2016年のオリンピックの開催地決定が10月2日のIOC総会で決定されますが、日本の出席者がどうなるかで揺れています。欧州のサロンのようなIOCは人脈や「顔」がものを言いますが、日本は最適な皇族が公務か何かで出席不可で、五輪経験者の麻生前首相を出席者として申請していたものの、あえなく総辞職でいまさら出席も出来ず、民主党は都議会で新銀行東京を巡って対立しており、鳩山首相が出席するのか未定の状況だからです。
対するアメリカ・シカゴは、地元の代表としてオバマ大統領のミシェル夫人が出席するそうですし、スペイン・マドリード、ブラジル・リオデジャネイロも、王族や首相などが出席して総力戦を展開するそうです。
しかし、私の個人的見解としては、誰が東京でオリンピックを開催してくれと頼んだのかということです。1964年の東京オリンピックは世界に追い付け追い越せという高度成長の物心両面の原動力ともなり、その意義は分かりますが、今なぜオリンピックなのかです。
第一次評価では、安全性やコンパクトなプランで高評価でしたが、その後、国民の支持が6割弱と他の候補地から遅れをとったことで、評価を下げています。しかし、私にしてみたら、6割弱もの人が支持していること自体が信じられません。深い考えもなしに、何となく盛り上がるのでいいんじゃないか、くらいな支持としか思えません。
逆に、施設などは既存施設の活用で大きな投資はないとはいえ、まったく持ち出しがない訳ではありませんし、警備その他のコストもかかります。オリンピックは、それを負担してまで巨大なメリットが期待できるものではなくなっていますし、心理面でも、既に成熟化して少子高齢社会に突入した日本では、意義が少なくなっています。それどころか、企業が不況の中で、広告費などを抑える中、テレビで大々的にコマーシャルを打つことを誰が認めたのでしょうか。新銀行東京も明らかに失敗ですし、東京オリンピックも頼んでもないのにいつの間にかお金を注ぎ込んでいるように思えてなりません。
先日の都議会選挙は、こうしたことよりも、国政への批判が争点になっていたと思いますが、民主党は第一党として、こうした都民の生活に根差す問題もしっかり見ていってほしいものです。
それにしても、IOCや各種競技の国際団体もスポーツのフェア精神とはほど遠い問題がいろいろあることが聞こえてきますので、何とか透明度の高いものにしてもらいたいと思います。しかし、国際政治と同様に、スポーツとナショナリズムというのは、どうしても切り離せないものなのでしょうね。