津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

シンポジュウム・二件

2009-11-10 13:47:06 | 熊本
        横井小楠生誕200年記念国際シンポジュウム

   日時 2009年11月21日(土)午後1時~
   場所 崇城大学市民ホール(熊本市民会館ホール)
 ◆ オープニング 横井和子さんの挨拶
 ◆ 朗読劇  横井小楠の思想をやさしく解説
 ◆ 基調講演 猪飼隆明(大阪大学名誉教授)
    「小楠は世界をどのように見たか」
 ◆ シンポジュウム
   コーディネータ 石津達也(「大義を四海に」の著者)
   パネリスト  パオロ・ブッディーヌ(イタリア 小楠の「国是三論」の伊語訳出版)
           管 寧 (中国 小楠の「国是三論」の中国語翻訳出版)
          米満弘之(熊本機能病院理事長)
          吉丸良治(熊本ルネッサンス県民運動本部会長)
          星子邦子(消費生活コンサルタント)
   参加料  一般:1000円 学生:無料

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

       ジェーンズ没後百年記念シンポジュウム
       ジェーンズの業績とその弟子たち

 熊本洋学校教師L.Lジェーンズは1909年に死去しました。没後百年祭の二回目の
シンポジュウムです。今回はジェーンズが残した農業・工業分野への貢 献と其れを担
った教え子達に焦点を当てます。

   日時 2009年12月12日(土)午後1時~5時
   場所 熊本市総合体育館 青年会館ホール
 ◆ 「近代日本農業の開拓者」・ ・ ・ 横井時敬(東京農大初代学長)
                 友田清彦 東京農大 教授
 ◆ 発言-1「近代日本高等技術教育の先駆者 中原淳蔵について」
                 岩井善太 熊本県立技術短期大校長
 ◆ 発言-2「建築家 船越欽哉について」
                 磯田桂史 崇城大学 准教授
 ◆ 発言-3「ジェーンズが残した人材たち」
                 中村青史 熊本八雲会会長
 ◆ 「パネルディスカッション」
   コーディネーター 猪飼隆明 大阪大学名誉教授
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謎の人・庄林隼人

2009-11-10 13:07:18 | 歴史
 加藤清正三傑の一人として有名な庄林隼人を調べると、なんとも不可解な史料に出会って驚かされる。
ウィキペディアでは「庄林一心」として紹介されており、没年は禅定寺に有るお墓に刻まれた寛永八年としている。
         ja.wikipedia.org/wiki/庄林隼人
お墓についても「戦国浪漫」というサイトに見事な写真が公開されている。
         www.m-network.com/sengoku/haka/shobayashi450h.html
又、山鹿市菊香町には荼毘塚があるという。

 寛永八年死去が間違いないとすると、寛永十年に召出され、忠興の死去後八代の地から筑後へ出国したとされる隼人とは誰なのか。だとすると、上記隼人とは別人と考えるのが妥当だと思うのだが、なんともはっきりしない。庄林家は火災に合い大切な文書類を無くしたという。三代ほど浪人しており、先祖附の記述など確かなものなのか・・・謎は深い。

 ■寛永十年三月十九日付 榊原飛騨守書状(忠利様・人々御中)
       庄林隼人・出田宮内両人御かゝへ被成候由、可然人之様ニ承及候
                            (綿考輯録・巻三十五)

 さて「松江城秘録」によると、三齋の死の直前隼人佐は同じく加藤清正臣であった新美八左衛門と共に扶持を放されている。

    庄林隼人・新美八左衛門御暇被遣候通皆共かたへ被仰下候 
    閏五月廿三日之御書六月三日ニ此地参着致頂戴翌日四日ニ
    則申渡候 庄林儀ハ志水新丞所へ召寄西郡要人・奥田権左
    衛門私共より之使二仕被仰下候通右両人を以申渡候
    八左衛門儀ハ(澤村)大学所へ召寄是も要人・権左衛門私
    共使二仕申渡候 屋敷をあけ申候儀ハ翌日あけ申庄林ハ新
    丞所迄のき申候 八左衛門儀ハ本妙寺之寺内ニ旦那寺御座
    候ニ付而是迄のき申候 四五日■迄仕両人共二爰元罷出川
    尻より舟ニ而のき申候 庄林儀ハ筑後立花領内へ参申由ニ
    御座候 矢島石見せかれ主水庄林淡路時より懇二申通ニ付
    頼参居申候由申候 新美儀ハ女子ハ長崎へ遣シ其身ハ江戸
    へ罷越子共なと御存之方へ預ケ置大坂京二可罷在と申由ニ
    御座候 此両人儀被仰下候御書之御請何も一所二可申上候
    へ共帯刀かたより之書状差上候ニ付而俄ニ私かたより御飛
    脚差上候間先私一人にて右ノ様躰申上候
         (対象外の文言略)
      (正保二年)六月十九日     松井佐渡
              林 外記殿


        
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北関事件--相関図

2009-11-10 11:51:51 | 歴史
   北関事件で藤田助之進の相手方となった、前川勘右衛門の一族と言われる人たち。
   太文字の人たちが結婚に反対した人だとされる。これでは余儀なく決闘の場に引き出された
   助之進に勝ち目はない。


 +--幽齋--忠興--+--忠利---+--光尚---綱利
 |           |       |
 |           |       +--尚房
 |           +--古保       ∥---尚方(無嗣断絶)
 |           |       +---万
 |           |       |
 |           +--興孝-------興知・・・・・・・・・・・・・・・・→刑部家
 |           |       |   ∥
 |   古保     +--寄之   +--津也
 |    ∥         ↓   |
 |   松井興長--+==寄之   |
 |           |   ∥----+--直之・・・・・・・・・・・・・・・・→松井家
 |           +==古宇   |
 |                   +---國
 |                       ∥
 +---三渕重政---+--之直--山名十左衛門・・・・・・・・・・・・・→三渕家
             |
             +--重則--前川勘右衛門重之 (流浪先で自刃・22歳)
             |
             +--重方--与三兵衛 (知行召上)
             |
             +--古宇(松井興長養女)

   他に津川辰房・藤崎直治の名前も見える。
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