【文書10】
私家来有吉頼母佐(英貴)証人国元へ於遣候ハ為右之替人を差上ヶ可
申者委敷書付可差上之旨先日被仰下ニ付而唯今申上候
一 沢村宇右衛門と申者越中守取立ノ者二而御座候 近年用所をも申付与なとをも預知行高六千石
遣置申候 右頼母佐為証人替差上者此者之証人上可申候 左候ハヽ宇右衛門忰沢村権頭并
宇右衛門おい沢村団四郎と申もの此の両人より外宇右衛門証人さし上可申者無御座候 権正と
申ものハ年も参候ニ付折々ハ用所をも申付者二而御座候 然共証人於差上申ハ右之権頭儀上
申にて可有御座候 左候は有吉平吉成人仕証人をも指上申時分ニ成候は右之宇右衛門証人と
又さし替可申候間左様ニ被成御心得可被下候
一 有吉頼母佐証人之替指上せ申儀ニ御座候は有吉平吉儀せかれとハ乍申頼母佐知行一万八千
石余無相違申付候 其上家老筋之ものにて御座候条又追付証人差上申にて可有御座候 左様
ニも候ハヽ如今迄頼母助むすめを平吉為証人其まヽ召置可申と奉存候 両人ノ内いつれ成共
御差図次第差上可申候 委敷ハ口上ニ申ふくめ候 已上
五月廿日 細川肥後
内匠殿
酒井紀伊殿
内蔵殿
【文書5-抜粋】
一 有吉頼母佐為証人旧冬六さいニ成申候娘を差上申候 然ハ頼母儀当二月ニ相果申候 則頼母佐
せかれ平吉九歳二罷成候ニ跡職無相違申付候 然共末幼少ニ御座候間右当地ニ相詰申候 娘之
儀ハ先国元へ差上せ平吉成人仕用所も申付候時分ニ罷成候は其節証人差上申度奉存候条是又
御さしつ次第ニ御座候事 以上
正保二年五月十一日 細川越中守・御書判
追記:10/15 綿孝輯録・巻六十一・・光尚公p279
「六月、有吉頼母証人之実娘を同妹と被差代度由被仰達候ニ付、証人御奉行よりの御奉書」
其方家中有吉頼母証人実娘と同妹と被差替度由達上聞候処、代候様ニと被 仰出候、可被得其
意候、恐々謹言
六月十四日 杉浦内蔵允
酒井和泉守
牧野内匠守
細川肥後守殿
私家来有吉頼母佐(英貴)証人国元へ於遣候ハ為右之替人を差上ヶ可
申者委敷書付可差上之旨先日被仰下ニ付而唯今申上候
一 沢村宇右衛門と申者越中守取立ノ者二而御座候 近年用所をも申付与なとをも預知行高六千石
遣置申候 右頼母佐為証人替差上者此者之証人上可申候 左候ハヽ宇右衛門忰沢村権頭并
宇右衛門おい沢村団四郎と申もの此の両人より外宇右衛門証人さし上可申者無御座候 権正と
申ものハ年も参候ニ付折々ハ用所をも申付者二而御座候 然共証人於差上申ハ右之権頭儀上
申にて可有御座候 左候は有吉平吉成人仕証人をも指上申時分ニ成候は右之宇右衛門証人と
又さし替可申候間左様ニ被成御心得可被下候
一 有吉頼母佐証人之替指上せ申儀ニ御座候は有吉平吉儀せかれとハ乍申頼母佐知行一万八千
石余無相違申付候 其上家老筋之ものにて御座候条又追付証人差上申にて可有御座候 左様
ニも候ハヽ如今迄頼母助むすめを平吉為証人其まヽ召置可申と奉存候 両人ノ内いつれ成共
御差図次第差上可申候 委敷ハ口上ニ申ふくめ候 已上
五月廿日 細川肥後
内匠殿
酒井紀伊殿
内蔵殿
【文書5-抜粋】
一 有吉頼母佐為証人旧冬六さいニ成申候娘を差上申候 然ハ頼母儀当二月ニ相果申候 則頼母佐
せかれ平吉九歳二罷成候ニ跡職無相違申付候 然共末幼少ニ御座候間右当地ニ相詰申候 娘之
儀ハ先国元へ差上せ平吉成人仕用所も申付候時分ニ罷成候は其節証人差上申度奉存候条是又
御さしつ次第ニ御座候事 以上
正保二年五月十一日 細川越中守・御書判
追記:10/15 綿孝輯録・巻六十一・・光尚公p279
「六月、有吉頼母証人之実娘を同妹と被差代度由被仰達候ニ付、証人御奉行よりの御奉書」
其方家中有吉頼母証人実娘と同妹と被差替度由達上聞候処、代候様ニと被 仰出候、可被得其
意候、恐々謹言
六月十四日 杉浦内蔵允
酒井和泉守
牧野内匠守
細川肥後守殿