何とも痛ましい事故(事件?)である。昔から学校教育の現場はいろいろな意味でなかなか壁が厚かった記憶がある。昔は「心肺蘇生? それは医療行為だから素人の教員が手出しをしてはいけないものである」とけんもほろろであった。大昔、自分が某財団の推進する「教員に対する心肺蘇生法の普及啓発に関する委員会」の委員をしていた頃の話である。教育委員会からも委員として参加をいただいた委員会である。当時、ヨーロッパ各国や米国では学校はもちろんのこと不特定多数の人たちが集まる施設ではきちんと健康管理者を選任して、職員に心肺蘇生を普及させ、そしてAEDを設置しましょうということが実際に行われていた時代である。その観点から言えば日本はかなり遅れていた。実はモノ(AED)はすでに輸入品ではあるが現物として利用可能な時代であった。小児用のパッドは確かまだなかったかと思ったが大人用が流用可であった。<o:p></o:p>