今日はいい天気だ。
まだ少し風は冷たいけれど、春がくる!と言う感じがする。
桜もこれから咲くだろうと思う。
一昔前だったら、ドライブに行きたくなるような陽気である。
とは言うものの、また昨日も遠出をしなかった。
帰ってきてから「あー夕飯作らなきゃ」と思ううんざりした気持、片付いていない部屋・・・そんなのを想像するぐらいなら、どこにも出かけずちょっと片付け物でもしていた方が結果的に安らぐような気がしてしまった。
これは年のせいだろうか。よく言えば「やる前に見通しを立てるようになった」のかもしれないし、悪く言えば「思いっきりが悪くなった」とも言える。どこかに行ってはじけるより、無難に居心地がいい方を選択するようになったのである。
あと一人で、と言うのが問題なのかもしれない。誰かと一緒なら「楽しかった」なり「楽しんでもらえた」なりの成果があるのだが、一人で出かけて帰ってきて家がグジャグジャだと出かけたその判断に後悔をしてしまう。そうなるのがイヤなんだろうな。
銀行の帰りに信号待ちをしていたら、たまたまうちの担当者の方がやってきた。
そういう時に限って赤信号が長くて、何ともいたたまれない雰囲気だったので、「エー、」と私は言い、「今日はお天気がいいですね」ととってつけたような当たり障りの無い話をすると、担当Kさんは「そうですね!今日は息子が卒業祝いにディズニーに行ってるんです。」と言い、「え?小学生ですか?」と言うと、「中学3年です。」と言う。
「それでは子供だけで?」
「そうです。」
「いいですね。」
そんな会話をしていると信号も緑に変わった。
ディズニーかぁ。。。。
私はいつでも行ける距離にいながら、ディズニーシーにまだ1度も行ったことがない。
いつぞや秀クンに「ディズニーに1人で行ってくれば」とコバカにされたディズニーシーにまだ行ったことがないのである。
思えばヒトリカラオケ、ヒトリボーリング、ヒトリ牛丼屋でランチ・・・と「ひとりホニャララ」を得意とする自分ではあるが、ひとりディズニーはちと敷居が高い。
ここで断っておくのは、ひとりディズニーシーが恥ずかしいからではない。ディズニーが好きな人は一人でも行く。それが恥ずかしいなら、むしろ全面的に「よぉし恥ずかしいひとりディズニーをやってやろうじゃないの」と逆にいきり立つだろう。
それでは何が敷居が高いかと言うと、まず金が掛かる。食事や飲み物も持ち込めない上に駐車代まで考えたら1万ではきかない。しかも自分はあの手の乗り物が大して好きではない。子供がキャッキャして喜ぶような映像も全く興味が無い。それで1万払って「よぉし、ひとりディズニーしてきたぞ!」と思ったところで、いったい何のこっちゃ?である。私のひとりホニャララシリーズは、コストパフォーマンス(金銭:満足)が取れているものでなければならないのである。
しかし一度はディズニーシーに行ってみたいと思う。図々しいかもしれないが、できればおごってくれるようなジェントルマンと生きている間にディズニーシーに行きたいというのが、私の内なるささやかな夢である。
そしてもしもそんな機会もなく、このまま年を取り「あと余命が何ヶ月」と言う場合に、初めて「ひとりディズニーシー」を実行しようと思う。そうすれば目にうつる全てのディズニーが輝やいて目に飛び込んでくるはずである。
そして何より「私、生きているうちにディズニーシーに行ってみたいと思ってたんだ、だから明日ひとりで行って来る。。。」と言い残して行く。
言う相手はkekeであり、その他・・・それまでディズニーシーに一度行ってみたいと暗にほのめかしていたのに、一緒につきあってくれなかった男達である。アハハハ!そうやって私はディズニーシーにいつか一人でいってやる!さぞかし楽しいことであろうよ。(G子劇場に似てきたなぁ)
・・・・ということを考えていたら、nanuさんに「何かあったの?」と訊かれた。
ん?と思ってnanuさんの顔を見ると、「いや、何だか楽しそうな顔してるから。。」と言う。
(そんなイジワルな妄想で楽しめる私。。)

先週末も餃子を作る。(この前きれいに焼けていい気になった。)半分は冷凍しておく。

初めて作ったソースカツを弁当に乗せる。
ソースカツの調味料はこちらのレシピを参考にした。
まだ少し風は冷たいけれど、春がくる!と言う感じがする。
桜もこれから咲くだろうと思う。
一昔前だったら、ドライブに行きたくなるような陽気である。
とは言うものの、また昨日も遠出をしなかった。
帰ってきてから「あー夕飯作らなきゃ」と思ううんざりした気持、片付いていない部屋・・・そんなのを想像するぐらいなら、どこにも出かけずちょっと片付け物でもしていた方が結果的に安らぐような気がしてしまった。
これは年のせいだろうか。よく言えば「やる前に見通しを立てるようになった」のかもしれないし、悪く言えば「思いっきりが悪くなった」とも言える。どこかに行ってはじけるより、無難に居心地がいい方を選択するようになったのである。
あと一人で、と言うのが問題なのかもしれない。誰かと一緒なら「楽しかった」なり「楽しんでもらえた」なりの成果があるのだが、一人で出かけて帰ってきて家がグジャグジャだと出かけたその判断に後悔をしてしまう。そうなるのがイヤなんだろうな。
銀行の帰りに信号待ちをしていたら、たまたまうちの担当者の方がやってきた。
そういう時に限って赤信号が長くて、何ともいたたまれない雰囲気だったので、「エー、」と私は言い、「今日はお天気がいいですね」ととってつけたような当たり障りの無い話をすると、担当Kさんは「そうですね!今日は息子が卒業祝いにディズニーに行ってるんです。」と言い、「え?小学生ですか?」と言うと、「中学3年です。」と言う。
「それでは子供だけで?」
「そうです。」
「いいですね。」
そんな会話をしていると信号も緑に変わった。
ディズニーかぁ。。。。
私はいつでも行ける距離にいながら、ディズニーシーにまだ1度も行ったことがない。
いつぞや秀クンに「ディズニーに1人で行ってくれば」とコバカにされたディズニーシーにまだ行ったことがないのである。
思えばヒトリカラオケ、ヒトリボーリング、ヒトリ牛丼屋でランチ・・・と「ひとりホニャララ」を得意とする自分ではあるが、ひとりディズニーはちと敷居が高い。
ここで断っておくのは、ひとりディズニーシーが恥ずかしいからではない。ディズニーが好きな人は一人でも行く。それが恥ずかしいなら、むしろ全面的に「よぉし恥ずかしいひとりディズニーをやってやろうじゃないの」と逆にいきり立つだろう。
それでは何が敷居が高いかと言うと、まず金が掛かる。食事や飲み物も持ち込めない上に駐車代まで考えたら1万ではきかない。しかも自分はあの手の乗り物が大して好きではない。子供がキャッキャして喜ぶような映像も全く興味が無い。それで1万払って「よぉし、ひとりディズニーしてきたぞ!」と思ったところで、いったい何のこっちゃ?である。私のひとりホニャララシリーズは、コストパフォーマンス(金銭:満足)が取れているものでなければならないのである。
しかし一度はディズニーシーに行ってみたいと思う。図々しいかもしれないが、できればおごってくれるようなジェントルマンと生きている間にディズニーシーに行きたいというのが、私の内なるささやかな夢である。
そしてもしもそんな機会もなく、このまま年を取り「あと余命が何ヶ月」と言う場合に、初めて「ひとりディズニーシー」を実行しようと思う。そうすれば目にうつる全てのディズニーが輝やいて目に飛び込んでくるはずである。
そして何より「私、生きているうちにディズニーシーに行ってみたいと思ってたんだ、だから明日ひとりで行って来る。。。」と言い残して行く。
言う相手はkekeであり、その他・・・それまでディズニーシーに一度行ってみたいと暗にほのめかしていたのに、一緒につきあってくれなかった男達である。アハハハ!そうやって私はディズニーシーにいつか一人でいってやる!さぞかし楽しいことであろうよ。(G子劇場に似てきたなぁ)
・・・・ということを考えていたら、nanuさんに「何かあったの?」と訊かれた。
ん?と思ってnanuさんの顔を見ると、「いや、何だか楽しそうな顔してるから。。」と言う。
(そんなイジワルな妄想で楽しめる私。。)

先週末も餃子を作る。(この前きれいに焼けていい気になった。)半分は冷凍しておく。

初めて作ったソースカツを弁当に乗せる。
ソースカツの調味料はこちらのレシピを参考にした。