きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

チャーハン弁当

2013-09-18 | 母子家庭だから思うこと
kekeが学校で勉強を始めた。
私はてっきり職訓で手に職をつけるのかと思っていたから、ちょっと違うような気がしている。
でも、kekeの気持を考えると、今は黙っていた。
気持ちはとっても不安なんだけど。


そしてここで新しい発見があった。
kekeがお弁当をきれいに食べてくるのだ。

この前は「今日のタケノコの煮たのがおいしかった」と言う。ちょっと前まで肉しか食べなかったのに、仕切りにつめたレタスも食べてくる。(ちなみにタケノコは手作りではなく電子レンジ食材だった。)

さて、今日はとkekeの持ち帰った弁当箱を持ち上げると重い。
「また残してきたのか」と思ったら、本当にチャーハンがほとんど残っている。

そして、kekeは「このチャーハンをアンタは食べたか?」と言う。

「私も食べたよ。普通に。」
「味がなかった。」
「確かにちょっと味が薄かったかもしれないけど、他におかずも入れたからいいじゃない。」

kekeは「これはチャーハンじゃない、卵ご飯だ」と言い、「どうしてわざわざチャーハンにしたの?」と言うので、「だって、その方がおかずが少ない時は見栄えがいいんだもの。黄色くて」と言うと、「黄色じゃない白身が入ってた」とkekeは言い、「自分は白米が好きだから、これからは白米にしてほしい。その方が手間も掛からない」と言う。

「せっかく作ってあげたのに」と言うと、「イヤなら作らなくたっていい」とkekeは言う。

はっ!@@

「せっかく作ってあげた」・・・?

作ってもらったものにケチをつける息子も息子だが、まずい飯を勝手に用意して「全部食べろ」と言う私も私ではなかろうか。
感謝は人に強制されてすることではない。。。?!

感謝を強要する前にもう少し喜ばれるようなお弁当を考える余地がある。
あの子はおいしいものは、おいしいと言うのだから。。。

G子の3連休

2013-09-17 | 友人
G子から電話があった。

「3連休、sakeちゃん何してたの?」と言うので、「え?!台風だったし、家にいたよ。」と言うとG子は、「T男が法事で夫婦で田舎に帰っちゃった。電話しても全然掛かってこない。」と言う。

「法事はしょうがないよ。。」
「奥さんの方の法事だよ。」
「それだって・・それはしょうがないんじゃない・・?」

G子はあーあと言い、3連休なんてつまらないと言うので、「みんな、いっしょだよ」と私は言う。

「あんな奴、別れたい、sakeちゃんはそう思わない?」
「私の場合は会社辞めないと一緒だと思う。」
「別れようかな。」
「いつか本心から別れられる日がくるんじゃないかなぁ。。尊敬できなくなるとかさぁ。」

G子は「今だって尊敬なんかして無いよ。」と言い、むかつくと言う。

「あ、そうだ!」と私は言い、「私の知ってる人でさ、こっから結婚した人いるんだよ、最近。」

「え!」
「ほんとに。ビックリでしょ。」
「どうして?!」
「ちょっと前に不幸なアクシデントがあってね、それから距離が近くなったのかなぁ、彼が励ましてくれたりしてて、トントントンみたいな感じなのかなぁよく知らないけど。でもほんと、何年か前はほんと、こんな感じだと思うよ。本人もたぶん相手も、誰も結婚するとは思ってなかったみたいな。」

「その人はそういう運命だったんだよ。」とG子は言い、「私にはゼッタイ無い!」と言う。

「ゼッタイ無いから!」
「まぁまぁ、私も自分は無いと思うけどね、でもG子はお互い長く生きていられたら、人生はどこで何が起きるか分からないかもよ。。。その人すっごく幸せそうで、【sakeさんも自分の気持ちを大事にしてくださいね。】って言ってた。【その瞬間幸せを感じれたら、又不幸せに思えても次の小さな幸せの瞬間にまた出会えて、繋げていくことができたらいいですね】だって。」

・・・と話すが、G子はもうあまり聞いておらず、娘の話や会社の話に変わった。今まで自分の仕事とは聞かされてなかったけれど、社長の机があまりに汚いので拭いてあげてたら、社長にたまたま見つかって、シュークリームをおごってもらったと言う。

「sakeちゃんは、社長の机拭いてる?」
「いや。拭いてない。」(恥)

と言うか、誰の机も拭いてない。自分の机さえ拭いていない。電話機の裏側とか相当埃がたまっているはずである。
これでいいのか、私。
もう少し女子力をあげて、ウソでも周りの男たちに見せつけてやろう、来年は。


なんて、続くわけ無いか。。。。

元気な父

2013-09-16 | 父の記録と母の思い出
今週の父は、ここ最近では一番元気だった。

病院に行くと食事の介助をしている方から「今日は口をあけてくれますよ」と言われた。
普段はずっとモグモグしてて、なかなかアーンと口をあけてくれない父だった。
 
食事を変わると、私ではなかなか要領を得ないのだが、それでもお茶をスプーンで2~3口与えて、「ご飯食べる?」と訊くと「うん」と言い、口をあけることがある。
それから「もう要らない」と言うこともある。
「もう要らない」と言葉で意思表示ができることも、最近の父では珍しいことだった。

テーブルの真向かいに座っている新入りのおばあさんが、「若いわね、あなたのご主人?」と言う。
「は?」と思ったが、どうやら私が父の嫁だと思ったようだ。

「私は娘です」と言うと、納得して、父のことを「若いわねぇ、おいくつ?」と言うので「82です。」と言うと、若いわ、私は10も上だもの、と言う。

ここに居る人達はものがちゃんと認知できてないので、どこまでホントか分からない。でも適当に話を合わせておくのにも慣れた。

隣のおばあさんは一緒に「若いわね」と繰り返し、私が話につきあって、なかなか父の食事が中断しているのをみると、「ごめんなさいね」と謝る。しかし、数秒するとまた話しかけてきて、「ごめんなさいね」と繰り返す。
このおばあさんは「ごめんなさいね」と繰り返すおばあさんなのだ。

ここにいるのは、みんな認知症のお年寄りなのだが、一人一人性質が違う。
このおばあさんのように「ごめんなさい」とひたすら謝り続ける人。
ずっとうなりながら、歩き続ける人。
いつも怒ってばかりいる人。
「○○してください、お願いします」とずっと訴え続けている人。。。。。

kekeが幼稚園にあがって、園児の性格がここまで個人差があるものかと驚いた。
にぎやかな子、飛び跳ねている子、自分の主張している子、kekeみたいにぼんやりおとなしい子。。。。
それから、学校に上がり、大人に近づいて、だんだん周りを見て社会を見て、規律や常識を覚えて成長していくのだが、年を取って認知症を患うと、そのタガがはずれてしまうのだろう、動物のように本来の性質が現れる。

こうしていろんな年寄りを見るたびに、自分はこうなったらどんな姿になるのだろう、と恐ろしくなる。
父やkekeのようにおとなしく、さらに欲を言えば、ニコニコ素直でカワイイおばあさんでいたい。。。

が、今こんなに鬱積したものがあると、そんな愛嬌のあるおばあさんにはなれないかも。


父が昼食を完食したのを見届けると、手をさすって、また来週来る事にした。

台風18号

2013-09-16 | 日記
今、台風どこいらにいるのかなぁ・・とTVをつけたら、

「数十年に一度の大雨」?!
「最大級の警戒」を?!@@

そ・・そんなにすごい台風だったのか。。。
突風もあちこちで起こっているとか。



皆さん、いがかお過ごしでしょうか。。
特に関西・近畿地方のみなさま、大丈夫でしょうか。
こちらもだんだん風が強くなってきました。><

こわい。。。

避難になってもすぐに出られるように下着をつけたり、今のうちにご飯を炊いたりしています。
早く台風が去ってくれますように。><

天気が平和なだけでもありがたいことでした。。。
台風が弱まるようにひたすら念じてます。

あれもこれも

2013-09-15 | 母子家庭だから思うこと
遮断機が下りる踏切を見ながら、昔、姑に言われたことを思い出した。

元夫の不倫がわかって姑は田舎に引っ越しておいでと言った。
そうすれば、じき女のことなんて忘れるだろうと。
 
その田舎は飛行機で行くようなところである。
行ったらたぶん東京へは戻れない。
正月には向こうのご両親も、なんて考えるような人ではない。
強引に一人で飛行機に乗って帰るしかない。

すると姑は言う。
「東京で暮らしたい、愛人とは別れてほしい、ってあれもこれもsakeさんの思い通りにはいかないんよ」


あれもこれも。

そんな言葉をふと思い出した。

あれもこれもと言う欲望を、もう少し謙虚に捉えたらもっと生きやすくなるかもしれない。
たしかに、あれもこれも願いが叶っているみたいな人もいるけれど、その人の全ては分からないから、とりあえず比較はしないでおこう。

分かりやすく言うと例えば、「結婚したい」。
誰でもよいのだったら、相談所でもどこでも行って相手を探せば良いのである。「こんなのはイヤだ」「こう言う事情があるから」とか他に条件をつけて結婚せずにいるのである。
自分は「結婚がしたい」のか「ある程度の相手でなければイヤ」なのかを明確にすれば生きやすくなるし、「ある程度の相手と結婚しなきゃイヤ」と強く思うなら、今の自分がそれに見合う魅力があるのかどうかを謙虚に受け入れもっと努力しよう。

それから「パートナーの浮気は許せない。」
これも「浮気はイヤ」だけだったら簡単だ。他の女が寄ってこないような全く魅力の無い相手を選べば良いのである。「ある程度イイ男」かつ「浮気は許せない」とするから傷つく。「イイ男だからこの人は浮気しても許す」のか、「まあまあイイ男だけど浮気されるぐらいなら即別れる」のか最初から心の整理をしておくと、もう少し生きやすくなるのではなかろうか。
モテる男に浮気を許さないとするのは、「世界中で一番私が魅力的なはず」と言う心の驕りがどこかにあるかもしれない。


そして通り過ぎる電車を見ながら、「絵に描いたような幸せ」と「心を豊かにする」こともそうかもしれない、と考えた。
ごく普通の家庭を持ち子供がすくすく成長することを望んでいたけれど、離婚や子供の引きこもりや、恋愛、その前には流産、やり場の無い気持・・・そんなことが自分を成長させてくれた。

周りを見渡せば、幸せそうで心が豊かに見える人もいっぱいいるけれど、他人のことは正確にはわからない。自分の胸に手を当てれば、自分がつまずかなかったら、悩んでいる人の気持なんて全然分からずにいただろう。
「絵に描いたような幸せ」と「心を豊かにする」ことは別物なのだ。

「絵に描いたような幸せ」がどうもムリっぽかったら、心を豊かに磨いて生きていこう。
いろんな悲しみを覚えて、そのたびにまた一つ優しくなれるように。これからは。

「絵に描いたような幸せ」でなければ、世間的にはなかなか認めてもらえない。
でも、心が豊かでいたら、独自の感性で幸せもついてくる。

そして、同じ心を持っている人には見えてくるはず。
それで充分ではないだろうか。

ナニワの薬剤師

2013-09-14 | 健康とか病院とか
先月の足にタコができた話の続編である。

底まめクッションでしばらく過していたが、休日ちょっと歩き続けると足の裏が痛くなってくる。
だんだんひどくなっているのか、停滞しているのか、よく見ていないので分からないが、歩くと痛いことは間違いない。

そこで私は治すための積極的な薬を買うことにした。
たまたま通り掛ったドラッグストアで「足の裏のタコの薬はどこですか?」と尋ねると、こちらですと言われ、その薬剤師っぽい人は親切に「買う時はサイズに注意しましょう」と言う。
何故なら、問題のタコの箇所に貼る分には良いのだが、大きく貼りすぎてしまって健康な皮膚にまで貼ってしまうと、薬のダメージが強いからだと言う。

私は(健康系には小心者なので)その言葉でビビッてしまい、「タコのサイズをちゃんと測ってまた来ます」とまた出直すことにした。

そしてネットで検索して調べてみると、その貼り薬とは、タコの上から何日も湿布することによって、角質層を和らげ、タコの芯をほじくって取る、みたいなイメージのようである。
私は足の裏をじっくり見ながら、(右の裏は大した事がないからこれで行けるかもしれないが、左は既に固い角質が大きすぎて薬だけでは無理かもしれない)と不安になってきた。

それでは皮膚科か、と思ったがこれもググッてみると、足を削るとか窒素だの痛くて怖そうな言葉が出てくる。そもそも働きながらの通院が大変なのだ。足のタコのために早退させてくれとも、曲がりなりにも女性であるからに非常に言いにくい。。。。

そして1週間ぼんやり過すのだが、気にすれば気にするほどタコに神経が集中してしまう。
ちょっとのことでも足の裏が大袈裟に痛いような気がする。いつもだったらちょっとした痛みなのかもしれないのに、これが今の一大事になってくる。
もうどうにかしなくてはアカンと言う気持になってくる。

そして、今度は近所のドラッグストアに行って、「かくかくしかじか、右のタコはこの薬で取れそうだけど、左のタコは自信が無いです、どこまでこの薬で取れるのでしょう?」と答えに困るような質問をすると、薬剤師のナニワ弁のおっさんは「それなら薬より病院に行った方が早いよ」と言う。

至極明快な答えである。

「そうなんです、ただネットで調べたら治療が痛そうなのと、仕事で帰りが遅いので通える自信がないのです。」と思いのたけを述べてみると、「これらの薬は病院に行く時間が無い人のためで、薬で治るかどうか不安だったらまず病院に行く事を考えましょう、となれば大丈夫そうな右もついでにみてもらった方がいいでしょう。皮膚を削るのがイヤだったらその旨先生に言ってみたらよいのでは?そしたらこれと同じような薬を処方されると思いますよ。」と(ナニワ弁で)言う。

誠にもって、当然な答えである。

そして私は皮膚科に行く事にした。今度は最近行ってた皮膚科はやめて、違う所にした。
円形脱毛といい、オデコのかぶれといい、途中でトンズラしたので行きにくくなったのだ。

そして長らく待ったところで、いよいよ診察となり、先生に両方の足の裏を見せる。

「歩くと痛いですか?」
「痛いです。」
「右は大丈夫ですか。」
「右も痛い時があります。左ほどではないですが。」
「それでは削りましょう。」

私はえっ!!と言い、あの、私は土曜しか診察にこれなくて、それでも大丈夫ですか?と言い終わらないうちに、「今日でオシマイですよ、さぁ向こうを頭にしてうつぶせになって!」

と言われ、何が起こってるのか分からないまま、何かをえぐり取られるようなグリグリと言う感触と、ちょっと痛い感じが2~3分続くと、ハイ終わりです、と言われる。

これから消毒かしらと座ってると、看護婦さんが「もうこれでオシマイですよ」と言う。
「このまま靴下履いていいんですか?」と尋ねると、「そうです。」と言う。
 
家に帰ってよく見ると、タコの芯みたいな中心部のみが削り取られていた。
それだけである。
しかし、それから痛くもなんともなく、好きに歩く事ができている。

やった~(^o^)丿しあわせだ。。。
 
【結論】薬局で薬を買って、皮膚を柔らかくしてタコの芯を取るやり方でも、最終的には同じことだと思われる。でも、自信がない時は、病院に行った方が間違いない。

また一つここで利口になった。
※便宜上「タコ」と表現してますが、もしかしたら「ウオノメ」かもしれません。

ナニワの薬剤師さんに御礼を今度言わなくては。。。

水槽の新しい魚たち

2013-09-13 | 今の会社
会社にある熱帯魚の水槽は、お盆休みからまた魚が減ってしまった。
2匹居たグラスキャットは1匹になって、5匹居たネオンテトラは1匹になってしまった。
それからちょっと大きい名の知らぬ魚が2~3匹居て、おとなしくモグモグエサを食べていた。

水槽の空気出しポンプみたいなのが壊れて先っぽがはずれてしまい、水の底に落ちている。
ZENさんに言うと「欠けた所にまたはめこめばいい」と言うので、そのたびに無理にはめこんで空気を送りだすようにしているのだが、しばらくすると水圧でやはりはずれてしまい、私はそれをトングで拾い上げてはポンプに差し込む、また気がつくとトングで拾い上げてはめこむ、また翌日もトングで・・・というようなことを、ほぼ毎日繰り返していた。

朝一番にライトをつけると、ご飯だご飯だと魚たちは寄って来るが、最近はまずトングが上から下がって来る。それをよけて、ポンプがはめこまれて、私がフーッと一息ついて手を洗ってからが初めてエサの時間なのだった。


数日前にやっとZENさんが魚を買ってくれた。
今までは暑さで車で運んでいるうちに死ぬだろうと言っていたのだ。

ネオンテトラは20匹ぐらい放たれ、あと底に沈んだエサを食べてくれるコリドラスも入った。
コリドラスは黒い模様と、赤い模様のがいる。


ネオンテトラで1匹だけ目立って大きいのが、今までここで生き残った1匹である。
比べると3倍ぐらい大きい。
まるでお母さんテトラのようだ。

最初こそテトラはエサが分からなかったのか遠慮していたが、最近は水面まで浮かんでくるようになった。
お母さんテトラの他、細い小さくて今にも消えてしまいそうなテトラ。
それからまあまあ元気に育ちそうな健康テトラ。

偶然に目の前に落ちてくるエサをパクッと食べる。

魚たちはケンカをしない。
時に1つの大きなかけらが落ちてきて、それを2匹で同時に食いつくこともある。
食べようとした瞬間、エサが流され、他の魚に食べられてしまうこともある。

そんな時でも恨むことも無く、すぐに忘れて次のエサを追いかける。
なんて、潔いのだろう。

おおかた、エサが食べるのが下手くそな魚はやせており、先に命が枯れてしまうのはそういう細い魚なのである。
よく見るとエサを食べるのに積極的だったり上手な魚の種類があり、さらに良く見ると同じ種類でも、下手な奴と上手な奴がいるのである。消極的なのと積極的なのがいるのである。
欲も執着もないので、人間のように争わない。
誰と比べることものなく、あるがままに自分の命を全うしていくのだ。


私は久保田早紀の「ねがい」と言う歌を思い出した。
ベストアルバムを借りて特に気に行った1曲である。

  あすを願い 信じるから
  鳥は飛び立ち 愛し合える
  ただのびやかに 生きて死んで
  悔いない いのちがほしい

モモイさんの老眼

2013-09-10 | 今の会社
今日は朝、駐車場にキューブが停まっており、「この車誰かしら」と思いながら事務所に入ると、居たのはモモイさんだった。
モモイさんとは見た目は頭ツルツルの怖い関係者風であるが、笑うとエクボも出る私とタメの48歳である。

しかし、今日は何か違う。
いつものモモイさんとはどこか違う、おかしいぞと思ってジロジロ見ると、ヤーサン風サングラスをしてないのである。
裸眼である。しかも空色のワイシャツを着てさわやかに「オハヨウ」なんて言う。

これではまるで好青年だ。
そしてうちの社長と打ち合わせをしている。

社長はお客から電話が入りしばらく話しこんでいるので、コーヒーを出しながら、「今日はメガネをしていないんですね。」と言うと、「老眼だから。」と言う。
最近老眼が入って来て、書いてある字を見るたびにメガネをはずさないと見えなくなってきたと言う。

「まさに!私も最近、そんな感じなんですよ!」←そりゃ同じ年だもの。

モモイさんは、メガネをかけたり上げたりのポーズを繰り返して「この格好、おじさんみたいだからね。」と言う。
「だから、運転の時だけメガネを掛けて、あとは止めた。」と言う。

「それじゃもともとは近視もあったんですね。」「そうだよ。」と言うので、「そのうち遠近両用考えるようですかねぇ」と言うと、モモイさんは「もう買ったよ」と言い、「でもあれはダメ、オレには合わなかった。」と言う。

何が合わないかと言うと、遠くを見てから、近くを見る時のレンズの境目がおかしな感じで我慢できないらしい。
「え!聞いておいてよかった!そのうち作るつもりだったから。」と言うと、「オレはあれはダメだったねぇ」と言う。だから、最近は裸眼でいいらしい。


今は私もかろうじて裸眼で本を読んだりしてて、針の穴もギリギリ通せたりして不自由はないけれど、これ以上老眼が進むと近眼用と老眼用の2種類のメガネを持つようになるのだろうか。
下手したら、運転用・普通用・老眼鏡で3つメガネを常備することになるかもしれない。

その点、老眼1本だと老眼鏡のみなのでうらやましい。
しかも、老眼鏡は近眼メガネとレンズが違うので、掛けても目が小さくならない。

私は視力が悪いので、「目が小さくならないようなレンズで」としっかり言わないと、掛けると瞳が一回り小さくなってしまう。これが結構重要ポイントだと気がついたのは40過ぎてからである。

自分はメガネが似合わない似合わないと思う近眼の人は、今度レンズに注意してみよう。
特にノンフレームのメガネは、頑張って薄いレンズにしているので余計屈折率?みたいなのがひどく(と私は思ってる、事実かどうかは定かでない。)なっていて、掛けると目が小さくなって顔がイマイチになるような気がする。←視力の度数にもよるけど
40過ぎてから人に言われて気がついて、今のメガネは「目が小さくならないレンズで」と言ったので、過去幾つものメガネの中で一番自然っぽい気がする。

老眼は凸だか凹だか忘れたけれど、そう言う苦労が無いのでうらやましい。
何か字を見る時だけメガネって言うのが、私に言わせるとまたオシャレでかっこいい。
しかも、年取ってもメガネが1本で済む。

いつか年を取ったら老眼の人もメガネになるぞ、と思っていたが、近眼のうちらは2本も3本もメガネを用意するようである。
今何が不便かと言うと、運転メガネで急に地図を見なければならない時、ちょっと辛い。
(でも、まだどうにか見れてる。)

そのうち運転しながら地図を見るのが不可能になる日が来るかもしれない。
やはり近眼人は年を取っても目では苦労が多いのか。。。


しかしモモイさん、車と言い(前にパチンコ屋に止めてたのはゴツイ車だった。)あの人キャラを変えたのかね。

またまたまたの歯科検診

2013-09-09 | 健康とか病院とか
また歯医者からハガキが来た。
歯科検診のお知らせである。

前回はどのような模様だったかは、こちらに書いてある。
(読んでも読まなくても良い。)
今まであらすじを述べると、かくかくしかじか、私はかれこれもう何年も歯医者で定期的にハミガキチェックをしているのだが、いつも注意と勧告されっぱなしの48歳である。
情けないぐらい不器用で歯磨きがヘタクソで、教わっても教わっても覚えられないダメ生徒なのである。

先生もあまりに不安な患者なのか、本来半年に1度で良いものを私には4ヵ月ごとに「歯を見せましょう」と言うハガキをくださるのだが、そのたびに診察代もバカにならないから(初診だけで3300円もした+2回目チェック+歯ブラシ代)、私はまたもや今回も予約をしたのはのびのびであった。

4ヶ月に1度で、前回12月・1月にチェック&レッスンをしているのだから、少なくとも6月にはハガキが来てたはずなのだが、「あぁ最近そう言えばハミガキちゃんとしてないから、もうちょっとちゃんと歯を磨くようにしてから行こう。」と思いながら、またもやのびのびになってしまって、やっと歯医者に出向いたのがもう秋の風吹く9月になってしまった。
しかも、その間に歯をきれいにするはずが、相変わらず歯はろくに磨いていないままで「もう怒られないとほんとにヤバイ」と自分で分かったからである。


案の定、先生は「アチャチャチャチャ・・・」と言い、「前よりかなり歯茎が腫れています」と、1から5段階で数字が少ないほど良い歯なのに、今回「4」をもらった歯が幾つもあった。

あぁ。。。。「やっぱり。」と言う思いと、「今回はそれなりにはやったつもりなのに。」と言う絶望感がよぎる。少なくても今までの中では、布団に入りながら歯磨きした回数は一番少ないはずで、ほとんど座椅子に座って歯を磨いていたのだ。(それでもこんな結果を喰らうとは。)

やはり先生にハブラシを当ててもらっても、いくら教わっても分からないのだよ。。。
はぁー・・・・。

先生曰く「また1ヵ月後にチェックして、ダメならまたもう1度様子を見ます。」との話。

もう私・・ダメ。(+o+)
やっても歯医者のイスから降りるともう分からない。
歯磨きうまくできない。。。

いつもこうなってから、反省するのである。
これから冬に向うが布団で寝ないで、ちゃんと起きて磨きたい。。。。

毎回毎回こんなに誓っているのに、どうしてこうなんだろう。
たかが歯を維持することが、こんなに大変なことだったなんて、これプラス、他の体のあちこちが悪くなって頑張りが必要になったら、この先生きていけない。(そんな気がする。)

東京オリンピック

2013-09-08 | 父の記録と母の思い出
オリンピック、東京だって。

やっぱりうれしいね。^^;
盛り上がるといいね。

景気もよくなるといいなぁ~♪

56年ぶり!
7年後!

私、いったい何歳になってるんだろう。
55?56?
うわっ、かなり先だ。(いや、そうでもないのか?)

ちゃんと元気でいるのかなぁ。
何考えているんだろう。

kekeはどうしているんだろう。


昨日は父の所に行った。

相変わらず食事は進まない。
お茶やおつゆは飲むので与えながら、おかゆやくずれたおかずを口に入れる。
たまにアーンと口をあける。

先週は、プリンがあった。
あまり食事が進まないので、プリンだったら食べるのでは?と思い、スプーンですくうと喜んですすう。

これだけ認知ができていないのに、不思議なぐらいにおかずとプリンの判別をするのだった。
プリンだと間違いなくアーンと口を開け、おかずだと口を閉ざす。
唇でチョンとつけて、どちらだか確かめたり、匂いでも分かるのかもしれない。

こんなにツルンとしたものが好きだったら、全部ゼリーになっていたらよく食べられるのだろうか。

私はふとシアワセばあさん(いつも父の隣に居て父にご飯を食べさせていた患者さん)を思い出した。
父が大好きだった90歳のおばあさんだ。
あと一口だよこれで終わりだよ、と言って最後の一口を食べさせていた。

時間は掛かったけど、今日も完食。
父は生きている。
今日も元気で。

オリンピックまで元気でいたらいいな。