「謎の人・庄林隼人」を書いたら、ぴえーるさんがご自分のブログから貴重な情報をもたらしていただいた。
http://d.hatena.ne.jp/muxia/
菊香町の荼毘塚(自休とある)の隼人、寛永十年忠利に召出された隼人、忠興死後の正保三年扶持を放された隼人、夫々の人たちの実像が次第にはっきりしてきた。(一応「一心」を初代とする)
■初代・一心
伊右衛門 隼人佐
寛永八年五月十四日没 享年七十余
前妻・飯尾重宗女 後妻・加藤清正妾(子供を宿してのこととされる)
ウイキペディアで紹介されている庄林一心、又禅定寺にある立派なお墓の主である。
菊香町にある荼毘塚の自休なる人は同一人物か
■二代・一方
養子 実・加藤与三右衛門男
加藤清正臣中川壽林養育し中川太郎平と名乗る
加藤清正命にて庄林伊右衛門の壻養子となる(室・伊右衛門後妻女)
庄林豊後守(加藤忠広が豊後守を名乗ったため改名・伯耆守)
伯耆守(志水元五=日下部与助が伯耆を名乗った為改名) 隼人正
淡路守 寛永十二年正月廿四日没 享年四十六
妻・初代隼人女(実質、加藤清正の女ということになる)
細川忠利肥後入国後の寛永十年召しだしを受けたのがこの人である。
寛永十年三月十九日付 榊原飛騨守書状(忠利様・人々御中)
庄林隼人・出田宮内両人御かゝへ被成候由、可然人之様ニ承及候
(綿考輯録・巻三十五)
細川忠利公宛行状(寛永十年)六千三百石
■三代・一吉
益之助 隼人正
寛文二年四月十三日没 享年四十一
妻 志水伯耆守女
細川光貞公宛行状(寛永十八年) 六千三百石
正保二年知行差上げ・・肥後(八代)離国--住筑後
■四代・一信
太郎平 主水 隼人
延宝六年十月十六日没 享年ニ十九
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■参考:肥後古記集覧巻二十「中原雑記」より こちらも食い違いが見られるが、1・2・3代であろうと思われる。
庄林隼人佐入道自休------------庄林伯老--------猿之助
山鹿郡上内田光台寺屋敷ニて御死去 後二改淡路 後隼人/細川忠利公ニ被召出
墓有/此隼人佐清正公ニ御勤也 御知行七年(ママ)三百石也
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ぴえーるさんから教えていただいた、出典「庄林氏由来」全文をいつかご紹介したいと考えている。
先ずは筆写することから始めなければならない。
http://d.hatena.ne.jp/muxia/
菊香町の荼毘塚(自休とある)の隼人、寛永十年忠利に召出された隼人、忠興死後の正保三年扶持を放された隼人、夫々の人たちの実像が次第にはっきりしてきた。(一応「一心」を初代とする)
■初代・一心
伊右衛門 隼人佐
寛永八年五月十四日没 享年七十余
前妻・飯尾重宗女 後妻・加藤清正妾(子供を宿してのこととされる)
ウイキペディアで紹介されている庄林一心、又禅定寺にある立派なお墓の主である。
菊香町にある荼毘塚の自休なる人は同一人物か
■二代・一方
養子 実・加藤与三右衛門男
加藤清正臣中川壽林養育し中川太郎平と名乗る
加藤清正命にて庄林伊右衛門の壻養子となる(室・伊右衛門後妻女)
庄林豊後守(加藤忠広が豊後守を名乗ったため改名・伯耆守)
伯耆守(志水元五=日下部与助が伯耆を名乗った為改名) 隼人正
淡路守 寛永十二年正月廿四日没 享年四十六
妻・初代隼人女(実質、加藤清正の女ということになる)
細川忠利肥後入国後の寛永十年召しだしを受けたのがこの人である。
寛永十年三月十九日付 榊原飛騨守書状(忠利様・人々御中)
庄林隼人・出田宮内両人御かゝへ被成候由、可然人之様ニ承及候
(綿考輯録・巻三十五)
細川忠利公宛行状(寛永十年)六千三百石
■三代・一吉
益之助 隼人正
寛文二年四月十三日没 享年四十一
妻 志水伯耆守女
細川光貞公宛行状(寛永十八年) 六千三百石
正保二年知行差上げ・・肥後(八代)離国--住筑後
■四代・一信
太郎平 主水 隼人
延宝六年十月十六日没 享年ニ十九
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■参考:肥後古記集覧巻二十「中原雑記」より こちらも食い違いが見られるが、1・2・3代であろうと思われる。
庄林隼人佐入道自休------------庄林伯老--------猿之助
山鹿郡上内田光台寺屋敷ニて御死去 後二改淡路 後隼人/細川忠利公ニ被召出
墓有/此隼人佐清正公ニ御勤也 御知行七年(ママ)三百石也
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ぴえーるさんから教えていただいた、出典「庄林氏由来」全文をいつかご紹介したいと考えている。
先ずは筆写することから始めなければならない。