津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

ざんしょ、ざんしょ、再残暑

2008-09-05 17:03:47 | 熊本
 トニー谷(古い・?)の「ざんす、ざんす、さいざんす」ではないが、「ざんしょ、ざんしょ、さいざんしょ」である。
とにかく蒸し暑い。じっとしていても、汗がたらーりと流れ落ちる。34℃位にはなっているのではないか。そろそろ五時にもなろうかというのに、部屋の温度は一向に下がらない。一雨欲しいところだが、西空の黒い雲もそんな力はないようだ。熊本は九月中旬に成ると、藤崎八旗宮の秋の例大祭(随兵祭り)の馬追いで一気に秋の気配になる。いわゆる「ずいびょうがんや(随兵寒合)」だが、それまでの残暑は、朝夕の気温が下がる分骨身にこたえる。あと十日ほど耐えねばならない。
思わず「ざんしょ、ざんしょ、再残暑」と口から飛び出した。
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後藤又一郎のこと

2008-09-05 15:16:41 | 歴史
 御存知後藤又兵衛の男子である。
元和七年九月三日付け、三齋は内記(忠利)に対し次のような書状を発している。(抜粋)
 後藤又一郎儀其方へ遣候時申候趣失念と相見へ候書中ニ者難申儀候間(加々山)主馬口上ニ申候事

 書状には記しがたき事とは、いささか大仰とも思えるが、「何事?」と大変気になることでは有る。
                 (熊本県史料・近世史料編一 p307)
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休斎消息

2008-09-05 09:13:49 | memo
     休斎(細川孝之)今迄之被居所加藤右馬之允親いはい所にて候を
     先被成御借候 焼香も被成迷惑仕候由被聞召小川四郎右衛門家二
     之丸ニ御座候付而休斎へ可被成御借由御談合承届候御許究にてハ
     無御座候由奉得其意候事

九月十七日付け三齋の側近・佐方与右衛門宛て忠利の書状である。(抜粋)
文章の内容から三齋は京都に居る。但し年代が不明なのだが、光尚室お彌々の消息があることから、寛永11年~13年の間のものであることがわかる。

 松本雅明氏蔵の「加藤氏代熊本城之圖」をみると、二の丸に広大な加藤右馬之允の屋敷が確認できる。いわゆる「牛馬騒動」後の圖と思われ、下川又右衛門・並河志摩・森本儀大夫・庄林隼人などの屋敷が程近くにある。下津棒庵の屋敷はいわゆる「棒庵坂」の下にある。
「加藤右馬之允親いはい所」というのは、まさかこの二の丸の屋敷跡ではなかろう。城下の然るべきところにあったのだろう。小川四郎右衛門屋敷はこの「熊本城圖」では確認できない。小川又右衛門屋敷の事であろうか。

 何はともあれ、肥後入国後の休斎の消息が知れる書状である。
                   (熊本県史料・近世編一 p540)

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