先週、佐野洋子さん関連の本を2冊借りる。
●「私の息子はサルだった」
佐野さんが亡くなった後に1人息子さんが佐野さんの遺作を集めたもの。息子さんが自分のことを本に書くなと言うため、出せなかった原稿があり、それを息子さんが本にしたようである。
佐野さんも2度の離婚、1人息子を持つので、私はまっさきにこの本のあとがきをめくった。
「あとがきのかわり」というタイトルで息子さんの言葉がある。1人息子は母親にどういう気持を持っているのだろうか。
「ああ、悪かったな。そんなに書きたかったのなら、もっと書かせてやれば良かったな。
ごめんよ、お母さん。
なんて、絶対に思う訳がない。今もし、この話の続きを書いていたらと思うとゾッとする。」
(原文とおり)
「この話は佐野洋子が一方的に書いた僕の記録だ。(中略)
言いたい事は山ほどあるけど、もう好き勝手に書けばいい。」
(原文とおり)
これを読んでたまげてしまった。
もっときれいな「お母さんありがとう」話なのかと思ったらとんでもない。どこかkekeにも共通するある手の憎たらしさがある。
しかしこの親子はよく似ている。佐野洋子さんも「淋しい」とは決して書かない、ガハハハハと笑うタイプの方である。この息子さんも一言も「お母さん大好き」なんてことは絶対書かない。でもその現れない文面の中に、なぜかそういう繊細さを感じるのだ。これがあとからきいてくる。
本文の内容は息子さんの小学校から高校時代までの初恋や友人達とのエピソードなど。それも微笑ましいけれど、個人的にはそれより「あとがきのかわり」がキョーレツで面白かった。
●「女に」/谷川俊太郎さん
佐野洋子さんの本を検索していたら、この本がヒット。
2度目の結婚の相手があの詩人の谷川俊太郎さんだと分かり、これは挿絵を佐野さんが書いている夫婦共著である。
この本の出版は1991年。佐野さんと谷川さんが結婚した翌年の出版である。
今まで谷川さんとは、校歌や教科書に載るような詞を書く人だと思っていた。しかし、この詩集は「谷川さんってこういう人だったの?!」というほど、熱い。
言うならば「ゲーテの世界」と言う感じである。中には1歩間違えると発禁本に近いような(?)詩すらある。
「僕はこうしてあなたに出会うために生まれてきたんだ」と生まれた時から歩み、そして出会い、そしてたぶん死んでからも魂はつながり燃え尽きる、ぐらいの熱い熱い詩集なのである。(あくまでも私の比喩です。)
谷川さんも佐野さんも、正直で情熱的で直球の人だったのだろうと思う。こうだと思ったら、その恋に突っ走っていったのだろう。
しかしこの谷川さんは3度目、佐野さんは2度目の結婚も7年で破綻する。
この結婚をした時、逆算すると佐野さんは53歳。1人息子の弦さんは23歳である。(数字は若干前後あるかもしれません。)
今の私ぐらいの年齢で、子育てを終えほんとうに愛する人と出会って、情熱的に愛して50代で結婚しても、別れることになるだろうとは。。。(ショック)
何故別れたのかはちょっとググッたぐらいでは全く分からないが、想像するにこれだけ情熱的に愛し合えば冷める時の温度差も当然あるわけで・・そこらで自由な空気が望ましくなったとか、そういう世間では考えられないような気軽な事情で離婚されたのかもしれませんね。(^_^;)勝手な想像ですみません。
私も万が一次に結婚しても、小さい子供もおらず、3度目だったらちょっと面倒があれば「じゃ、離れて暮らしましょうか」となるような気がする。
一番最高にいいのは、同居しないけれど決して裏切らないパートナーだ。
(佐野さんと谷川さんの関係はその後どうなったのか分からないが、佐野さんの息子さんと谷川さんはその後もお付き合いがあったことを考えると、そうそう喧々囂々ではなかったのではなかろうか。う~ん分からない。)
谷川俊太郎さんに興味しんしんでいろいろ検索してみたら、なんと!あのビートたけしさんが谷川さんの作詞で歌も歌ってることが判明。
作詞は坂本龍一さんなところからも、その意気込みを感じる。
しかし・・・・youtubeで動画をみると・・・・これがあのビートたけしさんなの?!
えぇ~~~~これまたビックリ。。。
1分13秒なので、もしも関心がある方がいらしたら、ぜひぜひ覗いてみてください。^^
もうビックリですよ。
「TAKESHIの、たかをくくろうか」
動画は★こちら★から。
●「私の息子はサルだった」
佐野さんが亡くなった後に1人息子さんが佐野さんの遺作を集めたもの。息子さんが自分のことを本に書くなと言うため、出せなかった原稿があり、それを息子さんが本にしたようである。
佐野さんも2度の離婚、1人息子を持つので、私はまっさきにこの本のあとがきをめくった。
「あとがきのかわり」というタイトルで息子さんの言葉がある。1人息子は母親にどういう気持を持っているのだろうか。
「ああ、悪かったな。そんなに書きたかったのなら、もっと書かせてやれば良かったな。
ごめんよ、お母さん。
なんて、絶対に思う訳がない。今もし、この話の続きを書いていたらと思うとゾッとする。」
(原文とおり)
「この話は佐野洋子が一方的に書いた僕の記録だ。(中略)
言いたい事は山ほどあるけど、もう好き勝手に書けばいい。」
(原文とおり)
これを読んでたまげてしまった。
もっときれいな「お母さんありがとう」話なのかと思ったらとんでもない。どこかkekeにも共通するある手の憎たらしさがある。
しかしこの親子はよく似ている。佐野洋子さんも「淋しい」とは決して書かない、ガハハハハと笑うタイプの方である。この息子さんも一言も「お母さん大好き」なんてことは絶対書かない。でもその現れない文面の中に、なぜかそういう繊細さを感じるのだ。これがあとからきいてくる。
本文の内容は息子さんの小学校から高校時代までの初恋や友人達とのエピソードなど。それも微笑ましいけれど、個人的にはそれより「あとがきのかわり」がキョーレツで面白かった。
●「女に」/谷川俊太郎さん
佐野洋子さんの本を検索していたら、この本がヒット。
2度目の結婚の相手があの詩人の谷川俊太郎さんだと分かり、これは挿絵を佐野さんが書いている夫婦共著である。
この本の出版は1991年。佐野さんと谷川さんが結婚した翌年の出版である。
今まで谷川さんとは、校歌や教科書に載るような詞を書く人だと思っていた。しかし、この詩集は「谷川さんってこういう人だったの?!」というほど、熱い。
言うならば「ゲーテの世界」と言う感じである。中には1歩間違えると発禁本に近いような(?)詩すらある。
「僕はこうしてあなたに出会うために生まれてきたんだ」と生まれた時から歩み、そして出会い、そしてたぶん死んでからも魂はつながり燃え尽きる、ぐらいの熱い熱い詩集なのである。(あくまでも私の比喩です。)
谷川さんも佐野さんも、正直で情熱的で直球の人だったのだろうと思う。こうだと思ったら、その恋に突っ走っていったのだろう。
しかしこの谷川さんは3度目、佐野さんは2度目の結婚も7年で破綻する。
この結婚をした時、逆算すると佐野さんは53歳。1人息子の弦さんは23歳である。(数字は若干前後あるかもしれません。)
今の私ぐらいの年齢で、子育てを終えほんとうに愛する人と出会って、情熱的に愛して50代で結婚しても、別れることになるだろうとは。。。(ショック)
何故別れたのかはちょっとググッたぐらいでは全く分からないが、想像するにこれだけ情熱的に愛し合えば冷める時の温度差も当然あるわけで・・そこらで自由な空気が望ましくなったとか、そういう世間では考えられないような気軽な事情で離婚されたのかもしれませんね。(^_^;)勝手な想像ですみません。
私も万が一次に結婚しても、小さい子供もおらず、3度目だったらちょっと面倒があれば「じゃ、離れて暮らしましょうか」となるような気がする。
一番最高にいいのは、同居しないけれど決して裏切らないパートナーだ。
(佐野さんと谷川さんの関係はその後どうなったのか分からないが、佐野さんの息子さんと谷川さんはその後もお付き合いがあったことを考えると、そうそう喧々囂々ではなかったのではなかろうか。う~ん分からない。)
谷川俊太郎さんに興味しんしんでいろいろ検索してみたら、なんと!あのビートたけしさんが谷川さんの作詞で歌も歌ってることが判明。
作詞は坂本龍一さんなところからも、その意気込みを感じる。
しかし・・・・youtubeで動画をみると・・・・これがあのビートたけしさんなの?!
えぇ~~~~これまたビックリ。。。
1分13秒なので、もしも関心がある方がいらしたら、ぜひぜひ覗いてみてください。^^
もうビックリですよ。
「TAKESHIの、たかをくくろうか」
動画は★こちら★から。