誕生「永源師檀紀年録」
天正八年(1580)四月八日忠興主長子ヲ生ム、千丸殿ト小字ス、
後元服シテ忠隆ト称ス
細川家記は天正八年四月廿七日生まれとしている「綿孝輯録巻九」忠興公(上)p18
天正八年庚辰四月廿七日、於青龍寺御嫡子御誕生、御幼名熊千代君
後与一郎忠隆従四位下次従、剃髪以後休無被改
病気「兼見卿記」
天正十二年(1584)五月九日
長岡越中(忠興)息煩之間、罷越之由被了
病気平癒の祈祷が行われたのだろうか・・?
結婚「兼見卿記」
慶長二年(1597)七月廿九日・・18歳
越中息与一郎今夜祝言云々
天正八年(1580)四月八日忠興主長子ヲ生ム、千丸殿ト小字ス、
後元服シテ忠隆ト称ス
細川家記は天正八年四月廿七日生まれとしている「綿孝輯録巻九」忠興公(上)p18
天正八年庚辰四月廿七日、於青龍寺御嫡子御誕生、御幼名熊千代君
後与一郎忠隆従四位下次従、剃髪以後休無被改
病気「兼見卿記」
天正十二年(1584)五月九日
長岡越中(忠興)息煩之間、罷越之由被了
病気平癒の祈祷が行われたのだろうか・・?
結婚「兼見卿記」
慶長二年(1597)七月廿九日・・18歳
越中息与一郎今夜祝言云々