津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

町は「まち」?「ちょう」?

2006-01-12 21:02:33 | 熊本
 熊本に於ては、藩政時代の侍町が「ちょう」、町人町が「まち」だったらしい。
日本一のアーケード街と言われる「通町」は、かっては通りの両側に家臣の屋敷が立ち並ぶ侍の町で「とおりちょう=通丁」近くに「草葉町(丁)」「黒鍬町(丁)」などがある。「新町」唐人町」「桶屋町」などは町人の町で「まち」である。もう住居表示として無くなった「鷹匠町」「駕町」などは「まち」と言っていたように思うのだけど・・・・
 所用で車で外出、国道三号線水道町(丁)から、近道をしようと通町(丁)に抜けようとすると、まあ道の狭いこと・・・藩政時代の路地がそのまま縦横に残っている。
古い建物を改修して面白い店が沢山有り、若者たちの町になっている。
建物を建替える時は、建築基準法という無粋な法律により、道路の中心から2mのラインまで、建物(正確には敷地)を引っ込めなければ成らない。(道路幅員4mを確保するため)あちこちに歯が欠けたように凹凸があるのはそのせいだ。狭い道は狭い道なりの、法の規制が出来ないものかとつくづく思う。近い将来、通町周辺も開発の憂き目に遭うのだろう。
コメント
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