私が観たくて仕方がないものに、山口県文書館が収蔵する「小倉城図」がある。
今般、熊本大学の北野教授の調査で、同じ山口県文書館から慶長17年の「肥後熊本城略図」が発見されたことを、地元紙が報じている。新聞が掲載している略図は部分であるが、スケール感もはっきりしていて、これはもう一級資料である。この時代まだ小天守の姿が見えない。来年築城400年を迎える熊本城は、慶長12年(1607)完成から数えてということだが、熊本に残る古ぃ絵図は時代が新しく、これは嬉しい限りである。慶長16・7年二回にわたり毛利家家臣が肥後領に入り、内偵して作図したものだと解説されているが、そうすると「小倉城図」などもその類なのだろうか。この様な史料がまだまだ発見されずに眠っている。夢は広がる。
http://lets.kumanichi.com/kumamoto_rena/ 「探訪 江戸文化in熊本」
今般、熊本大学の北野教授の調査で、同じ山口県文書館から慶長17年の「肥後熊本城略図」が発見されたことを、地元紙が報じている。新聞が掲載している略図は部分であるが、スケール感もはっきりしていて、これはもう一級資料である。この時代まだ小天守の姿が見えない。来年築城400年を迎える熊本城は、慶長12年(1607)完成から数えてということだが、熊本に残る古ぃ絵図は時代が新しく、これは嬉しい限りである。慶長16・7年二回にわたり毛利家家臣が肥後領に入り、内偵して作図したものだと解説されているが、そうすると「小倉城図」などもその類なのだろうか。この様な史料がまだまだ発見されずに眠っている。夢は広がる。
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