいものです。しかし、どうも複雑で、取り扱いにくそうに見えます。それに、笙を吹くときの顔ときたらどうですか。もっとも、横笛でも、吹き方次第ということではありますわね。

篳篥(ヒチリキ・笙に似ている)は、ほんとにうるさくって、秋の虫でいうなら、くつわ虫のような気がして、不愉快で、間近では聞きたくもありません。まして、下手くそなのは、全く腹が立ちますが、臨時の祭りに、まだ皆が天皇の前に姿を見せないで、物陰で、横笛をすばらしい調子で吹きだしたのを、「まあ、いいわねぇ」と聞いていると、途中から篳篥が加わってきて吹きたてたものですから、それはもうひどいもので、端麗な髪をしているような人でも、全ての髪が逆立ってしまいそうな気持がしましたわ。
そのうちに、琴や笛に合わせて、御前に歩み出てきたのは、たいへん結構でした。



男性が吹く笛の音を、少納言さまはお気に入りのようです。とくに、若い貴公子が吹く笛の音が。
笙や篳篥は、現在では雅楽の代表楽器のように思うのですが、少納言さま、あまりお気に召さないようです。それも、下手くそな篳篥には腹が立つといっていますが、これは現在でも同じようで、下手なバイオリンなどを聞くと、少納言さまと気持ちを同じにすることが出来るかもしれません。
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見物は臨時の祭

2014-07-17 11:00:02 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二百五段  見物は臨時の祭

見物は、
臨時の祭。行幸。祭の還(カヘ)さ。御賀茂詣。

賀茂の臨時の祭り。
空のくもり、寒げなるに、雪すこしうち散りて、挿頭の花・青摺などにかかりたる、えもいはずをかし。太刀の鞘の、きはやかに黒う、まだらにて、広う見えたるに、半臂の緒の、やうしたるやうにかかりたる、地摺の袴のなかより、「氷か」と、おどろくばかりなる打ち目など、すべて、いとめでたし。
     (以下割愛)


見物(ミモノ・一見の価値のあるもの)は、
臨時の祭り(三月の石清水臨時祭と、十一月の賀茂臨時祭を指す)。行幸。賀茂祭の帰りの行列。御賀茂詣(摂関家の賀茂詣での行列)。

賀茂の臨時の祭り。
その日は、空が曇って、寒々としている上に、雪が少しちらついて、勅使や舞人や陪従などの挿頭の花(カザシノハナ・清涼殿の東庭で賜ったもの)や青摺の袍などにかかっているのが、何とも風情があります。太刀の尻鞘(シリザヤ・鞘を覆うもので、虎や豹の皮などが用いられた)がくっきりと黒く、黄色とまだらになっていて幅広く見えるのに、半臂(ハンピ・束帯の時の上の衣)の緒が磨かれたように光ってかかっているのや、地摺の袴のかがり目から見える、「氷か」と驚かされるほど光沢のある大口袴の紅など、どれもこれも、とてもすばらしい。

もう少し大勢で行列させたいのですが、勅使は、必ずしも良い家柄の君達と限りません。受領などである場合は、見る気もしないし、感じも悪いのですが、挿頭花の藤の花にその顔が隠れてるのは、まあまあよろしい。
それでも、行列が過ぎて行った後を見ていると、陪従の、品のない柳色の下襲に、挿頭の山吹が釣り合っていないように見えるが、泥障(アフリ・騎乗用の泥除け)をとても高く打ちならして、
「神の社のゆふだすき」(「ちはやぶる神の社のゆうだすき 一日も君をかけぬ日はなし」古今集からの引用。ゆうだすきは、麻などの樹皮から作った糸で編んだたすき)
と、うたっているのは、とても風情があります。

行幸に匹敵する見物など、他にはないでしょう。
天皇が御輿に乗っておられるのを拝見いたしますと、「毎日お側でお仕えしている」同じお方とは思えぬほど、神々しく、威厳があって、ご立派で、いつもは目にもとまらない何々の司(内侍司と特定するのをぼやかしている)や、姫大夫(ヒメマウチギミ・内侍司に属し、行幸の際、馬に乗って供奉する女官)までが、高貴で、すばらしく感じられるのですよ。御綱の次将(ミツナノスケ・御輿の四方に張られた綱を引く下男の側に供奉する近衛の中少将)をつとめる中・少将は、とても風情があります。
行列を指揮する近衛の大将こそ、何よりも格別にすばらしい。近衛司の武官は、ほんとうにいいものですねえ。

五月の行幸(かつては、五、六日に武徳殿行幸が行われていた)こそ、何にもまして、優美なものだったそうです。しかし、最近では、すっかり絶えてしまっているので、ほんとに残念です。昔話として、人が話すのを聞いて、あれこれと想像するのですが、いったいどのようなものだったのでしょうか。
ただ、その日は、菖蒲を葺きわたしたり、世間で普通に行われていることでもすばらしいのに、昔の様子となれば、あちらこちらの御殿の御桟敷に、菖蒲を葺きわたして、誰も彼もが、菖蒲のかつらを挿して、菖蒲の女蔵人は、選り抜きの美人を選んで召し出され、薬玉をお授けになると、いっせいに拝舞して、腰につけたりしたそうですが、どんな様子だったのでしょうか。
『ゑいのすいゑうつりよきも』などうちけむこそ(この部分意味不詳。一説には、「夷の家移り、ヨモギの矢を打つ」として異国の雑戯、と説明されている)、ばかばかしいが、面白いとも思われます。
武徳殿からお還りになる御輿の前を、獅子や狛犬などの装束をした舞人が舞い、ああ、きっとそんなこともあったのでしょう、ほととぎすが鳴き、第一季節からして、他の行幸で似ているものなどありませんでしょうねぇ。

行幸はすばらしいものとはいえ、若い貴公子の車などが、楽しそうに大勢乗り込んで、都大路を北へ南へと走らせたりする解放的なところがないのが残念です。そんな車が、群衆を押し分けて良い場所に駐車しているなどというのも、心がときめくものではありますが。

賀茂祭りの還りの行幸は、とても風情があります。
昨日は、全てのことがきちんとされていて、一条の大路も、広く美しく整えられているところに、日差しも暑く、車に差し込んでくるのがまぶしいので、扇で顔を隠し、何度も坐りなおして、長い間待つのも苦しく、汗などもにじみ出てきましたが、今日は、随分急いで家を出て来て、雨林院、知足院などのあたりに停めている車などにつけてある、葵や桂(ともに祭りの縁起物)などが、風になびいているのが見えます。日は出ているが、空はまだ曇ったままで、普段なら「すばらしいものだ。ぜひ聞きたい」と、目を覚ますと起きだして鳴くのを待ち続けるほととぎすが、「あまりに多過ぎはしないの」と思うほど、鳴きたてているのは「とてもすばらしい」と思うけれど、鶯がね、野太い声で「ほととぎすに似せよう」と、精一杯の声で合わせて鳴いているのは、小憎らしいけれど、これもまた、それなりにいいものです。

「今か今か」と待つほどに、御社の方向から、赤い狩衣を着ている者たちが、連れ立ってきたので、
「どうなの。車の準備は出来たの」ときくと、
「まだまだ、いつのことやら」
などと答えて、御輿などを持って斎院に帰って行く。
「あれにお乗りになって、お渡りになるのだろう」と思うにつけてすばらしく、神々しく、「どうして、あんな下種たちがお身近くにお仕えするのかしら」と、空恐ろしくなってしまいます。
まだ先のようなことを言っていたが、間もなくお還りの行列がやってきました。供奉の女房たちの扇をはじめ、青朽葉の着物が、とても美しく見えるうえに、蔵人所の人たちは、青色の袍に白襲の裾をほんの少しばかり帯にはさみ上げた姿は、卯の花の垣根が目の前にあるような気がして、ほととぎすも、その陰に隠れてしまいそうに見えるのですよ。

昨日は、一台の車に多勢乗って、二藍の袍と同じ色の指貫、あるいは狩衣などをしどけなく着て、車の簾も外してしまい、正気でないほどはしゃいでいた貴公子たちが、斎院の饗応のお相伴役だというので、正式の束帯をきちんとつけて、今日は、一人ずつ一台の車におとなしく乗っている後ろの席に、可愛らしい殿上童を乗せているのも風情があります。

行列が自分たちの前を通り過ぎるとすぐに、気が急くのか、「われも、われも」と危険で恐くなるほど、「先に車を出そう」と急ぐのを、
「そう急ぐものではない」
と、私は扇を差し出して止めるのですが、牛飼童も従者も聞き入れようとしないので困ってしまうが、少し道幅の広い所で、無理に止めさせて駐車するのを、「じれったくて腹立たしい」と供の者たちは思っていそうなのに、後ろでつかえて困っている多くの車を意地悪そうに見ているのが、意外で可笑しい。
男性の乗った車で、誰だか分からないのが、後ろから次々と来るのが、いつもより興味があるのに、交差点の別れるところで、
「峰にわかるる」(「風吹けば峰にわかるる白雲の 絶えてつれなき君が心か」古今集からの引用)
と挨拶していったのも、風情があります。

内侍の車などと出会うのは、とても煩わしいので、別の道をを選んで帰ると、ほんとうの山里といった感じで情緒があるが、卯つ木の垣根とはいうものの、とても荒っぽくて、仰々しいほどに伸びた枝がいっぱいあるのに、花はまだほとんど開ききらず、蕾のままのものが多いように見えるのを従者に折らせて、車のあちらこちらに挿したのも、昨日から付けている桂などがしぼんでみすぼらしいので、なかなかいい感じです。
枝が出ているので、道が狭く、とても通れそうにもないと見える道の行く先を、どんどん構わず近づいていくと、それほどでもなく通れたのが、とても楽しかったですよ。



この章段などは、当時の風俗を知る上で貴重な記録だと思います。
途中、意味不明の部分もありますが、天皇の行幸や摂関家クラスの貴族の行列に対して、下級の貴族や庶民なども、結構娯楽として楽しんでいた面もあったようです。
おそらく少納言さまも、きゃあきゃあと見物する側と、最上流社会での体験があったから、『枕草子』という名著を残すことが出来たのでしょうね。
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五月ばかりなどに

2014-07-16 11:00:09 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二百六段  五月ばかりなどに

五月ばかりなどに、山里に歩く、いとをかし。
草葉も水も、いと青く見えわたりたるに、上はつれなくて、草生ひしげりたるを、長々とたたざまにいけば、下は得ならざりける水の、深くはあらねど、人などの歩むに、はしりあがりたる、いとをかし。

左右にある垣にある、ものの枝などの、車の屋形などにさし入るを、急ぎてとらへて、折らむとするほどに、ふと過ぎてはづれたるこそ、いと口惜しけれ。
蓬の、車におしひしがれたりけるが、輪の廻りたるに、近ううちかかりたるも、をかし。


五月の頃になど、山里に出掛けるのは、とても楽しい。
草の葉も水も、ずうっと一面が青一色に見えるが、時には、表面はどうということがないので、草が生い茂ったところを、ぞろぞろと一列になってゆくと、茂みの下には結構たっぷりと水があって、深くはないけれど、従者たちが歩く足もとから、水が跳ね上がって来るのが、とても面白い。

左右にある垣根に生えている、何かの枝などが、車の屋形などに差し込んでくるのを、素早く捕まえて、折ろうとするのですが、すっと通り過ぎて逃げて行ってしまうのが、とても残念です。
蓬の車輪に押しつぶされたものが、輪にくっついて、車輪が回るにつれて持ち上げられて、近くにあたるのですが、蓬の香りが伝わってきて風情があります。



新緑の候のドライブ、あるいはピクニックといったところです。
宮仕えとは関係のない、少納言さまのプライベートなお楽しみのようです。この文章などからは、やはり、貴族らしい豊かさが覗いているように思われます。
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いみじう暑き頃

2014-07-15 11:00:14 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二百七段  いみじう暑き頃

いみじう暑き頃、夕涼みといふほどに、もののさまなどもおぼめかしきに、男車の、前駆遂ふはいふべきにもあらず、ただの人も、しりの簾上げて、二人も一人も乗りて、走らせゆくこそ、涼しげなれ。
まして、琵琶掻い調べ、笛の音などきこえたるは、過ぎて去ぬるも、口惜し。

さやうなるに、牛の鞦の香の、なほあやしう、嗅ぎ知らぬものなれど、をかしきこそ、もの狂ほしけれ。
いと暗う、闇なるに、さきにともしたる松明の煙の香の、車のうちにかかへたるも、をかし。


たいへん暑い頃、夕涼みといった時刻、物の見分けが難しくなった頃合に、男車の、先払いをさせる身分のある方のはいうまでもなく、そうでもない人であっても、車の後ろの簾を上げて、二人でも一人でも乗って、走らせていくのは、涼しそうです。
まして、車上で、琵琶を弾き鳴らしたり、笛の音など聞こえるのは、すれ違って行ってしまうのが心残りなものです。

そんなすれ違いの時に匂う、牛の鞦(シリガヒ・牛の腰から後ろへ尻に回して牛車のながえにつなぐ紐、主に革製で刺激臭をもつ)の香りが、何とも下品で、嗅ぎなれない匂いなのですが、いい感じがするのが、われながらちょっと変ですよねぇ。
とても暗く、月のない夜に、車の前にともしてある松明の香りが、車の中にこもっているのも、いいんですよねぇ。



前段から季節が少し進んだ真夏のひとこまです。
後ろの部分は、匂いについて語られていますが、刺激臭の強い革や動物の匂いは、決して好まれないものですが、意外に良い感じだと、少納言さま自身が不思議に思っているようです。きっと、同乗者か、牛車の持ち主が、素敵な人だったのではないでしょうか。
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五月四日の

2014-07-14 11:00:12 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二百八段  五月四日の

五月四日の夕つかた、青き草多く、いとうるはしく切りて、左右になひて、赤衣着たる男のゆくこそ、をかしけれ。

五月四日の夕方、節供に備えて、青々とした菖蒲を沢山、きれいに切り揃えて、左、右に分けて担ぎ、赤い衣を着た男が行くのは、その色合いといい風情のある光景です。


普通の文章としては、極めて短い章段です。
少納言さまとしては、草の青と作業する男の赤衣との色合いの面白さを書かれたのでしょうが、あまりにも簡潔すぎるような気もします。
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賀茂へまゐる道

2014-07-13 11:00:02 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二百九段  賀茂へまゐる道

賀茂へまゐる道に、「田植う」とて、女の、新しき折敷のやうなるものを笠に着て、いと多う立ちて、歌を唄ふ。折れ伏すやうに、、また何ごとするとも見えで、うしろざまにゆく。
「いかなるにかあらむ。をかし」と見ゆるほどに、郭公(ホトドキス)をいとなめう唄ふきくにぞ、心憂き。

「郭公、おれ、かやつよ、 おれ鳴きてこそ、我は田植うれ」
と唄ふをきくも、いかなる人か、「いたくな鳴きそ」とは、いひけむ。
仲忠が童生ひ、いひおとす人と、「郭公、鶯に劣る」といふ人こそ、いとつらう、憎けれ。


賀茂に向かう道で、「田を植える」というので、女が、新しい折敷(ヲシキ・食器をのせるお膳)のような形をした物を笠にして被り、とても多勢が立って、田植え歌をうたっている。折れ伏すようになって、特別何かをしているようにも見えないで、後ろに向かって行く。
「一体どういうことなのかしら。面白いな」と見ていると、ほととぎすを随分馬鹿にした歌を唄っているのを聞くにつけても、情けない。

「ほととぎす、おのれ、あいつめ、おのれが鳴くから、わしは田植えをせにゃならん」
とうたっているのを聞くが、一体どんな人が、「あまり鳴くな」なんて、詠んだのかしら。
(万葉集、坂上郎女の「郭公いたくな鳴きそ ひとりゐていの寝らえぬに聞けば苦しも」を引用。他の歌とも)
仲忠(宇津保物語の主人公で、清少納言が大のファン)の幼少時代を悪く言う人と、「ほととぎすが、鶯より劣っている」と言う人は、ほんとに情けないし、憎らしい。



当時の早乙女の田植えの様子が描かれています。
早乙女が、歌を唄いながら一列になって後ろに下がりながら苗を植えて行く姿は、ごく最近まで見られた風景です。
その田植え歌が、「ほととぎすが鳴くから(その季節になったから)、自分たちは重労働の田植え仕事をしなくてはならない」といったもので、とても興味深い内容です。
ほととぎすファンの少納言さまはご立腹の様子ですが、個人的には、とても好きな章段です。
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