東福門院和子(徳川秀忠・女)に若宮(高仁親王)が誕生した一報は、寛永三年十一月廿一日注進の為の小早によってもたらされた。翌日には早速お祝いの為の太刀献上の手配がなされているが、この内容が面白い。
今度 中宮様 若宮様御誕生ニ付、方々より御太刀上り申はすニ候ハヽ、能被聞合、只今被成御上候長光ノ御太刀ノさや、青い(葵)ノ丸ノ内をけし、きくニ仕直シ可申御意ニ候事
徳川家からの下賜の太刀でもあろうか、さやにある「葵の御紋」を細工して、「菊の御紋」に作り変えようという話である。
十一月廿六日、親王誕生の祝儀の使者として、三渕昭知(細川藤孝の兄・藤英の息)が命じられ未の下刻に出発する。
十二月廿七日の「日帳」には次のように有る。
中宮様御誕生■■御祝儀、去十九日ニあかり、権大納言(烏丸光広)殿よりノ御文、并御進物ノ目録・寺嶋平兵衛言上ノ状、又知首座よりノ状、何も三宅勘三郎を以上ケ申候事
当然あの太刀も「御進物の目録」に載せられているのだろう。
今度 中宮様 若宮様御誕生ニ付、方々より御太刀上り申はすニ候ハヽ、能被聞合、只今被成御上候長光ノ御太刀ノさや、青い(葵)ノ丸ノ内をけし、きくニ仕直シ可申御意ニ候事
徳川家からの下賜の太刀でもあろうか、さやにある「葵の御紋」を細工して、「菊の御紋」に作り変えようという話である。
十一月廿六日、親王誕生の祝儀の使者として、三渕昭知(細川藤孝の兄・藤英の息)が命じられ未の下刻に出発する。
十二月廿七日の「日帳」には次のように有る。
中宮様御誕生■■御祝儀、去十九日ニあかり、権大納言(烏丸光広)殿よりノ御文、并御進物ノ目録・寺嶋平兵衛言上ノ状、又知首座よりノ状、何も三宅勘三郎を以上ケ申候事
当然あの太刀も「御進物の目録」に載せられているのだろう。