その後、随分しばらくはその「ノーナン火傷」の大工さんは来院しなかったようである。ほどなくしてその大工さんが亡くなった話を聞いた。確かお子さんは3人くらいだったと思われるが、一番上の息子さんは自分と同年齢くらいであったと思う。彼は少し精神発達遅滞があったようだが、当時良く一緒に遊んだ記憶がある。昭和30年代の話だが、彼のうちは近所の家と家の間の狭い路地を入った陽当たりの悪い裏手に建てられた木造の小さなバラックだった。当時は戦後にバタバタと建てられたであろうと思われるこのような家が随所に存在していた。因みに後年知ったが、その大工さんの死因は「脳軟化症」であったそうだ。なんだヤケドじゃなかったんだ(笑)。