King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

阿呆のもと

2008年10月17日 23時48分15秒 | 日々のこと
阿呆の原型は、劉備玄徳の子供が暗愚でそれがもとだと
聞きました。
親父が立派でも、その子供も賢人とは限らない。これは
世の習いです。

三国志の中では、劉備が死んでその後を諸葛亮がその才を
発揮して、戦いに望む姿が語られますが、その戦いも
ことごとく失敗。つまりはもともと滅び行く国の物語で
それが所謂判官びいきで、一番弱い蜀の味方をしてその英雄
たちを紹介している物語なのです。

アメリカの大統領選が佳境にかかり、今までに無いアメリカの
姿を紹介するテレビなども出てきました。
それもアメリカ発の金融不安により、今までダントツの強さ
を示していた世界最高の国が実は内情はひどいもんだよと
みんなが言い出したような印象を持ちます。

私がアメリカに行ったときにも、そこら中にホームレスが
ころがり、一歩町を出ると直ぐに小銭はないかと聞かれ、
しつこく金を無心する人たちの多さでした。番組でも簡単に
弱者になり得て、一度落ちるともう元には戻れないという
悲痛な姿でした。その貧しさゆえに戦争に出る若者が多く、
帰ってくると職にもつけず体も精神もおかしくして社会的
廃人となり、ホームレスや麻薬漬けになっていくといいます。

今読んでいる『血と暴力の国』ですが、こんな現状を踏まえて
読むと、改めてこの本はいつの時代のことを書いているのかと
思います。麻薬と暴力に染められた国、という現代的な設定
のようですが、まじめに働いていたベトナム帰りの普通の男
が遭遇することで、狂ってくる人生。かなり昔の話のようで
あり、現代のことのようであり、それらは国が始めた戦争に
起因するようでもあり、ところどころででてくる、知らないと
いう言葉がもっともらしさをかもし出しています。

なぜ普通の人が、とんでもない事件と不幸に飲み込まれて
しまうのか。とんでもない大きな悪のせいか。もともと国が
腐っているからか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする