きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

「がんばらない がんばらない」/ひろさちやさん

2016-03-15 | 読んだ本
「がんばらない がんばらない」/ひろさちやさんの本から、自分が感動した(?)箇所をピックアップしてみることにする。

1.すべてはほとけさまからの預りもの(無我)
(要約)
最近の親は子供を「つくる」というが昔は「授かる」といったものである。「授かる」さらに子供は「ほとけさまからお預かりしている」と言ったほうがいいだろう。同時に私達の体も命もほとけさまから預っているものなのだ。いや、すべてがほとけさまから預っているものなのだ。


2.幸福は「棚から牡丹餅」で訪れるもの(僥倖)
(要約)
私達は幸福なとき「自分が努力したから幸福だ」と思いがちだがそれはいけない。そうすると不幸な人を努力しない人・悪い人と思ってしまう。また自分が幸福でないときに自分が悪いのだと落ち込んでしまう。幸福は棚から牡丹餅だと思って、現在の幸福に感謝し、いつかやってくる不幸にこころの準備をしておくような見方がよい。


3.他人との距離が必要となるこころのトゲ(自我)
(要約)
人間はほんらい孤独である。孤独から逃れることはできない。その意味では孤独の悩みは克服できないものを悩んでいるのであって、「幻想」と言うべきものである。わたしたちは甘い幻想は捨てるべきである。(ほぼ原文どおり)


4.中途半端な善は傲慢になる。「こだわりのない善を」(有漏・無漏)
(要約)
ちょっとした善い行いをして「自分はいいことをした。自分はいい人間である。」という満足感を持つと、人間は知らず知らずに傲慢になる。そしていいことをしない他人を非難しはじめる。これは中途半端な善である。私たちがすべきなのは「こだわりのない善」である。


お坊様の言葉を勝手に要約してしまったが、また1年後ここを読むだろうから、こうしてメモっておくことにした。(まだ全部読みきってないので、前半のピックアップである。)


私はこの中でも「すべてはほとけさまからの預りもの」と言うのが気に入っている。
こうしてどなたかと出会ったことも「縁」つまり仏さまの授かりごとだと思うと、別れがきても受け入れられるだろう。どんなにもがいた所でその時は来るし、そうならないように努力するより、執着をしててそれを受け入れられるようにしよう。

「この本に従っていると怠けてしまうのでは」と危惧される方もいるようである。そう言われてみればそうかもしれない、と思う。
それでも私はしばらくこの精神でいようと思う。

本当に危機一髪の事態になったらたぶん頑張れると思うからである。
今は非常事態ではないので、こうしてのんびり歩いていきたい。
仏さまはこの世で楽しむために、心や体を貸してくださっているのだと思う。
全てつかの間の借りものの縁を楽しみながら、やがて一人であの世に旅立つのだと思う。