朝、珍しくニュースを見ると女子マラソンのニュースをやっていた。
日本人で1位だった女子と2位の女子は1秒ぐらいしか差がなく、最後まで競り合っていた。
その大会はオリンピック候補の選抜だったようで、たった1秒差なのに1位と2位では結果が雲泥のように違うもののようである。
この二人は両方とも前回のオリンピックでは選考からはずれてしまい、是が非でも今回取りたかった切符だったそうである。勝った選手はいいが、負けた方の選手を考えると何とも気の毒な気持になった。
私は体育会系ではないので「オリンピックなんてどうでもいいじゃん」と思ってしまうのだが、それは非国民のようになるので口が裂けても言えないのである。政治は自分の生活に直結するので関心を持たねばならないが、オリンピックのメダルの数がいったい何に関係するのだろう・・・などと考えてしまう。
でもオリンピックを夢見てきた人はそのために頑張ってきたのだから、やはり死活問題なのであろう。(だからそれがいったい何なの)等という、私のような人間がいることは許せないことであろう。
私のこのスポーツ全般に対する「しらけ感」は今に始まったことではない。
古くは小学校時代の運動会からである。
前にも何度か書いたが、自分は毎年かけっこではビリ。(それも親が見て恥ずかしいほどのクソビリだったようである。)クラス対抗リレーでは3人ぐらいごぼう抜きされてクラスメートから嫌味を言われる。
毎年そんなだったので、いつも雨雨坊主を作って前日から雨乞いをしていたのだった。
それからしばらくは何も感じなかったが、次に感じたのは子供の少年野球である。
子供以上に親が熱心に応援している。
失敗した子供を叱る。上手ではない子は試合に出れない。
kekeが試合に出れる方ではなかったので、私は内心どっちらけていた。
これに勝ったところでいったい何になる。給料が上がるわけでもあるまいに、と思っていたが、そんなことを考えたのはたぶんあの中で自分ひとりだったと思う。
私だけがあの中で応援を声にできなかった。勝つよりも頑張れればもういいじゃないかなんて思ったりしてた。
別にオリンピックに出れなくたって、今まですごい数のマラソン大会で勝ち残ってきたはずなのに、たった1度のそれだけで涙を流す姿が気の毒で見ていられない。また、オリンピックに出れたとしてもその成績がふるわなければどうなるのだろう。いったいなんでこんなに競争し続けなければならないのだろう。
とは言うものの、私も見始めると夢中になるタイプで、真央ちゃんがショートでつまづいてフリーで挽回したりすると、夜中でも感動のブログをアップしてしまうのである。
でも基本、スポーツはああいう勝ち負け意識が苦手だ。
敗れてしまった時に
「でもこのスポーツが大好きで今までやってきました。今回思うような成績にならなかったのは残念ですが、これが今の私の実力です。」
こんな風にさわやかに思えたらいい。
でも、こんな余裕をかましてたら、たぶん競争には勝てないのだろう。
それが私から見えるスポーツの世界である。
頑張れば、いつかは報われる。
そんな世の中にはびこるまやかしが、辛くなる。
でも彼らはそれが好きでやっているんだから。
私はそう思い直してTVを消す。
日本人で1位だった女子と2位の女子は1秒ぐらいしか差がなく、最後まで競り合っていた。
その大会はオリンピック候補の選抜だったようで、たった1秒差なのに1位と2位では結果が雲泥のように違うもののようである。
この二人は両方とも前回のオリンピックでは選考からはずれてしまい、是が非でも今回取りたかった切符だったそうである。勝った選手はいいが、負けた方の選手を考えると何とも気の毒な気持になった。
私は体育会系ではないので「オリンピックなんてどうでもいいじゃん」と思ってしまうのだが、それは非国民のようになるので口が裂けても言えないのである。政治は自分の生活に直結するので関心を持たねばならないが、オリンピックのメダルの数がいったい何に関係するのだろう・・・などと考えてしまう。
でもオリンピックを夢見てきた人はそのために頑張ってきたのだから、やはり死活問題なのであろう。(だからそれがいったい何なの)等という、私のような人間がいることは許せないことであろう。
私のこのスポーツ全般に対する「しらけ感」は今に始まったことではない。
古くは小学校時代の運動会からである。
前にも何度か書いたが、自分は毎年かけっこではビリ。(それも親が見て恥ずかしいほどのクソビリだったようである。)クラス対抗リレーでは3人ぐらいごぼう抜きされてクラスメートから嫌味を言われる。
毎年そんなだったので、いつも雨雨坊主を作って前日から雨乞いをしていたのだった。
それからしばらくは何も感じなかったが、次に感じたのは子供の少年野球である。
子供以上に親が熱心に応援している。
失敗した子供を叱る。上手ではない子は試合に出れない。
kekeが試合に出れる方ではなかったので、私は内心どっちらけていた。
これに勝ったところでいったい何になる。給料が上がるわけでもあるまいに、と思っていたが、そんなことを考えたのはたぶんあの中で自分ひとりだったと思う。
私だけがあの中で応援を声にできなかった。勝つよりも頑張れればもういいじゃないかなんて思ったりしてた。
別にオリンピックに出れなくたって、今まですごい数のマラソン大会で勝ち残ってきたはずなのに、たった1度のそれだけで涙を流す姿が気の毒で見ていられない。また、オリンピックに出れたとしてもその成績がふるわなければどうなるのだろう。いったいなんでこんなに競争し続けなければならないのだろう。
とは言うものの、私も見始めると夢中になるタイプで、真央ちゃんがショートでつまづいてフリーで挽回したりすると、夜中でも感動のブログをアップしてしまうのである。
でも基本、スポーツはああいう勝ち負け意識が苦手だ。
敗れてしまった時に
「でもこのスポーツが大好きで今までやってきました。今回思うような成績にならなかったのは残念ですが、これが今の私の実力です。」
こんな風にさわやかに思えたらいい。
でも、こんな余裕をかましてたら、たぶん競争には勝てないのだろう。
それが私から見えるスポーツの世界である。
頑張れば、いつかは報われる。
そんな世の中にはびこるまやかしが、辛くなる。
でも彼らはそれが好きでやっているんだから。
私はそう思い直してTVを消す。