何故「歯車」の話になったかと言うと、芥川は偏頭痛もちだったらしい。以下、歯車からの引用である。
「僕の視野のうちに妙なものを見つけ出した。妙なものを?——と云ふのは絶えずまはつてゐる半透明の歯車だつた。僕はかう云ふ経験を前にも何度か持ち合せてゐた。歯車は次第に数を殖(ふ)やし、半ば僕の視野を塞(ふさ)いでしまふ、が、それも長いことではない、暫らくの後には消え失(う)せる代りに今度は頭痛を感じはじめる、——それはいつも同じことだつた。」
高校時代、この文章を読んだら「あ これは精神異常をもった人の文章だ。これを熟読して、どのような意味なのかを熟考したなら自分も気がふれてしまうかもしれない」と思ったのである。今でいう、青少年に対し有害で不健全な書籍であると自分で早々と納得したのである。当時は「いくら芥川とはいえこのような作品の出版は不適当なのではないか」と思っていた。
「僕の視野のうちに妙なものを見つけ出した。妙なものを?——と云ふのは絶えずまはつてゐる半透明の歯車だつた。僕はかう云ふ経験を前にも何度か持ち合せてゐた。歯車は次第に数を殖(ふ)やし、半ば僕の視野を塞(ふさ)いでしまふ、が、それも長いことではない、暫らくの後には消え失(う)せる代りに今度は頭痛を感じはじめる、——それはいつも同じことだつた。」
高校時代、この文章を読んだら「あ これは精神異常をもった人の文章だ。これを熟読して、どのような意味なのかを熟考したなら自分も気がふれてしまうかもしれない」と思ったのである。今でいう、青少年に対し有害で不健全な書籍であると自分で早々と納得したのである。当時は「いくら芥川とはいえこのような作品の出版は不適当なのではないか」と思っていた。