津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

重陽の節供

2008-09-09 13:27:02 | 徒然
 今日九月九日は重陽の節供、五節供の一つとされ、古い文書には帷子を贈りあったりする様子が盛んに登場する。「九」が重なる事から「重九(ちょうく)の節供」ともよばれ、又「菊の節供」とも呼ばれている。
      ja.wikipedia.org/wiki/重陽
      iroha-japan.net/iroha/A03_goseku/05_choyo.html

 菊の花びらを盃に浮かべて、お酒を楽しんだりしたというが、風雅な事ではある。現今に於いては全くなじみがないと言えばそうでもないようだ。
「九日」に「御」をつけて「御九日」、これが変じて「おくんち」となり、各地で秋の収穫を感謝するお祭りになっている。

 節供にかこつけて、「今晩など一献参ろうか」などと、舌なめずりをして考えている。
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忠利の従兄弟たちの結婚

2008-09-09 10:52:03 | 歴史
 細川家と佐久間氏が、縁戚関係にあるということはうすうす承知していたのだが、つながりが今ひとつはっきりしなかった。「熊本県史料・近世編(一)」p395、元和八年三月廿六日付・魚住傳左衛門宛忠利書状(抜粋)に次のように有る。

「同名玄蕃殿・井上主計殿息女縁邊之儀調間敷様ニ又左御申候様子者又左より可有御申候
又玄蕃殿姉子佐久間延との縁辺(ママ)之義(ママ)も于今不被得御意候和泉殿肝煎ニて御座
候間御状被遣へく候哉」

  どうやら井上主計(正就-老中)息女との話は壊れたらしい。
         
          佐久間勝之---因幡守(勝友)
                     |
              +-------
              |      |
              |  高辻宰相遂良(再嫁)
              |
 玄蕃頭(頓五郎)---+--玄蕃(興昌)---興隆---→(茂木細川家)
                  |
 加藤左近大夫貞泰-------女

 佐久間氏との関係はというと、忠興の姪・鶴が佐久間勝之の息・因幡守に嫁いでいた。
勝之は豊臣秀吉の側近・竹田永翁を討果した人だとされる。(阿菊物語では自刃とされる)。生母は柴田勝家女、正室は佐々成政女、一時期佐々姓を名乗っている。
竹田永翁は、細川幽齋室・麝香の長兄・沼田光長の外孫(竹田梅松軒・二男)である。
            
            
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9/5 「後藤又一郎のこと」 続

2008-09-09 09:40:52 | 歴史
 三齋が忠利の仕置きに文句をつけているが、どうやら又一郎の知行に付いてだったのではないかと思われる。

 元和六年九月五日付、魚住傳左衛門宛 忠利書状(抜粋)

「後藤又一郎儀被仰付被下候時知行五百石迄ハ遣其後者主奉公次第ニ可仕由被仰下候由を主馬ニ被仰越候又一郎被下候時御そはの者ともより状をそへ参候五百石之知行之義何とも不申越候故其儀不存今度申上候 以上」 (熊本県史料・近世編一 p388)
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