きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

オバケリンゴ

2013-08-04 | ぶきっちょさんの家事一般
叔母の葬儀の時のメロンとリンゴを妹が半分分けてくれたが、冷蔵庫に放置していた。

メロンはともかく、リンゴの方はとても大きくて見栄えこそするのだが、切って食べてみるとイマイチで、食べる気が失せ、アップルパイにすることを思いついた。
面倒くせぇなぁーと思うのだけど、このまま生ゴミにするにはあまりに忍びなく、かと言って食べないまま放っておいても悪くなる一方。とにかくジャムにしてアップルパイにしよう。

そして生まれて初めて買ってみた、パイシートだった。
これまで何度買おうと思ったことだろう。
しかし買わずにいたのは、値段が高いからである。

そしてリンゴジャムを作る。

検索してみると、Lサイズのリンゴ1個に砂糖20~30グラムが相場のようである。
しかし私は甘いのが苦手なので、このデカリンゴ1個半に砂糖20グラムにしてみた。
それを小さくいちょう切りにしてものを耐熱容器に入れ、レンジでチンをし(5~6分)さらに、クタクタになったリンゴを鍋に移し汁気がほぼ無くなるまで煮詰めてみた。ひからびて冷蔵庫の奥にあったレモンも少々しぼってみた。しまってあるウィスキーもラム酒の代わりにたらしてみた。

そして味見をしてみると、思ったよりいける。
まだ温かいのでこれでも甘いぐらいだ。

そしてパイシートに乗せて焼いてみた。

ジャン。
予想外に膨らんでオバケみたいになったが、紛れもなくアップルパイになった。


そして更にジャムが余ったので、ホームベーカリーでこれを混ぜてパンを焼くことを思いついた。
いつものパンの分量より砂糖を少なく(半分ぐらい)にし、水分も減らしてみた。

あとは機械に入れてどうなるかのお楽しみ!と思ってスイッチを入れた。

そして2時間後。。。。


リンゴパンのできあがり。
(1度かじってから、あまりのうまさにブログに書こうと写真を撮った図。)
リンゴジャムの粒々はホームベーカリーがこねているうちに溶けてしまったようだ。

適当な分量で作ったにしては本当においしい。
かんでいるとほのかにだんだんとリンゴの香りを甘さが伝わってきて、何口も何口も食べてしまう味なのだ。桃の天然水のようなさりげないリンゴ味なのだ。

「keke~~~!焼きたてのアップルパン、すごいおいしいよー!」
とノックしたけど、「要らない。」と一言で終わる。


そしてふと我に返ると、食べきれるはずの無いアップルパイとパンが並んでいる。
パンは切って冷凍保存できるが、このオバケアップルパイはどうしたものか。。。
人にあげられるかどうか試しに半分に切って食べてみた。
味はまあまあで食べてしまったが、パイ生地のしつこさで私はもうムリ。。。。


オバケアップルパイは、夜になって妹の家に持っていった。
迷惑そうだったら引き取ってまた貰い手を捜さねば・・と思ったが、幸い喜んでくれたので、そのまま置いて帰った。パンもスライスして一緒に箱に入れた。自分としてはパンの方が自信作なのだが。

父の食事時間

2013-08-04 | 父の記録と母の思い出
この1週間は叔母の危篤から葬儀があり、父のことを思わずにはいられなかった。
平行にそれは走っているように思われた。

何年先かは分からない。
もしかしたら、「何年」みたいな単位ではないのかも。。。
その時の自分を何度も想像してみた。

でも私は、たぶん泣かないだろうな、と考えた。
その気になって、小さい頃から迷惑を掛けた頃からあれもこれも思い出せば涙ぐらい流せるかもしれない。

でも、それはあまりに勝手な気がして。
過去を振り返ると、父がこうしたら喜んであろうことを、ことごとくやらなかった娘である。

若い頃は友達や男にかまけて、父と出かけることを極力嫌がった。
家に居て暇にしてさえも、父と出かけることを嫌がった。

これぐらいだったらまだ人並みである。
その上さらに離婚をして迷惑をかけた。

尻拭いをしたのはいつも父である。
そのたびに励ましてくれたのも、今から思えば父である。
(母がしなかったわけではなく、精神的にとてもできなかったのだ。)
私はいっときめげて大人しくフンフン聞いているのだが、元気になると性懲りも無くまた飛び出して行った。
父はそしていつも取り残されていた。なのに会えばニコニコしていた。
そういう親子関係であった。

ボケてからも、妹が一緒にいることをいいことに、行くのはまたでいいやと思っていた。
忙しかったのも事実だけど、やろうと思えばもっと喜ばせることはできたはずだ。
それを分かっていながらしなかった。

それを思うと、葬式の時だけ、人前でだけ、イイ人ぶることが、世間様に大ウソをつくようで、そこが自分で許せない。
それだったらまだ「氷の女(娘)」と思われたほうがマシ、実際もそれに近かったのだから。。。


そんなことを思いながら病院につくと、父はこれから食事の時間であった。

この頃は介助無しでは食べられないので、他の人が終った後に食事が運ばれて介助されている。
この光景を見るたびに、自分の幼稚園時代「食べられなくてお残りさん」だった頃を思い出す。

今日はこれから食べる所であった。
父の顔を見ると、よい顔色をしていることに気がついた。

血が通っていることに気がついた。

動いている。
意思がある。
口が動く。
食べている。

そんなことに気がついた。
まだこうして、生きてることに気がついた。

そして私は食事を手伝った。
時間は掛かった。

父は汁やゼリー状のものはよく食べるけれど、固形物は小さくなっていてもモゴモゴして、口にいれるとしばらくずっと噛んでいて、その次はなかなか口が開かないのだった。
なので、ゼリー状のお茶をだましだまし食べさせながら、口をあけてくれるチャンスを待つしかない。

肉じゃがも離乳食のように、ジャガイモは小さいサイコロ状でひき肉、ニンジン玉ねぎはみじんきりになっている。煮汁が多めなので、ちょっと口に含ませるとすすろうとする、その次は口をあけてくれるようである。
肉じゃがの味は好きなようだ。

そんな風にごまかしごまかし、全部は無理だったけど、ほとんど食べさせることができた。
また来週もこの時間に来よう。
いつもと言うわけにはいかなけれど、残りの時間がまだある、そのことに気がついた。