昨日、自民党の両院議員総会が開かれて、首班指名選挙の対応と総裁選について議論されたそうですが、実りのある議論もなく、ヤジが飛び交い、まとめる人もオレがやると立ち上がる人もなく、「まるで学級崩壊」との声まであがったとか…。ここまでくると、まさにメルトダウン状態ですね。
麻生首相は記者には八つ当たりする癖に、同僚に対しては低姿勢のつもりか、もはやどうでもいいのか、すっかり達観したような様子だったとか。一方、議員たちも(自分たちで選んだ癖に)すっかり愛想を尽かして麻生首相を責める発言はなく、執行部をつるし上げる発言が相次いだとか。
また、何か意見が出ても、ヤジが飛んだり、建設的な話し合いになることもなく終了したそうです。「派閥解消」「世代交代」「小選挙区当選」などの方向性は何となく見えているものの、一番肝心な手を挙げる人が出てこず、河野太郎衆院議員から総裁選出馬の推薦人を10人に引き下げる提案をしてもあっさり否決され、総裁候補と目される議員からも目立った発言はなかったとか。
自民党は既に衆議院で119議席しか持たない小政党に落ちたわけです。文字通り裸一貫から、本当に心機一転が必要な時です。しかし…、昔の生活が忘れられず、プライドだけは前と同じままで、生活が今の身の丈に合っていないといった感じです。
また、こうした状況をしかと受け止め、今何をすべきか語る「言葉」を誰も持たないことが、この政党の現状をよく表しています。「言葉」は政治家の命ですが、いかにそれをないがしろにしてきたかということです。「言葉」でつまずいた人は、麻生首相以外に、森元首相、久間元防衛大臣などの面々が思い浮かびますが、この人たちが何をしてきたのか正直よく分かりません。国民に向けての言葉よりも、料亭における談合で政治をしてきたことのつけが、この学級崩壊に現れています。
いろんな人が言っていますが、自民党は1993年の下野の頃には既に終焉していたのでしょう。55年の保守合同による結党以来、鳩山一郎、岸信介、池田勇人、佐藤栄作といった大物総裁に続いて、三角大福中と言われた田中角栄、三木武夫、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘といった面々が派閥を率いて総裁の座を争い、バブルを迎える頃には次世代「ニューリーダー」の時代を迎えましたが、この当りから軋みが出始めます。竹下登はリクルート事件で退陣、リリーフ宇野宗佑は女性問題で退陣、イメージだけで登用された海部俊樹は解散を封じられ退陣、安倍晋太郎は首相を目前に無念の死、漸く首相の座についた宮澤喜一は竹下派分裂のあおりを受けた不信任案成立で解散するも過半数を割り退陣。意見の対立があっても、政権政党という一点だけで団結していた自民党から、小沢・羽田派が飛び出たことは大きな節目となりました。
ここで自民党は下野し、初めて総理になれなかった河野洋平を総裁とし、以後、橋本龍太郎、小渕恵三と派閥の力で総理が決まり、小渕の急死の際に密室で選ばれた森喜朗が低支持率で退陣すると、小泉純一郎が3度目の挑戦で総裁の座につきました。派閥の領袖でもなく、自民党の支持基盤である郵政民営化を持論とする小泉が総裁になったこと自体が、自民党の大きな変質を表しています。下野の恐怖から組んだ公明党との連立もその変質を進行させた一因となっているでしょう。そして、止めの郵政選挙で自民党は大勝したものの、平沼赳夫、亀井静香、堀内光男、綿貫民輔、藤井孝男、保利耕輔、野田聖子など有力政治家が離党を余儀なくされ、党内力学に大きな変化を及ぼしました。
で、小泉総裁の任期後が、ご承知の通り、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎です。こうして見ると、麻生首相が言うように「これまでの自民党に対する不満が積み重なったものだ」というのも真実だと思いますが、「あなたにそれを言う資格はない」とも言えるでしょう。他のまともな人だったら、カンフル剤程度の力にしかならなくとも、少なくとも自民党を安楽死させることもなかったでしょうから。
こんな有様が衆人環視のテレビで放映されてしまうとは、次の参議院選挙も敗戦必至ですね。民主党も小沢幹事長のもと地道な選挙対策を実施してくるでしょうが、そういうこと以前に自民党の自滅ですからね。
しっかりしろ!野党!