津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

北関始末實記・・その11

2009-11-19 18:51:15 | 歴史
          いよいよ決戦の火蓋がきられました。

 祐道すゝミ出て十左衛門                    
 に申けるハ/助之進父子当時かくれなき小筒の上手にて御座候に
 相かゝりに御懸り被成候事大事に御座候間私父子の右の方の畑之
 中より遠く廻り悪口を申的をせかせかゝり申候ハゝ藤田必定
 私共鉄炮打懸け可申其火音相図に二ノ屋込合之内二旦那
 御両人様ハ此左之方之高見ねを小楯ニ御仕寄被成彼者共か私
 父子を討申候と一同ニ御懸り被成候ハゝ御利運慥成る事にて此節

 御矢面之御奉公勤上/と云捨て祐道父子并酒屋伊右衛門一面
 二并右の方之畑ノ中より土烟ふみ立て声々によ者ハつて
 刀を振て討てかゝる山名内之加々見権平ハ御矢面は前川様
 之衆斗の持方にも有之ましと/此方より壱人も矢面に成候者
 なかりしと後代迄沙汰に逢はんも口惜し且主君の御名も
 出し事なり/とて祐道に相ならひて討てかゝる酒屋伊
 右衛門ハ常に多言ならぬ口おもき者也しか此節大声上て
 主之矢面にたつ事ハ成にくき事の様に連々聞伝へ成程
 左様に可有事と我もおもひ居けるに此場に成りてハ思ひし
 に違扨々成りよき心安き事哉/とから/\笑て討かゝるを各
 声々に/あの臆病者めおのれよりか相手になるこそ残念なれ
 但我等ともか様なる剛の者にハ己レ共か躰の臆病者の打鉄炮の
 あたるものにてハなきそ鉄炮にても石火矢国崩しにても

 何百挺もうたハ打て見よ此方共は花の散る様のもおもはす斜め
 と飽まて雑言し的をせかせて討てかゝる処をいかりにいかつ
 たる藤田父子祐道か智略におとされ大にせき上て三挺の
 鉄炮つるへ打ト打かくる祐道・伊右衛門ハ一同に水落を弐ツ玉に
 て打ぬかれ祐道ハ弐間斗走り懸壱尺五寸ほと飛上つて前へ
 かつ者と伏す伊右衛門ハ鉄炮請とめたるそ心得たりとこたへて
 走りかゝりけるを前に弐尺斗りの畑の峯の有けるにどうと落
 て起もあからて死けり加々見権平は乳の上のまん中弐ツ玉ニ而
 打連血煙おひただしく立て是も弐間余り走り懸つて
 かつ者と伏す藤田ハ聞ゆる早打の上手にて烟の中に早詰し
 て父子共に早打するに烟て矢筋不分明ニ也有けん西郷
 平十郎右の高腰を打けれ共少しもひるます討て懸る父子
 か内何レか打たるとハ知レさりけり一放ハ者つ連けり此鉄炮の

 火音聞と一同ニ左之方北の峯かけ飛か如くに討て懸れ
 者藤田父子平生鍛錬の早打の秘術を尽し父子一同に打
 かくるといへ共間相(ママ)以之外近く其上極て急成る事故ニさし
 もの藤田も此ニあわてゝや有けんまた山名・前川運や強かり
 けん両人ハ手も不負さ連とも山名内金光小右衛門高腰を打
 れ小膝をつく同鑓持弥右衛門と云もの末々なれとも謐りたる
 もの也しか鑓をハ主人に渡して我等も此侭にて只おる
 へき所かとよ者はり刀えお抜て十左衛門脇よりつとかけぬけ
 て先へすゝむ所を高もゝを被打ころひける其間合甚た近
 かけれハ藤田父子鉄炮なけすてけれ共鑓を取る隙もなく
 直に刀を抜いて討合けり助之進をハ十左衛門鑓付けるか助之進
 につこと笑て鑓をたくり寄る所を十左衛門踏付て留めをさす
 縫殿進ハ大勢を相手にし戦ひけるか父か討るゝを見て一文字

 にかけ来り十左衛門の左之方の小膝を折て上ケ切に切かくる
 家頼共それ/\縫殿進か懸り申候と云を聞十左衛門ハ此とき
 助之進を踏付て留メを二タ刀さす時なり殊ニ左勝手にて
 急に取合せかたく右之方江横飛に壱丈余り飛ひらくを
 家来共中にへだたり縫殿進を取こめ討ンとす縫殿進ハ
 四人をあいてにして前後左右に相當り働く事鳥の飛より
 も猶軽し此時十左衛門横飛ニ飛ひ被申ける所ハ高さ四尺はかりに
 よこ六尺余の土手洪水の節の水よけ乃塘也十左衛門無双の軽
 わざを得られけれ者たやすく飛越へ即時にまた土手を走り
 越へて鑓を者助之進に突立て被置ける故に直に刀にて相
 戦ふ此土手今ニ至りて年々水よけの修復有て今者
 高さ六尺余地なみ八尺程に成て有今に至つて此土手を
 山名殿の飛土手と所之農人者名を呼ふとや扨縫殿進ハ又

 十左衛門に討かゝり火花をちらして相戦ひけるか咽やかわき候ん
 横きれに小川の端に走り行て左之手にて水をすくひて
 飲む所を十左衛門かけ付て鑓をもつて背より突通す縫殿
 進拂ふ太刀にて十左衛門左の足に少し手負けり藤田か家頼
 共ハ何も命を惜まず切合けるか若黨壱人中間弐人ハ手負
 落失ける
                   現在の進捗率60%ほどです。
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玄猪(げんちょ)餅

2009-11-19 09:26:34 | 歴史
 11月6日のブログに、『出陣の折家臣の奥方が餅を届けたことを喜んで、今後の出陣の際の嘉例にしようと言ったと云う話があった』 ことを書いた。綿考輯録に在る話だが、懸命に探したのだが見つけ出せないでいた。ありがたい事に芦屋市在住のT氏が探し出していただいき、ご連絡いただいた。
「出陣の際の嘉例」は記憶違いだった。
 
【此時有吉将監立言は京都御屋敷御長屋ニ居候に、御出陳玄猪の日にて、立言餅を祝ひ立出ける時、妻心付、殿にも御祝可然と申て急なる折節故、器物も不有合、山折敷の有けるに乗せ持出候へは、藤孝君はや御馬に召れ候所に、玄猪の餅御祝被成候へと云て差上けれは、御出馬の折節、玄猪は能心付也と被仰馬上にて御祝、目出度御帰陳可被成と仰候、即御勝利なりけれは、御帰陳の上にても猶御賞美被成候、後々まて山折敷にて玄猪の餅差上候事は、段々御領知も重なり、旁以御吉例に被思召候に付、向後無懈怠差上候へとの御意有之候故と】 (綿考輯録第一巻p57)

 あいにく私は「玄猪餅」についてまったく知識を持たない。ぐぐってみるとすごいサイトがあった。 【 ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/index.php?歳時部/玄猪 】
〔類柑子〈中〉〕に出てくる細川家の茶道とは果たして誰なのか、これも気にかかる。
内容が安易な【 ja.wikipedia.org/wiki/亥の子餅 】を読んで、お茶を濁した。

 旧暦十月というからちょうど今の時期だろうか。和菓子屋さんをちょっと覗いて見たい気もする。そして有吉家にこの「玄猪餅」についての、言い伝えが残されているものか、知りたい処ではある。
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北関始末實記・・その10

2009-11-19 08:17:40 | 歴史
 源七ハ無程北ノ関ニ着藤田か旅宿を尋候而案内を申候得ハ取次之

 小姓壱人罷出御口上承らんと申又右之方ノ戸口より傍成者大脇差
 を差たるか近々と立出候て見て居候源七是ハ何分く勢者と存候
 無油断目を賦り口上を申す口上に者/前川勘右衛門申入候ハ只今
 是迄罷越候可申段惣老御出合候へ互に飛道具ハ相止メ鑓合にて可
 申談候為其使を以申入候/と申早速藤田返答に/是迄御出候由ニ而
 御口上致承知候早速罷出可申談候/と申源七即立帰る十左衛門者
 先き弥助か中途より帰りける意味を聞/源七壱人ニ而ハ無心
 元早速可被討五十里喜兵衛早々罷越源七切合候を見懸候候て
 夫に不構早々立帰り可申達/と申付差遣喜兵衛急参候に源
 七ハ使を仕舞帰候に彼切通しにて行逢打連て帰ける
 此時藤田か遠見走り帰り前川ハ上下弐拾人斗りと相見へ鑓弐
 本にて参ると申藤田聞て/何としてか勘右衛門か弐拾人にて
 可参鑓弐本も合点ゆかす道通りの者を見違たるらんと云乍

 去もはや近く成るらん立出て仕舞ハんと若黨五人小者三
 人にて立出る所に彼遠見者申候ハ/合点参らぬ事御座候ハ
 慥に鑓ハ弐本見へ申候是ハもし山名十左衛門殿なとかせ被に被参
 候にて無之候哉先程是に参候者ハ見知不申候得とも跡より又々
 使と見へて参たる者切通しのあたりにて最前の使に逢
 候而何やらん申談打連て帰候者ハ十左衛門殿之家頼五十里喜兵衛
 と申者私能く見知りたる者にて御座候慥二喜兵衛と見懸申候
 然者山名殿被参候故鑓弐本と見へ申候其上勘右衛門ニ而弐拾
 人程の供は有間敷候山名殿もともにと存候/由申候へハ其時助之進
 案に相違して/十左衛門か来るハ扨々思寄なき事/と大声にて
 のゝ志る縫殿之進是を最後と存候躰にて父に申候ハ/私儀ハ只今
 元服仕御供可仕候御供にて討死仕候に丸顔にてハ残念に存候
 男に成り安堵仕討死可仕/と申はさみにて前髪をはさミ切り振

 袖を取て口にくわへ脇差を抜て袖下を切捨たる小袖口
 ひら/\として手にさハりたれ共母に向ひ/只今是を急に
 御縫被成被下候へ/といふ母聞て/只今急にぬきかえよ着なから
 衣服を縫は忌むことなり門出にいかゝ/と云ふ縫殿之進申候ハ/
 いそかしき時節ぬき替るに不及只々此まゝにて御縫可被下候忌
 む事と被仰候へともそ連ハ平生の事亡者の経帷子を着な
 からぬふ物と承り候へは於私者死出の衣服の経帷子にて却而
 大慶に存候/といふ母なミたなからにこ連をぬふ縫殿之進ハ
 高笑して/元服仕男になりすまし母之御縫物の経帷子を
 着仕父の御供仕討死仕候太悦之至り是に過不申目出たし
 目出度し/とから/\と笑ひて罷立候急ニ立出て村はつれ
 より見れ者勘右衛門十左衛門はや件の切通しを打過き候而下ノ小川
 之はたに参る助之進ハ此切通しを又々取かためんと参りけれ共

 はや敵にこされすへきよふ鳴く左の方南ノ山際の段々畑に上り
 小川を見おろし壱匁玉之鉄炮各弐ツ玉を込メて膝台にかけ
 て控たり山名前川ハ切通しノ下小川のあなたより見れ者足場の悪
 敷段々畑に敵ハ打敷て控たれ者無理にかゝらん事城攻より者
 六つヶ敷千に一つも利あるましと見切て使を立ておひき出さんと
 する処に藤田方より使を立/是迄御出残暑の中御苦労ニ存候
 殊に十左衛門殿迄御加勢に御出と見懸我等為にハ面目ニて候
 早々是へ御越候へ可申談/と云を勘右衛門返答に/只今是より使差
 立候筈之処ニ御返事に罷出候夫へ可参候得とも此方か足場よく互
 に致能候間是へ御出候へ/と申遣藤田聞て/此方ニ恐れて寄り
 付すに夫より直に帰るかもはや帰レハとて帰すましきそ/と
 あさわらつて鉄炮の火繕りして扣居處に十左衛門より使を立
 て/此方へ被出候へ最前も申候通飛道具無用に候由申入候処に其

 處に其方は鉄炮相見えたり惣して飛道具ハ大敵を防く道具也
 然るに如此数丁之鉄炮ハ非強之仕方難心得候但し飛道具なし
 にハ此方に手向ひハ成申間敷と存候此方ハ飛道具なしに
 可参候其方どもの有様にてハ飛道具なしにハなられ間敷候/と
 申遣しけれ葉藤田父子大ニ立腹して/物をいはするな一々ニ
 打殺して捨てよ/とよ者ハつて段畑を飛おり小川の波をけ
 たてゝ討て懸る此時は廿三日申ノ中刻也 
 
             只今進捗率約55%、次回はいよいよ直接対決です。
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