きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

ほうれん草に突撃

2016-03-19 | ぶきっちょさんの家事一般
今日も野菜の店で72歳のおばあさんに会う。
いつものように「よく来たね」などと言って、常連さんの名前を出して「あの人は月曜日に買いに来てたよ」と言っていた。

開店前だがだんだん混んできた。72歳のおばあさんは「お彼岸だから今日は混んでるねぇ」と言う。そして耳打ちをして、「おたくはイチゴ買うの?」と言うので、「そうです。」と答えると、「1つ?」と言うので「ハイ。」と答えた。

すると更に耳打ちをして、「私がイチゴを取るから、おたくはWADAさんのほうれん草をとっといて」と言う。
そうなのだ、72歳のおばあさんは1番手なのだが、今日は私は5番手なのだ。
「イチゴは人気があって、みているうちに後ろからどんどん手がでて取られてしまうからね。」と言う。

「先週、WADAさんの小松菜を買いました。」と私が言うと、72歳のおばあさんは「小松菜は鉄分が多いからね」と言う。おばあさんはほうれん草の方が好きらしい。「でも小松菜の方がもちがいいけど」等と言う。

さぁ開店である。
72歳のおばあさんは、買い物カゴも取らずイチゴ売り場に向かって行く。
それなら私も!とほうれん草売り場に向かう。あれ?しかしいつもと場所が違う。そうかあっちか!そして「WADAさん」の名前がついているホウレンソウを2つゲットした。

そして顔をあげると、72歳のおばあさんがイチゴを2つゲットできたようで、目配せで「ほうれん草とれた?」という顔をするので、「ハイ」と目配せで返した。そうだそうだ買い物カゴに入れなくてはと取りに行くと、72歳のおばあさんもそれからカゴを取りに行ったようである。
そして2人で交換した。

72歳のおばあさんのイチゴは1つはジャム用の小粒のイチゴだったので「こちらでいいですよ」と言ったのだが、「こっちの大きいイチゴの方を食べなさいよ、私は明日また買いに来るから」と言い、大きい方を持たせてくれた。(せっかく言ってくださるので遠慮なくいただくことにした。)
あの目利きのきくおばあさんが1つはジャム用のイチゴだったのだから、相当争奪が激しかったのだ。(たぶん私では取れなかった。)


かじきを買うと、バカの一つ覚えでこれを作ります。
カジキは一口大に切り塩コショウして小麦粉をはたいて、油で炒めて取り出す。
ナスとしめじ(今日はナスの代わりにピーマン、しめじの代わりに生シイタケで代用)も油で炒めて、カジキももう1度フライパンに入れ、合わせ調味料で味付け。(私はしっかり野菜にも火を通したいので、合わせ調味料を入れる前に水を少々入れて少し蒸しました。)
合わせ調味料は、砂糖:酢:しょうゆ を、1:1:1同量であわせたもの。
カジキではたいた小麦粉が少しとろみをつけてくれます。


kekeにはマーボー豆腐。

今日からの3連休、何しようかな~っと。(^o^)丿
↑たぶん大したことはしないだろうけど、休み初日のこの気分がいいですな!

出た出た中が~♪

2016-03-18 | 日記
ジャジャジャ~ン。(^o^)丿


さて、今日は何をお見せするでしょうか。

それは・・・


それは・・・・







ジャン!!!
昨夜、作りました!(^o^)丿

これがあの有名な「小三元」と言うヤツだそうです。

もちろん生まれて初めてです!!(しかもチャンタ=端っこのパイだけの役付き)


sake、うれしい~~~~~

こんなことは二度とないと思い、写真に撮って、ブログにアップすることにしました。


最初から発が3枚あり、白も中も1枚あったので、発とチャンタがつけばいいかな~と思いながらも、何となく白と中をちょっとの間持っていたら白がきたんですね♪

そして最後は「中」の頭待ち。
これは場に中が2枚出てるのできっと来ると思ってましたヨ。

アッハッハッハッハ!!!(^o^)
(しかし、これ最後まで来なかったらくやしかっただろーなー)


基本、チャンタはあまり好きでない私ですが(なぜなら1と2が手元にあっても、なかなか3が来ることがないので、イライラして2から捨てることが多いのです。)今回はチャンタの方向で行ってよかったです。

役マンではないそうですが、こういう風に来ると気持いいですね。


しかし私は自分の手持ちのパイしか見ないので、あまり頭を使ってないかもしれません。(^_^;)



そして昨日の料理は、前日残った餃子のタネを、軽くゆでた大根の上に乗せて蒸す、というアイデア料理です。

kekeが買ったキッコーマン「おろししょうゆ」を上からかけました。

何となく「今日はやっちまったか!」と思いましたが、みかけほどマズくはありませんでした。
私の舌では、まあまあおいしく食べられました。ご飯のおともにするには味が薄いかもしれません。


麻雀もほどほどにしなくては・・と思いつつ、こういう時は徹底的にやった方が飽きるのも早いと思われ、やっている次第です。(^_^;)

マージャンゲーム

2016-03-17 | ぶきっちょさんの家事一般
1年前の今頃のブログを読むと、いろいろ料理をしていたようである。
よし、今日も作ってみようと思い立つ。


餃子。鉄のフライパンだとどうしても皮が破けてしまうので2週間前に買ったテフロンの20cmのフライパンで。
皮は先週作った残りの皮を使った。冷蔵庫に残った白菜(もう買って3週間・・もう早く使わないと。)、ネギ、ニラに生しいたけ。豚挽き肉だけ買ってきた。
味付けは、酒、オイスターソース、しょうゆ、ごま油(少々)、しょうがとニンニクを入れるのを忘れた。でもほんのり味がついておいしかった。

kekeが小学生の頃はスーパーで100円ぐらいで売っている焼くだけの餃子か、冷凍食品の餃子だった。kekeにとってはそれが「おふくろの味」になっているようで、最近になって手作りでいろいろ作っても、あの焼くだけの餃子の方がおいしかったと言ってあまり食べない。


ご飯も24時間経ってしまってパサパサだったので、急いでチャーハンにした。具材は大根の葉のみじん切り、ネギのみじん切り、ジャコに卵。
餃子でおなかがいっぱいになってしまったので、翌日の弁当(おにぎり)にした。


kekeの好きな酢豚。
これはあまり食べないで翌朝帰ってくるkeke用である。
今回もこちらのレシピを参考にした。


最近、マージャンゲームにはまる。
時間の無駄だと思うのに、ついやってしまう。
これもチョコレートやお酒類のように麻薬性があるのではなかろうか。

ほどほどの経験具合と、ほどほどの運具合のミックスされたあんばいが、もう少しで勝てるような気がするし、実際に勝てる時もある。
だけど勝ち続けることは絶対できない。
やっぱり実力だけではダメで、運の要素が左右するところでハマるのかもしれない。次はきっと勝てるだろうと思ってしまうのだ。

ちなみに自分は性格的に、あまり冒険はしないタイプだと思っていた。
でもいざやり続けると、相手はコンピューターだったり、お金かかっていないこともあるけれど、途中で手を崩すのがイヤで、どうせ崩さないのだからとリーチをして勝負に行ってしまう。作る手がピンフやタンヤオなので、リーチをして勝負をしないと点数が伸びないことも理由にはあるのだが。。。

やっているうちに、案外これが自分の本性なのではなかろうかと思えてきた。
振り返ると「たった一度の人生だから」というセリフを何度か吐いてきたような気がする。

だから賭け事はできるだけ、いや絶対しないようにしようと心に誓う。

最近のマイブームな食べ物

2016-03-16 | ぶきっちょさんの家事一般
最近のブームはツナおにぎりである。
20代の頃大好きだったコンビニの「シーチキン巻き」のイメージで作っている。

作り方はとても簡単である。

・ご飯に市販の寿司酢を混ぜる。(酢をたくさん入れるとおにぎりが崩れるので注意)
・ツナにマヨネーズを混ぜて、黒コショウも少々混ぜる。
 (私はマヨネーズが苦手なのでマヨネーズ少なめで黒コショウ多め)
・中にツナを入れたおにぎりを作って、のりで巻く。

作ってみると、コンビニで買うまでも無い。ご飯さえあればいつでもできる。
シソもあればはさむとなお美味かもしれない。

たかぎなおこさんのコミックエッセーで「母の手でにぎってくれたおにぎりがおいしくて懐かしい」という話があったが、おにぎりって何でぬくもりを感じるだろう。たかぎなおこさんも、自分で作ってのりで巻いて、しばらくおいてちょっとしめった頃合で食べるそうである。自分で作ったものでも手作りだと「ほっこり」するのだそうだ。

うんうん分かる分かる、と私も思う。
これからもっとおにぎりのレパートリーを増やしたいな~。(^o^)
(朝、急いでいて写真は撮れませんでした)



また国産レモンが出回ってきたので「レモン水」を作り始める。
去年のと少し配分を変えた。

今は
水400ccを沸かして、大さじ1の砂糖(グラニュー糖)をいれ、それが冷めてからレモン1/3個~1/2弱をしぼって入れている。
kekeに「C1000タケダとよく似た味になってるよ~」と声をかけたけれど、「レモン何個分?」と言われ「こっちの方がレモンが入っている」と断られたので一人で飲む。



これは先週末また作ったカップケーキ。

無塩バター50g
きび砂糖20g(本では30gだったのを減らす)
塩ひとつまみ
卵1個
小麦粉100g(二度に分けて半分は牛乳の後に入れる)
ベーキングパウダー小さじ1
牛乳50cc
最後にジャム(60g~70g)

今回はレモンジャムなので多めに70g入れたけれど、個人的にはもう少し少なくてもよかったかもしれない。

カップケーキは無縁バターを白くなるまで練るのが大変なのだが、私はあまり練っていない。面倒なのでレンジでチンして大方やわらかくしてからぐるぐる混ぜるだけ。それでも一応こうして形になるようである。
上から順番にボールに入れて混ぜて、カップに入れて18~20分ぐらい焼く。(小麦粉とベーキングパウダーは合わせて一度ふるいでこしている。)


昨日はたこやき器でまたたこ焼きを作ったが、タネが多すぎてあふれ出た。
ひっくりかえすのに手間取って、大変だった。
何事も「ほどほど」がいいのだと思い知る。(当たり前か。。。)
マージャンゲームをしながら食べていたら、食べ過ぎた。

「がんばらない がんばらない」/ひろさちやさん

2016-03-15 | 読んだ本
「がんばらない がんばらない」/ひろさちやさんの本から、自分が感動した(?)箇所をピックアップしてみることにする。

1.すべてはほとけさまからの預りもの(無我)
(要約)
最近の親は子供を「つくる」というが昔は「授かる」といったものである。「授かる」さらに子供は「ほとけさまからお預かりしている」と言ったほうがいいだろう。同時に私達の体も命もほとけさまから預っているものなのだ。いや、すべてがほとけさまから預っているものなのだ。


2.幸福は「棚から牡丹餅」で訪れるもの(僥倖)
(要約)
私達は幸福なとき「自分が努力したから幸福だ」と思いがちだがそれはいけない。そうすると不幸な人を努力しない人・悪い人と思ってしまう。また自分が幸福でないときに自分が悪いのだと落ち込んでしまう。幸福は棚から牡丹餅だと思って、現在の幸福に感謝し、いつかやってくる不幸にこころの準備をしておくような見方がよい。


3.他人との距離が必要となるこころのトゲ(自我)
(要約)
人間はほんらい孤独である。孤独から逃れることはできない。その意味では孤独の悩みは克服できないものを悩んでいるのであって、「幻想」と言うべきものである。わたしたちは甘い幻想は捨てるべきである。(ほぼ原文どおり)


4.中途半端な善は傲慢になる。「こだわりのない善を」(有漏・無漏)
(要約)
ちょっとした善い行いをして「自分はいいことをした。自分はいい人間である。」という満足感を持つと、人間は知らず知らずに傲慢になる。そしていいことをしない他人を非難しはじめる。これは中途半端な善である。私たちがすべきなのは「こだわりのない善」である。


お坊様の言葉を勝手に要約してしまったが、また1年後ここを読むだろうから、こうしてメモっておくことにした。(まだ全部読みきってないので、前半のピックアップである。)


私はこの中でも「すべてはほとけさまからの預りもの」と言うのが気に入っている。
こうしてどなたかと出会ったことも「縁」つまり仏さまの授かりごとだと思うと、別れがきても受け入れられるだろう。どんなにもがいた所でその時は来るし、そうならないように努力するより、執着をしててそれを受け入れられるようにしよう。

「この本に従っていると怠けてしまうのでは」と危惧される方もいるようである。そう言われてみればそうかもしれない、と思う。
それでも私はしばらくこの精神でいようと思う。

本当に危機一髪の事態になったらたぶん頑張れると思うからである。
今は非常事態ではないので、こうしてのんびり歩いていきたい。
仏さまはこの世で楽しむために、心や体を貸してくださっているのだと思う。
全てつかの間の借りものの縁を楽しみながら、やがて一人であの世に旅立つのだと思う。

マラソン

2016-03-14 | 巷の話題
朝、珍しくニュースを見ると女子マラソンのニュースをやっていた。

日本人で1位だった女子と2位の女子は1秒ぐらいしか差がなく、最後まで競り合っていた。
その大会はオリンピック候補の選抜だったようで、たった1秒差なのに1位と2位では結果が雲泥のように違うもののようである。
この二人は両方とも前回のオリンピックでは選考からはずれてしまい、是が非でも今回取りたかった切符だったそうである。勝った選手はいいが、負けた方の選手を考えると何とも気の毒な気持になった。

私は体育会系ではないので「オリンピックなんてどうでもいいじゃん」と思ってしまうのだが、それは非国民のようになるので口が裂けても言えないのである。政治は自分の生活に直結するので関心を持たねばならないが、オリンピックのメダルの数がいったい何に関係するのだろう・・・などと考えてしまう。

でもオリンピックを夢見てきた人はそのために頑張ってきたのだから、やはり死活問題なのであろう。(だからそれがいったい何なの)等という、私のような人間がいることは許せないことであろう。


私のこのスポーツ全般に対する「しらけ感」は今に始まったことではない。

古くは小学校時代の運動会からである。
前にも何度か書いたが、自分は毎年かけっこではビリ。(それも親が見て恥ずかしいほどのクソビリだったようである。)クラス対抗リレーでは3人ぐらいごぼう抜きされてクラスメートから嫌味を言われる。
毎年そんなだったので、いつも雨雨坊主を作って前日から雨乞いをしていたのだった。

それからしばらくは何も感じなかったが、次に感じたのは子供の少年野球である。
子供以上に親が熱心に応援している。
失敗した子供を叱る。上手ではない子は試合に出れない。

kekeが試合に出れる方ではなかったので、私は内心どっちらけていた。
これに勝ったところでいったい何になる。給料が上がるわけでもあるまいに、と思っていたが、そんなことを考えたのはたぶんあの中で自分ひとりだったと思う。
私だけがあの中で応援を声にできなかった。勝つよりも頑張れればもういいじゃないかなんて思ったりしてた。


別にオリンピックに出れなくたって、今まですごい数のマラソン大会で勝ち残ってきたはずなのに、たった1度のそれだけで涙を流す姿が気の毒で見ていられない。また、オリンピックに出れたとしてもその成績がふるわなければどうなるのだろう。いったいなんでこんなに競争し続けなければならないのだろう。


とは言うものの、私も見始めると夢中になるタイプで、真央ちゃんがショートでつまづいてフリーで挽回したりすると、夜中でも感動のブログをアップしてしまうのである。
でも基本、スポーツはああいう勝ち負け意識が苦手だ。

敗れてしまった時に
「でもこのスポーツが大好きで今までやってきました。今回思うような成績にならなかったのは残念ですが、これが今の私の実力です。」
こんな風にさわやかに思えたらいい。
でも、こんな余裕をかましてたら、たぶん競争には勝てないのだろう。
それが私から見えるスポーツの世界である。

頑張れば、いつかは報われる。
そんな世の中にはびこるまやかしが、辛くなる。

でも彼らはそれが好きでやっているんだから。

私はそう思い直してTVを消す。

佐野洋子さんの本を読む

2016-03-13 | 読んだ本
先週、佐野洋子さん関連の本を2冊借りる。

●「私の息子はサルだった」

佐野さんが亡くなった後に1人息子さんが佐野さんの遺作を集めたもの。息子さんが自分のことを本に書くなと言うため、出せなかった原稿があり、それを息子さんが本にしたようである。
佐野さんも2度の離婚、1人息子を持つので、私はまっさきにこの本のあとがきをめくった。
「あとがきのかわり」というタイトルで息子さんの言葉がある。1人息子は母親にどういう気持を持っているのだろうか。

「ああ、悪かったな。そんなに書きたかったのなら、もっと書かせてやれば良かったな。
 ごめんよ、お母さん。
 なんて、絶対に思う訳がない。今もし、この話の続きを書いていたらと思うとゾッとする。」
(原文とおり)
 
「この話は佐野洋子が一方的に書いた僕の記録だ。(中略)
 言いたい事は山ほどあるけど、もう好き勝手に書けばいい。」
(原文とおり)

これを読んでたまげてしまった。
もっときれいな「お母さんありがとう」話なのかと思ったらとんでもない。どこかkekeにも共通するある手の憎たらしさがある。
しかしこの親子はよく似ている。佐野洋子さんも「淋しい」とは決して書かない、ガハハハハと笑うタイプの方である。この息子さんも一言も「お母さん大好き」なんてことは絶対書かない。でもその現れない文面の中に、なぜかそういう繊細さを感じるのだ。これがあとからきいてくる。
本文の内容は息子さんの小学校から高校時代までの初恋や友人達とのエピソードなど。それも微笑ましいけれど、個人的にはそれより「あとがきのかわり」がキョーレツで面白かった。


●「女に」/谷川俊太郎さん

佐野洋子さんの本を検索していたら、この本がヒット。
2度目の結婚の相手があの詩人の谷川俊太郎さんだと分かり、これは挿絵を佐野さんが書いている夫婦共著である。
この本の出版は1991年。佐野さんと谷川さんが結婚した翌年の出版である。

今まで谷川さんとは、校歌や教科書に載るような詞を書く人だと思っていた。しかし、この詩集は「谷川さんってこういう人だったの?!」というほど、熱い。
言うならば「ゲーテの世界」と言う感じである。中には1歩間違えると発禁本に近いような(?)詩すらある。
「僕はこうしてあなたに出会うために生まれてきたんだ」と生まれた時から歩み、そして出会い、そしてたぶん死んでからも魂はつながり燃え尽きる、ぐらいの熱い熱い詩集なのである。(あくまでも私の比喩です。)

谷川さんも佐野さんも、正直で情熱的で直球の人だったのだろうと思う。こうだと思ったら、その恋に突っ走っていったのだろう。
しかしこの谷川さんは3度目、佐野さんは2度目の結婚も7年で破綻する。

この結婚をした時、逆算すると佐野さんは53歳。1人息子の弦さんは23歳である。(数字は若干前後あるかもしれません。)
今の私ぐらいの年齢で、子育てを終えほんとうに愛する人と出会って、情熱的に愛して50代で結婚しても、別れることになるだろうとは。。。(ショック)
何故別れたのかはちょっとググッたぐらいでは全く分からないが、想像するにこれだけ情熱的に愛し合えば冷める時の温度差も当然あるわけで・・そこらで自由な空気が望ましくなったとか、そういう世間では考えられないような気軽な事情で離婚されたのかもしれませんね。(^_^;)勝手な想像ですみません。

私も万が一次に結婚しても、小さい子供もおらず、3度目だったらちょっと面倒があれば「じゃ、離れて暮らしましょうか」となるような気がする。
一番最高にいいのは、同居しないけれど決して裏切らないパートナーだ。
(佐野さんと谷川さんの関係はその後どうなったのか分からないが、佐野さんの息子さんと谷川さんはその後もお付き合いがあったことを考えると、そうそう喧々囂々ではなかったのではなかろうか。う~ん分からない。)


谷川俊太郎さんに興味しんしんでいろいろ検索してみたら、なんと!あのビートたけしさんが谷川さんの作詞で歌も歌ってることが判明。
作詞は坂本龍一さんなところからも、その意気込みを感じる。

しかし・・・・youtubeで動画をみると・・・・これがあのビートたけしさんなの?!
えぇ~~~~これまたビックリ。。。

1分13秒なので、もしも関心がある方がいらしたら、ぜひぜひ覗いてみてください。^^
もうビックリですよ。
「TAKESHIの、たかをくくろうか」
動画は★こちら★から。

存在

2016-03-11 | 息子keke
朝、久しぶりにkekeと顔を合わせる。(昨日、仕事がなかったようである。)

たまたま広島の中学3年生のニュースをやっていて、「これはショックだった」と言うと、kekeも同感のようで「自分でも自殺するかも」と言う。

「行きたい高校に行けなくても他の学校でもいいわけだし、何も自殺しなくてもよかったのではないかなぁ。」と私は言うと、kekeは「中学生だからそこまで考えられなかった。これで人生終わったと思ったんだよ。」と言う。

自分もkekeが大学を辞める時に「これでkekeの人生は終わった」と思ってしまった。
それが正しくなくても、やはりその時はそう思ってしまうと思う。

「それではどうすればよかったんだろう。親が学校に行って食い下がればよかったのかな。」と言うと、kekeは黙った。
そして、「交通事故もそうでしょ。」と言う。

悪くなくったってそういうこともあるんだよ、と言う意味だと思う。
私は「そう考えればいいのか。」と言った。

「だけど、これは原因(加害者)があるけどね。」とkekeは部屋に入っていった。


不謹慎かもしれないが私はkekeを「頼もしい」と思った。
割と最近になって、そう思うことが増えた。

これからもしもある理不尽な出来事にぶつかっても、それを振り切ってkekeは淡々と生きていくのではないか。私が死んでも、家や財産がひっくり返ってなくなるようなことが起こってもあの子はそれを乗り越えて生きていくような気がするのである。(それでいいのだ)


会社に行くと、私は水槽を思い出した。

やはり魚が1匹死んでいた。

昨日も死んでいたのは気づいていたが、底に沈んでしまい翌朝になったら浮いてくるかもしれないと思ってそのままにしておいたのだ。
しかし、水草(造花の)に引っかかって浮き上がらないままだった。

(さっきZENさんにとってもらえばよかった)と思ったが、このまま放置するのは魚が可哀想に思い、引き上げる事にした。
(この先の具体的な描写は気分のいいものではないので、ここでは避ける。)

私は魚も人間もおんなじだ、と思った。
不謹慎のきわみだろうか。

死んだら、命がなくなったら「もの」になってしまう。


そして私はまた今日一日を過ごす。

何も無かったように。

今日のメニュー(白菜のコーンスープ)

2016-03-10 | 健康とか病院とか
最近、ますます物忘れが多くなったような気がする。
何か頼まれても、すぐにやるか、どこかに書いておかないと必ず忘れる。

そう言えば話は横道にそれるが、私は色のついた紙(ピンクとかブルー)のチラシで裏が何も書いていない紙は会社でとっておくのだ。
それをハサミでタテヨコ4~6つ位に切って、大きなクリップで止めてメモ用紙に使ったり、フセンの代わり(カラーの紙なので目立つ)に使っている。

何しろ「貧乏性」なので、会社でフセンを使うのももったいないのである。
会社の経費で買うのだから自分のサイフは傷まないはずなのに、どうでもいい用事ではフセンを使いたくないのだ。そう言う時はその小さく切ったカラー用紙に用件を書いて、クリップで止めておくのである。

その私のカラー用紙のメモ帳が、数日前から無い。
(あれ~?どこにやったんだろう?)と思ったら、今日nanuさんがいつの間にか、あたかも自分のメモ帳のように使っているのを発見した。今日は本人がいたのでできなかったが、明日のいない時に、あれを取り返すのを忘れないようにしようと思う。あの人は時々私の筆記用具を勝手に机の引き出しから出して使ってしまうので、気に入っているボールペンは制服の胸のポケットに必ず掛けておくようにしている。

話は戻って、そうなのだ、必ずメモに書いておかないと忘れるぐらい物忘れがひどいので、脳みその訓練をすることにした。

まず「神経衰弱」というゲームをすることにした。最初はトランプ持ってきて、家で床に散らかし、1人で神経衰弱をやってみたが(全部取りきれるか心配だったが割りと取れた)、その後ネットの無料ゲームにあるので、今はそこでしている。

今日も休み時間に神経衰弱のネットゲームをしようとしたら、その同じサイトに「麻雀ゲーム」があり、20年ぶりぐらいに麻雀ゲームをやってみた。(sake家ではよく正月に家族で麻雀ゲームをするのがならわしであった。)

ふん、なかなか面白いじゃないか。

思わずはまってしまった。

そう言えば実家には今でも麻雀パイがあるのだろうか。



昨日作ったグラタン。牛乳があまり残ってなくてホワイトソースがあまりできなかった。


これが今日初めて作ったコーンスープ。
「ケンタロウ1003レシピ」(本のタイトル)より「白菜のコーンスープ」。

クリームコーン缶・・・小1/2缶
牛乳 カップ1と1/2
固形スープの素 1/2個
砂糖 小さじ1/2

この材料↑を煮立てたら、切った白菜を入れて3分煮込むだけ。
本当にあのよく売っている紙パックのコーンポタージュスープと同じような味になってビックリした。
白菜でなくても、ベーコンと玉ねぎとかでもおいしく食べられると思う。
牛乳が余っても、これからはこのレシピがある限り困らないだろう。

広島の自殺

2016-03-09 | 巷の話題
広島の中学3年生の男の子が自殺した事件は心が痛くなった。

「そんなことで自殺するほうが弱い」「相談できない親子関係に問題がある」等というネット上の意見もあるようだが、この時期の男の子ではこのようなことがあるかもしれないと私は思う。

高校受験というよりも、三者面談が近づき親に顔向けができなかったのかもしれない。
4回も先生と生徒が面談(後から廊下の立ち話程度だと分かる)をして生徒が「やっていない」というのにもう一度調べなおすこともできなかったのだろうか、前の担任にその時の様子を相談することもできなかったのか。

今の受験は推薦入試も多い。推薦受験ができないのは大変なことだろうと思う。
何より万引きで学校推薦がもらえないと言うシステムに驚いた。

この事件のようなケースは稀かもしれないが、いじめられて万引きを強要されるようなことはどこにでもあるのではなかろうか。そういう生徒も学校推薦はもらえないということなのだろうか。
中学側が普通に手続きを取り、高校側が不合格にするという結果だったら、まだ救われたかもしれない。

kekeではないけれど、今の時代に生まれた子供は生きていくのが大変だ。自分は子供は持ちませんというのもうなづけしまう。
もしも命を絶たなかったら、この事実は調べ直されることはなかったのではなかろうか。




kekeの好きな酢豚。
揚げる手間が掛かるが昨日はうまくできた。
ほんとうにお惣菜の酢豚の味になった。参考レシピはこちら


今日は酢豚とぶりのお弁当。