追加
一、山鹿町に浪居たる何の文右衛門甲斐/\敷北之関迄供しけれ共
不仕合にて討相の時手に不逢手をも負さりしか者口惜き事ニ思ひ
山鹿迄ハ供をして帰りけるか武名利に尽はてたりと云て髪を切り
いつくともなく出さりにけるとや文右衛門北ノ関にて臆病ハせさりしが
如此に仕舞たるハ其場所において働自分存候よりとくと無之跡にて
落着武辺はならにものそと我身を見限りての事にてや
あらんと評判有けり
一、北ノ関討相の場所にて十左衛門ち縫殿進切合たるに十左衛門の太
刀縫殿進かひたいに両度迄ハあたりけれとも手疵もつかす働たり
十左衛門の刀重代の大物切レなれと如此なるハ不審とて死骸の鉢巻
をとりて見るに小ぶくろの鋸(ママ)を鉢巻に包込て居たりける
一、北ノ関にて討死前川・山名両家の者共の死骸ハ直に彼地討
相の場所のあたりに葬なり藤田一手上下の死骸ハ誰そ取納る人も
なく其まゝにて数日有之八月朔日に柳川より申来北ノ関村之人夫
出候手取納候様にとの儀に御座候故に八月二日に夫方各罷出候処去月廿三日より
今日迄日数十日におよひ残暑極熱之時節故死骸殊之外くさり
流れ虫も夥敷出来臭気甚敷近所へ夫方歩付候事も難成
御座候然共脇にこもをしき其こもの上に長きてこを以て寄せ候て
やう/\堀埋め申し候然るに藤田父子の死骸ハ少も別条なく昨日杯
死申候様子にて臭気もなく色少し変したる変したる迄にて腫も相見へ不申
由所の夫方共申候ハ武士は各別の事なり前代にて未聞にもとそ申ける
其内少し心有者申たるハ肉身ハ御土末々とて其差別有まし
き儀なり此父子者怒りの気甚敷勇気にて身肉こわり居申た
るなるへし昔相馬の将門の御首数日死せつして有けると語り
傳ふる事も今の藤田の父子の死骸を見れば此類にて有へしと
そ申けるなり
一、縫殿之進か其節働候手切相候刀ハ高田行長之新身弐尺弐寸五歩
なり出来物の物切レなり此刀に付咄し有其打相の四五年まへ
縫殿之進十ニ三歳の比之事なりしに何レか藤田か心安き士衆之中に
高田行長弐尺壱寸五歩と弐尺弐寸五歩にさらしぎたいに弐腰打せ
ためしなと試ミて無疵にも有之候ハゝ陣刀にこしらへ可申とて
打せけりぬり砥にして其比斬罪ものゝ有しに出して試たるに
弐尺二寸五歩ハ勝レて切レ味翌本胴其次に桶すへ物の見事に
落けり一腰の弐尺弐寸五歩ハ本胴三分ニほど懸りけりこれハ
切レ悪敷とて其分に置くだんの弐尺壱寸五歩を研上ケ拵て秘蔵
せられたり其頃藤田此刀主へ参候て彼新身行長頃日ハためさせ
のよし承り候きれあぢいかゝ候哉と云刀主の被申たるハ成程一腰ハ
本胴并桶すへ快く落申し候故只今拵に遣置たりと助之進■云
今一腰ハいかゝ哉と申刀主今一腰の弐尺二寸五歩ハ切レあしく本胴
散歩一ほと参り申候是ハ不出来物にて候ゆへ可拵様もなく打込置候由
にて助之進申候ハ其不出来物ハ御用無之候ハゝ拙者所望仕候間可被懸
御意と云刀主の云安き御用にて候得共きれぬ物にて何に被成候哉
難心得と有藤田申候ハ只今世忰縫殿之進當分指替之刀に能き寸合
無御座候寸かつこう能く候間御所望申拵遣し度と申刀主の云
幼少之衆ニ而候得者猶以なまきれの物者さゝせられす候外ニ御求
候ハゝ被然と云藤田申候ハ只今色々求メ申候得共弐尺三寸より内の刀
有兼申候得被仰ら連幼少者にハ別て刃早き道具さゝせ申候事
候とも得世忰當年十ニ歳に成申候彼者か働に本胴三歩一打込候
得ハ十分之働にて候追々盛長仕候間無程相應之道具求メ遣可申候
當分之儀ゆへ達而御無心申候由申候て無理に小(ママ=所カ)望仕候て早速拵
立申候に拵候様子縫殿之進至極心に叶秘蔵仕候て今一腰の
刀ハ召置此刀のミを差居申候被蔵故當年十七歳に成まて常に差
申候此刀にて北ノ関にて大働仕候に驚目切レあぢにて候よし新身者
研も落着不申刃肉のあやにても切連ハあなかち切レむと片付る事ニも非す
され共持懸り不十分事も可有事なり此事承り候まゝに配置候後代の
若き衆之心得にも可成事なり
いよいよ残り一回と成りました。進捗率96%です。
一、山鹿町に浪居たる何の文右衛門甲斐/\敷北之関迄供しけれ共
不仕合にて討相の時手に不逢手をも負さりしか者口惜き事ニ思ひ
山鹿迄ハ供をして帰りけるか武名利に尽はてたりと云て髪を切り
いつくともなく出さりにけるとや文右衛門北ノ関にて臆病ハせさりしが
如此に仕舞たるハ其場所において働自分存候よりとくと無之跡にて
落着武辺はならにものそと我身を見限りての事にてや
あらんと評判有けり
一、北ノ関討相の場所にて十左衛門ち縫殿進切合たるに十左衛門の太
刀縫殿進かひたいに両度迄ハあたりけれとも手疵もつかす働たり
十左衛門の刀重代の大物切レなれと如此なるハ不審とて死骸の鉢巻
をとりて見るに小ぶくろの鋸(ママ)を鉢巻に包込て居たりける
一、北ノ関にて討死前川・山名両家の者共の死骸ハ直に彼地討
相の場所のあたりに葬なり藤田一手上下の死骸ハ誰そ取納る人も
なく其まゝにて数日有之八月朔日に柳川より申来北ノ関村之人夫
出候手取納候様にとの儀に御座候故に八月二日に夫方各罷出候処去月廿三日より
今日迄日数十日におよひ残暑極熱之時節故死骸殊之外くさり
流れ虫も夥敷出来臭気甚敷近所へ夫方歩付候事も難成
御座候然共脇にこもをしき其こもの上に長きてこを以て寄せ候て
やう/\堀埋め申し候然るに藤田父子の死骸ハ少も別条なく昨日杯
死申候様子にて臭気もなく色少し変したる変したる迄にて腫も相見へ不申
由所の夫方共申候ハ武士は各別の事なり前代にて未聞にもとそ申ける
其内少し心有者申たるハ肉身ハ御土末々とて其差別有まし
き儀なり此父子者怒りの気甚敷勇気にて身肉こわり居申た
るなるへし昔相馬の将門の御首数日死せつして有けると語り
傳ふる事も今の藤田の父子の死骸を見れば此類にて有へしと
そ申けるなり
一、縫殿之進か其節働候手切相候刀ハ高田行長之新身弐尺弐寸五歩
なり出来物の物切レなり此刀に付咄し有其打相の四五年まへ
縫殿之進十ニ三歳の比之事なりしに何レか藤田か心安き士衆之中に
高田行長弐尺壱寸五歩と弐尺弐寸五歩にさらしぎたいに弐腰打せ
ためしなと試ミて無疵にも有之候ハゝ陣刀にこしらへ可申とて
打せけりぬり砥にして其比斬罪ものゝ有しに出して試たるに
弐尺二寸五歩ハ勝レて切レ味翌本胴其次に桶すへ物の見事に
落けり一腰の弐尺弐寸五歩ハ本胴三分ニほど懸りけりこれハ
切レ悪敷とて其分に置くだんの弐尺壱寸五歩を研上ケ拵て秘蔵
せられたり其頃藤田此刀主へ参候て彼新身行長頃日ハためさせ
のよし承り候きれあぢいかゝ候哉と云刀主の被申たるハ成程一腰ハ
本胴并桶すへ快く落申し候故只今拵に遣置たりと助之進■云
今一腰ハいかゝ哉と申刀主今一腰の弐尺二寸五歩ハ切レあしく本胴
散歩一ほと参り申候是ハ不出来物にて候ゆへ可拵様もなく打込置候由
にて助之進申候ハ其不出来物ハ御用無之候ハゝ拙者所望仕候間可被懸
御意と云刀主の云安き御用にて候得共きれぬ物にて何に被成候哉
難心得と有藤田申候ハ只今世忰縫殿之進當分指替之刀に能き寸合
無御座候寸かつこう能く候間御所望申拵遣し度と申刀主の云
幼少之衆ニ而候得者猶以なまきれの物者さゝせられす候外ニ御求
候ハゝ被然と云藤田申候ハ只今色々求メ申候得共弐尺三寸より内の刀
有兼申候得被仰ら連幼少者にハ別て刃早き道具さゝせ申候事
候とも得世忰當年十ニ歳に成申候彼者か働に本胴三歩一打込候
得ハ十分之働にて候追々盛長仕候間無程相應之道具求メ遣可申候
當分之儀ゆへ達而御無心申候由申候て無理に小(ママ=所カ)望仕候て早速拵
立申候に拵候様子縫殿之進至極心に叶秘蔵仕候て今一腰の
刀ハ召置此刀のミを差居申候被蔵故當年十七歳に成まて常に差
申候此刀にて北ノ関にて大働仕候に驚目切レあぢにて候よし新身者
研も落着不申刃肉のあやにても切連ハあなかち切レむと片付る事ニも非す
され共持懸り不十分事も可有事なり此事承り候まゝに配置候後代の
若き衆之心得にも可成事なり
いよいよ残り一回と成りました。進捗率96%です。