木綿の足袋の発明者は三齋の母であるという説がある。(樋口伝著:明治45.3 東京書画骨董雑誌社発行「茶道名人」-細川三齋-)つまり、幽齋藤孝夫人・麝香ということになる。
上記著書から該当部分を引用する。
江村専齊の老人雑誌に依れば、木綿の足袋は三齋の母が初めて作って
三齋に穿かせたといふ事である。之れは茶の湯にいづる時足が冷えるか
ら、其れを慮ってこしらへたものといふ、惣じて官家にては、衣冠に足袋を
附けてゐない、年齢とれば勅許の後 襪 (したうず)をつける。しかし之は
束帯の具である。武門諸式に於ては、冬春は用ゆるが、夏はゆるさない。
おもふに昔は木綿足袋ではなく、革足袋ばかり穿つたのであらう。三齋が
木綿の足袋を附けてから、遂に後世に流行するに到ったのである。
「襪」は現在「下沓」と表記され、「しとうず」とよばれている。
襪 fpouch.fc2web.com/shizouzu.html
足袋 ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E8%A2%8B
江村専齊なるひとがどのような人物なのかも判らないし、この説の信憑性もどうな
のかも判らない。それはそうとして、現在のような足袋の形態の登場の仕方がよく
理解できる。
上記著書から該当部分を引用する。
江村専齊の老人雑誌に依れば、木綿の足袋は三齋の母が初めて作って
三齋に穿かせたといふ事である。之れは茶の湯にいづる時足が冷えるか
ら、其れを慮ってこしらへたものといふ、惣じて官家にては、衣冠に足袋を
附けてゐない、年齢とれば勅許の後 襪 (したうず)をつける。しかし之は
束帯の具である。武門諸式に於ては、冬春は用ゆるが、夏はゆるさない。
おもふに昔は木綿足袋ではなく、革足袋ばかり穿つたのであらう。三齋が
木綿の足袋を附けてから、遂に後世に流行するに到ったのである。
「襪」は現在「下沓」と表記され、「しとうず」とよばれている。
襪 fpouch.fc2web.com/shizouzu.html
足袋 ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E8%A2%8B
江村専齊なるひとがどのような人物なのかも判らないし、この説の信憑性もどうな
のかも判らない。それはそうとして、現在のような足袋の形態の登場の仕方がよく
理解できる。