津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

正室千代姫様江戸引越しに関する忠利書状

2008-09-23 22:08:01 | 歴史
 元和九年九月四日付、魚住傳左衛門宛忠利書状
        (熊本縣資料・近世編第一 p406)
女とも儀来十四日ニ罷立候分相定候併喜助殿者・小右近殿者申候ハ今之分之煩二而者道江罷出候而可有御座哉与申候 我等者喜助殿次第と申筈御座候罷下候故留申儀も無御座候 多分十四日ニ罷上へきかと奉存候事
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

彼岸花

2008-09-23 16:19:53 | 徒然
 お彼岸後の一週間、私は先祖供養の毎日(?)である。明日24日は三十年間起居を共にした母方の祖母、27日は母、30日は玄祖父・上田久兵衛の命日である。毎年この時期になると、駐車スペースの脇のわずかな所に彼岸花が顔を出す。健気ではある。二三本を切って仏壇に供えた。

     むらがりていよいよ寂しひがんばな 草城
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊丹角助(黒田蔵人)鑓働き

2008-09-23 15:09:41 | 歴史
 「寛永拾五年二月廿七日有馬城乗之刻働之衆証拠ニ被立御帳」
          (熊本縣資料・近世編--第三)p252 ・・抜粋
 一、伊丹角助
     一、二月廿七日有馬ニノ丸須戸越に敵と突合申候
     一、其後ニ丸乗越候而敵一人つきふせ申候
                薮図書与ニ入牢人
              証人   寺尾三郎兵衛
              右三郎兵衛書状取置申候長谷川仁左衛門存之仁ニ而御座候
    寛永十五年          長岡佐渡守 判
        七月廿一日      有吉頼母佐 判
            坂崎内膳殿
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする