津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

「初音」? 「白菊」?

2006-04-21 22:42:47 | 歴史
 森鷗外の「興津弥五右衛門の遺書」に登場する伽羅木、弥五右衛門は買い入れに反対する相役横田清兵衛を殺害してまで、この香木を手に入れている。さてこの香木、綿考輯録には、寛永三年の項に次のように紹介されている。
「去々年、交趾江渡海せしもの帰国、伽羅持参いたし候、三斎君白菊と御名付、其箱の蓋に御自筆御書付
 寛永元年交趾江
 渡船同三年ニ来
 伽羅白菊と名之
   たくひありと
         誰かは
         いはん
       すゑにほふ
   秋より後の
      しら菊の花
箱長八寸四歩、横七寸六歩、高八寸、板厚サ三歩半、桐之木地ふたハさんふたなり、伽羅木指渡五寸余、外ニ三四寸之木懸目三百目余有之、添居申候由なり」

森鷗外の「弥五右衛門」によると、三斎は「初音」と名づけている(古歌略す)寛永三年息忠利がこの香木を天皇に献上、その時上記の古歌により「白菊」の銘を下賜されたとしている。事実は違うようだ。
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チテンチトチンテンシャン・・

2006-04-21 00:21:50 | 徒然
 ある人の訃報を聞いた。九十近くではなかったろうか、遊び人で実家の家業を潰してしまったらしい。何度か酒の席をご一緒したが、中々の粋人で「都々逸」がお上手だった。「酒は座敷で飲むものだよ」と、バーのカウンターで薀蓄をたれながら、「チテンチトチンテンシャン」と口三味線で唄いだす。いい声だった。「毎夜小便しかけてみても、電信柱は太らない」などと、くだらないのを披露して、周りの笑いを誘っていた。「一つだけですよ」が口癖で、多くはやらない。「Sさん(私のこと)、お互いいい爺さんになって、いつまでも飲みましょう」そんな話をしていた彼が、脳梗塞で倒れたとのニュースを聞いたのが、もう十四五年前のことだ。二廻りほど年の差があったが、妙に気の合う人だった。「たばこ・・・お止めなさい。お酒だけになさい。贅沢っていうもんですよ・・」そういいながら、両切りのピースがお好みだった。「私のささやかな贅沢・・一日五本」

いい人だった。残念・・・・・・合掌
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