熊本県史料・近世編(一)p397 (抜粋)
(前略)平吉女房相果申候ニ付而伊賀殿むすめ薮小吉所へ被遣候いもうとを平吉所へ被遣度之由奉得其意候 拙者ハ只今存寄儀も無御座候 當暮ニ可被仰付候間沙汰を仕間敷之由畏(ママ)存候 此等之趣御披露所候 恐々謹言
青木与吉罷上候時
六月五日
魚住傳左衛門殿
年代の特定ができるものがないが、有吉平吉(立行・四郎右衛門)の後室についての話である。薮小吉とは薮家ニ代薮図書(正成)の弟・市正(正直)のことだが、その室は長岡伊賀守女とされる。その妹を有吉平吉の後室にしようという話である。
この長岡伊賀守とあるのは、三渕好重(幽齋末弟)のことであり、小吉の室はその女・蔵である。三渕家の系図(肥後藩・主要系図)をみると確かに妹がいるが、この人は有吉英貴に嫁いだとされ、有吉家の系図も同様である。
どうも文章を読み違えたのではないか。「小吉の室となった人の妹(伊賀守女)」ではなく、「小吉の妹」ではないのか。そうなると話の辻褄があうのだが・・・
これとて推測に過ぎないが、文書の読み解きは大変である。
大間違いをしてしまったので訂正をする。ここで述べられている有吉平吉とは、四代目有吉英貴(平吉・頼母佐)の事であった。訂正をし様かと思ったが間違いは間違いとして残す事にし、今後の戒めとする。2008/11/18
(前略)平吉女房相果申候ニ付而伊賀殿むすめ薮小吉所へ被遣候いもうとを平吉所へ被遣度之由奉得其意候 拙者ハ只今存寄儀も無御座候 當暮ニ可被仰付候間沙汰を仕間敷之由畏(ママ)存候 此等之趣御披露所候 恐々謹言
青木与吉罷上候時
六月五日
魚住傳左衛門殿
年代の特定ができるものがないが、有吉平吉(立行・四郎右衛門)の後室についての話である。薮小吉とは薮家ニ代薮図書(正成)の弟・市正(正直)のことだが、その室は長岡伊賀守女とされる。その妹を有吉平吉の後室にしようという話である。
この長岡伊賀守とあるのは、三渕好重(幽齋末弟)のことであり、小吉の室はその女・蔵である。三渕家の系図(肥後藩・主要系図)をみると確かに妹がいるが、この人は有吉英貴に嫁いだとされ、有吉家の系図も同様である。
どうも文章を読み違えたのではないか。「小吉の室となった人の妹(伊賀守女)」ではなく、「小吉の妹」ではないのか。そうなると話の辻褄があうのだが・・・
これとて推測に過ぎないが、文書の読み解きは大変である。
大間違いをしてしまったので訂正をする。ここで述べられている有吉平吉とは、四代目有吉英貴(平吉・頼母佐)の事であった。訂正をし様かと思ったが間違いは間違いとして残す事にし、今後の戒めとする。2008/11/18