枕草子 第二百十段 太秦に詣づ
八月晦、「太秦(ウズマサ)に詣づ」とて、見れば、穂に出でたる田を、人いと多く見騒ぐは、稲刈るなりけり。
「早苗取りしかいつのまに」まことに先(サイ)つ頃、「賀茂へ詣づ」とて、見しが、あはれにもなりにけるかな。
これは、男どもの、いと赤き稲の、本ぞ青きを、持たりて刈る。何にかあらむして、本を切るさまぞ、やすげに、せまほしげに見ゆるや。
いかで、さすらむ。穂をうち敷きて、並みをるも、をかし。
蘆(イホ)のさまなど。
八月の末、「太秦の広隆寺に詣でる」ということで出掛けましたが、ふと見てみますと、穂が出ている田を、人が多勢集まって騒いでいるのは、稲を刈っていたのです。
「早苗取りしかいつのまに」(古今集からの引用「昨日こそ早苗取りしかいつの間に 稲葉そよぎて秋風の吹く」)とはいいますが、まことに、つい先だって、「賀茂へ詣でる」時に田植えを見ましたのに、もうこんなになったのですねえ。
この度は、男どもが、随分赤くなった稲の穂を、根元の青いところを持って切り取っている。何というのか分からない刃物で、根元を切っている様子は、たやすそうで、やってみたくなります。
どうして、そんなことをするのでしょうか。穂をずっと並べて、男が並んで坐っているのが、面白い。
仮小屋の風情なんかも面白い。
前段は田植え、そしてこの段は、刈り取りです。
太秦の広隆寺は、現在でも弥勒菩薩でとても人気の寺院です。少納言さまが参詣した当時はどうだったのでしょうか。
なお、文面からは、当時の米が赤米だったことが分かりますし、「何にかあらむ」という刃物も、すでに「カマ」が使われていたようです。
八月晦、「太秦(ウズマサ)に詣づ」とて、見れば、穂に出でたる田を、人いと多く見騒ぐは、稲刈るなりけり。
「早苗取りしかいつのまに」まことに先(サイ)つ頃、「賀茂へ詣づ」とて、見しが、あはれにもなりにけるかな。
これは、男どもの、いと赤き稲の、本ぞ青きを、持たりて刈る。何にかあらむして、本を切るさまぞ、やすげに、せまほしげに見ゆるや。
いかで、さすらむ。穂をうち敷きて、並みをるも、をかし。
蘆(イホ)のさまなど。
八月の末、「太秦の広隆寺に詣でる」ということで出掛けましたが、ふと見てみますと、穂が出ている田を、人が多勢集まって騒いでいるのは、稲を刈っていたのです。
「早苗取りしかいつのまに」(古今集からの引用「昨日こそ早苗取りしかいつの間に 稲葉そよぎて秋風の吹く」)とはいいますが、まことに、つい先だって、「賀茂へ詣でる」時に田植えを見ましたのに、もうこんなになったのですねえ。
この度は、男どもが、随分赤くなった稲の穂を、根元の青いところを持って切り取っている。何というのか分からない刃物で、根元を切っている様子は、たやすそうで、やってみたくなります。
どうして、そんなことをするのでしょうか。穂をずっと並べて、男が並んで坐っているのが、面白い。
仮小屋の風情なんかも面白い。
前段は田植え、そしてこの段は、刈り取りです。
太秦の広隆寺は、現在でも弥勒菩薩でとても人気の寺院です。少納言さまが参詣した当時はどうだったのでしょうか。
なお、文面からは、当時の米が赤米だったことが分かりますし、「何にかあらむ」という刃物も、すでに「カマ」が使われていたようです。